112 魔女マリア・フリーマン
「行き先はアンカレッジですか? 時差は十八時間ですね」
アラスカと言えばアンカレッジのイメージだが、今回の話だとカナダのドーソンシティが発端になっている。近くのフェス会場に巨大ゲートがあるはずなので、まずはそこを見たい。デナリの秘密空軍基地に行くのはそのあとだ。
「い、いやあ……。ユーコンチャーリー川国立保護区の北部に、ビッグフットのプロジェクトで造った街があるんだ。そこの偵察からお願いしたい」
ウォルターさん、それってゲートを作りに行く話じゃないよね……。
さっそく話が違ってきた。
俺はアメリカから魔術師だと認定されている。その力を利用して、獣人を何とかしたいというのが本音か。
場所を詳しく聞くと、獣人たちはカナダのドーソンシティからユーコン川を北上。アラスカに入って、イーグル村、サークル村の二カ所を占拠。
サークル村の西側に、ビッグフットの街があるという。
土地勘なくてさっぱり分からん。
「地図見せてもらっていいですか?」
「それならこれで」
ダーラが持つスマホで地図を見て、だいたいの位置関係を掴めた。
「まずフェス会場を見たいんで、先に向かっていいですか?」
「嘉手納からアラスカのエルメンドルフ空軍基地まで飛んで、そこからヘリになるわ。よし、準備しなきゃ!」
ダーラが気合を入れている。飛行機で二十時間。七千キロの旅になる。
でもそんな時間食ってるわけに行かないんです。
「三人とも、行きますよ」
俺はフェス会場にゲートを繋げた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
寒くない。この前アラスカに来たときより気温が上がっているな。あ、時期的なものか。今は真夏だし、白夜の影響でまだ明るい。この緯度だと、夜中になっても薄明くらいなのかな? 時間は……。
『アラスカ標準時で十八時十七分です』
『おおっ、助かる!』
『えへへ~』
汎用人工知能と喋ってる場合じゃない。
「早くこっちへ」
ゲートの先――沖縄の三人に手招きをする。
「こ、こ、これってゲート?」
かろうじて声にしたのはダーラ。ウォルターとデボンは、驚きのあまり固まっている。見せびらかすつもりではないし、単に時間が惜しいだけだ。それに、彼らの反応も見たい。
最初に動いたのはウォルター。取調室のドアを少しだけ開けて、外を確認。近くに誰もいないと分かったところで、ゲートをくぐってきた。
次はデボン。ニヤリと笑い、ゲートをくぐった。デボンはゲートのことを知ってそうだな。
最後にダーラ。彼女は装備の確認をする素振りを見せ、武装がないので取りに行くと言い始めた。
ウォルターはそれを許可し、しばらく待機となった。
ドーソンシティの地で、耳を澄ます。ゲートの先は沖縄の取調室。そのドアの先。そのまた奥で、ダーラは電話をしていた。集中してその声を聞き取る。
どうやら、ビッグフットが造った住居地、アンガネスに連絡を入れているようだ。
相手はリリスという女性。ソリッドリーパーの一員のようだが、遠すぎて話があまり聞こえない。わずかに聞き取れたのは、俺とビッグフットのCEOが鉢合わせにならないように手を回してくれと頼んでいること。
ビッグフットのCEOは、名前がネイト・バイモン・フラッシュ。相当な切れ者で、主力のIT事業から、他業種に手を広げて成功した巨大多国籍企業。
それじゃあ、そのネイトってやつと鉢合わせしてみたいな。
というか、俺はリキッドナノマシンのおかげで地獄耳だと思っていたけど、ここまで凄かったかな? こっちは血の臭いと腐臭が混じる風も吹いて、木々のざわめきが大きい。ゲートの先の取調室は、ドアが閉まっている。そのもっと奥で電話している内容まで聞こえるとは、どういうこと?
『ソータは超越者になっていると忘れてませんか?』
『うん、忘れてた。それと何か関係あるの?』
『……ソータは超感覚的知覚、いわゆる超能力や異能と呼ばれるものは、だいたい使えるようになっています。今回はその中の一つ、地獄耳が発動していますね』
『ほーん……助かったよ。意識したらボリューム調整できるようになった』
電話が終わっても、ダーラの吐息や、髪の毛が揺れる音、様々な音がやかましかったのだ。いったん地獄耳のスイッチを切るように意識すると、いつもの聞こえ方に戻った。
「お待たせしました」
ゲートから出てきたダーラはしれっとした態度。持ってきた装備、茶色のハンドガンM17と、サプレッサー付きのXM5ライフルを、ウォルターとデボンに渡している。リュックも三つ持ってきていて、すごい即応力だなを感心するしかなかった。
殺る気満々だと。
誰もいないフェス会場を、一列縦隊で進む。先頭デボン、次がウォルター、俺、ダーラの順で、左手を前の人の肩に乗せている。
軍隊式なのかしらんけど「こんなにだだっ広い場所で、何やってんの」という気持ちになりつつ、フェスのステージへ進む。
「誰も居ませんね……」
ステージに登ると、ダーラの声が後ろから聞こえてきた。
ここから見ると大きな魔法陣が地面に描かれているのが分かった。
『探知魔法陣、時空間魔法陣を確認しました。双方あわせて、ゲート魔法陣と言ってもいいと思います。それでは解析します……解析と改良が完了。魔法と同じ効果ですが、使用魔力が非常に少なくて済みます。しかし、ゲートが開くまでおよそ二十四時間かかりますし、呪文の詠唱が必要になる魔術です。改良したので、ソータは呪文無しですぐにゲートが開けます!』
『うん……』
頑張ってもらって悪いけど、魔法で済んじゃうから使う場面は無いだろう。
『…………頑張ったのに!』
『……心を読むな。あと、魔法じゃなくて魔術なら、こっちの魔術師がやったと考えていい。大きなヒントだよ、これは』
気を取り直して、血臭と腐臭がどこから来ているのか探る。
ダーラたち三人も顔をしかめるほどの濃い臭いがするので、近くに何かあるはず。
「滴下血痕があります!」
ダーラの声で、俺たちは舞台袖へ向かった。
「うっ……」
真っ先に舞台裏へ飛び込んでいったダーラが口を押さえる。
蛆のわいた遺体があった。獣人がこっちに来たのはひと月半前だから、そのときに殺害されたのだろう。
キャスター付きの台車を並べ、ニンゲンを寝かせるための大きさの儀式用石台が乗せられている。遺体はその上だ。
ウォルターとデボンは、特に動揺していない。死体を見馴れている感じだ。
フェス会場の魔法陣といい、この生け贄といい、原因となる獣人がこの地に溢れ出したのは、ソリッドリーパーの仕業だ。シビルが知っていても知らなくても、彼女は当主だから責任がある。
「警察の捜査はやってないんですか?」
「やってない……いや、ここまで手が回っていないという方が正しい。実は……、我々は北米航空防空軍の判断を待たず、救援のためにヘリで越境してドーソンシティへ向かったのだ。しかし……、獣人の数が多すぎて、手を出せなかった」
このフェス会場の近くにあるドーソンシティの住民は全て、何者かによって食い殺されていたそうだ。その数は約二千人。王立カナダ騎馬警察は、全力で身元確認や検死をやっている最中らしい。
目の前の遺体には、近づけないように規制線が張ってあるので、一応来てはいそうだけれど。
フェスに集まったソリッドリーパーが三万人。獣人たちは百万人以上。軍ですら対応できなかった。シビル、やってくれちゃってるねえ……。
「移動しますよ。次はイーグル村ですよね?」
「いや、ちょっと待った。私たちが嘉手納基地から消えた理由が説明できなくなる。ソータ、いや、板垣内閣官房参与、私たちを一旦嘉手納基地に戻してくれないか?」
「戻るのはいいですけど、俺はビッグフットが造った、アンガネスって街に行きますよ? あ、違法入国してるのは理解してます。そこは、ウォルター指令の力で何とか出来ませんか?」
「俺が残って、こいつを監視します」
「あっ、それなら、あたしも!」
「……」
俺の言葉に追随するデボンとダーラ。ウォルターは少し考えて結論を出した。
俺は松本総理に連絡して、アメリカで活動する許可をもらうこと。デボンとダーラは、極秘作戦中にする、と決まった。そうすればデボンとダーラが嘉手納から消えても不審がられないそうだ。
さすが秘密基地の司令官。軍規を平気で破ってきた。というか、ソリッドリーパー絡みで、軍規とか意識していたら何も出来ない。魔術使ってくるんだし。
さっきの取調室にゲートをつなげ、ウォルターとはそこでお別れする。
そのついでと、イーグル村にゲートを繋げようとすると、デボンから待ったがかかった。
「アメリカ軍が待機しているからやめとけ。ゲートなんて見つかったら、また追われるぞ?」
「あ、そうですね。軍が居るとは知りませんでした。んじゃアンガネス付近に繋げます」
さっきマップを見て位置は分かっている。座標の設定はもう慣れたものだ。
「あっつ!」「暑いな……」
アンガネス近くの丘の上、街全体が見えるような場所にゲートを開いた。
気温差で驚いているダーラとデボン。ゲート使いまくっていると、そんなの日常茶飯事だぞ。
辺りにニンゲンの気配はない。しかし、この丘は展望台になっていて、小さな駐車場が設置されていた。道路は真新しいアスファルトで、つい最近人の手が入ったと分かる。
デボンとダーラは草むらに伏せ、XM5ライフルのスコープで街の様子を探っている。一番近い家まで百メートルくらいだ。薄暗くはなっているけど、向こうからこちらを視認できる距離だ。俺も見つからないようにしゃがんだ。
よし、とりあえず背後を取ったので聞いてみよう。
「デボン、ダーラ、丁度いいから聞いておきたい。あ、妙な動きをしたら殺す」
言葉の途中で、デボンがXM5を俺に向けようとしたので、釘を刺す。俺は手ぶらなのに、二人とも動きを止めた。なかなかいい勘をしている。
「アメリカ軍が俺を魔術師としてマークしていると言ってたな。そうなったのは、俺がアラスカの秘密空軍基地で暴れたから。ここまであってるか?」
二人とも首を縦に振る。
「アメリカと日本の関係を鑑みて、俺の個人情報は全てアメリカ軍に渡っている。日本中にゲートを作り回っていたこともね。タイミングよく沖縄に来ていたのは、俺を尋問するためではなく、魔術師イタガキの力でアンガネスを調べてもらうため。でなきゃ、二人ともこんなとこまで来ないだろ?」
図星か。二人とも目を伏せた。
「二人ともソリッドリーパーだよな。しかし、この件に関しての知識はほとんど無く、真実を知りたがっている。ソリッドリーパーがいろんな組織に入り込んでいるのは知ってる。アメリカ軍はどう?」
「どう、とは?」
ダーラの方が話になりそうだ。デボンは三十代半ばで大佐、相当優秀な軍人だ。それでいて、ソリッドリーパーなので、ほいほい話すような人物ではない。
「アメリカ軍は正気か、と聞いている」
「やだなー、アメリカ軍は正気ですよ。悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなければならないだけです」
アメリカ軍は正気でも、ダーラは正気で無いかもしれない。
「では今回の件、ソリッドリーパーが異世界から獣人をアラスカに連れてくると知っていたか?」
「知ってたら、なんで丸一日もかけて、嘉手納基地に来たと思ってるの? あたしたちは、……あまり言いたくないけど、あなたに助けを求めているの」
「ダーラに同じくだ。……貴様に事情を聞かねば、分からないことだらけ、というのもあるが」
『ふたりともウソをついてます』
『マジで? そうは見えないけど……』
急に割り込んできた汎用人工知能との会話を終えて続ける。
「ではアメリカ軍、ソリッドリーパー、そんな組織ではなく、個人的な見解を聞きたい。デボン、ダーラ、デーモンは悪か?」
「あたしはイェール神学校卒、聞くまでもないでしょ? 悪魔は滅ぼす対象です」
「悪魔は殺す」
いい答えだ。デーモンは宗教的な信念や文化によって考え方が違ってくるし、滅すべき対象かどうか分からないなんて言ったら、対応を変えなければいけなかった。
「何が言いたい?」
「デボン、ここに住んでいる獣人は、倒す対象とそうでない者が分かりにくい。一般的な獣人と、デーモンが憑いている獣人、見た目じゃ判断が付かないんだ。そこでだ、二人ともその判断が出来るのかどうか聞いておきたい」
「……少しだけ光魔術が使えるので、判断出来ます」
「妙な動きをしたら撃ち殺す」
「ダーラは分かるけど、デボン、どういうこと?」
「悪魔は一目で分かるんだよ、この聖痕のおかげでな」
デボンは俺に顔を寄せ、目ん玉を見ひらいた。よく見ると右目の虹彩が十字に裂けている。聖痕て初めて見たけど、目ん玉にもできるんだ。
というかこれが噂の魔眼てやつか!! 噂になってないけど!!
一人で盛り上がっていると、ダーラが話し始めた。
「さっきから何の確認ですか? ソリッドリーパーといっても、組織が大きすぎて地区担当で随分やり方が違いますからね? トップはシビル・ゴードンですけど、細かいところまで知らないと思いますよ?」
「あ、ちょっと待って、二番手の名前は?」
「マリア・フリーマンという魔女です。ソリッドリーパーの魔女は二種類いまして、シビル・ゴードンはハッグ、マリア・フリーマンがカヴンという種族みたいです」
「えらく喋ってくれるな……」
「そりゃそうでしょ! 獣人呼ぶくらいならいいけど、どれだけ死者が出たと思ってるんですか!! そのトップ二人は知らん顔、何もしてないんですよ?」
シビルは動き回ってるけどね。魔女マリア・フリーマンは、初めて聞いた名前だ。組織の二番手で、過激派のトップにあたる人物だな。
「確かにそうだ。んじゃ今回の件、異世界から獣人を呼び出したソリッドリーパーの担当者は?」
「知りません! それと、呼び出したのは、アメリカの担当者じゃないです! そもそもあたしは、ソリッドリーパーの下っ端ですからね? そんなに色々知ってるわけじゃないです!!」
下っ端ではないなぁ。この街のリリスってやつに電話して、ビッグフットのCEOと鉢合わせにならないよう根回しやってたし。
「アメリカの担当者名は?」
「教えません!!」
「……そっか。でもありがとね」
「どうしたしまして!」
魔女マリア・フリーマン。俺は月面基地で、魔術結社実在する死神の詳細を探っていたが、そんな人物は出てこなかった。この時代、ネットに痕跡が残らないなんて、相当用心しなければ無理な話だ。
本丸はどうやら、魔女シビル・ゴードンではなく、魔女マリア・フリーマンだ。
「どうするんだ? 撤退するなら早めの方がいいぞ」
デボンが妙なことを言いだした。
「何言ってんの? これから、アンガネスに入って、召喚師悪魔を支配するものを倒す。名前はエリス・バークワース。今回はこいつの殺害が目的だ」
逆にデボンも何言ってんの、みたいな顔してる。
「ちょ、ソータ! バカなことはやめて!」
「ん~、二人ともマジ? 俺、沖縄で話を聞いたときから、エリス・バークワースを倒しに行くものだと思ってたんだけど?」
「行くわけないだろ」
「行きません!」
行く雰囲気だったと思ってたけど、違ってた。
「二人ともデナリ国立公園近くの第二十八特殊戦術飛行隊所属だったよね? 一応行ったことあるし」
ゲートを開いて指を差す。
「基地内のぬかるんでた場所に繋げた。今のうちに撤退してくれ」
「え……、ソータはどうするの?」
「言っただろ? 悪魔を支配するものを殺しに行くんだ。俺はそれでいい、それにさ……アメリカ軍は、自国の民間施設を攻撃した事がないでしょ。ここで悪しき歴史を作るわけにはいかないよね」
「……」
「……」
この二人が第二の獣人自治区、アンガネスに立ち入り、獣人たちと戦闘になれば、家屋や施設に被害が出る。なので、この街の所有者であるビッグフットは喜んで損害賠償請求の裁判を起こすだろう。
実際にそうなんだけど、俺が一人で行こうとしていることで、二人に迷いが出た。
ここで正当な理由を提示すれば、俺を引き止めはしないはず。
俺の真剣な眼差しを見て諦めたのか、二人とも無言でゲートをくぐっていった。




