第六話
ソレイユ帝国の使者として遣わされたジラード侯爵たちを無事に控室に通した後、停戦調停が始まるまでの間、アリシアは各騎士団長に用意されている宮廷の執務室で待機していた。
アリシアが所属している第一騎士団は大陸各地の巡察を行っており、些細な諍いから各国の戦争に繋がりかねない不安要因を解決すべく、宮廷に戻ることは滅多になく、日夜駆け回っている。そのためおよそ騎士団長の執務室とは思えないほど殺風景だった。いつでも手紙や連絡を送れるように、訓練された伝書鳥の梟が止まり木に止まっており、あとは申し訳ない程度に報告書の束が机上に積まれているだけだった。
報告書を机の隅に追いやり、アリシアは部下である第一騎士団の副団長へ向けた手紙をしたためながら、これまでの状況と、そこに至るまでの経緯を思い出していた。
エイレーネ公国はソレイユ帝国とノルフェン王国の長きに渡る戦に終止符を打とうと重い腰を上げた。あまりにも遅い判断であるが、互いに不利益のない平等の条件で停戦調停を結ぶ必要があった。
(まさか、私が審問官に選ばれるとは微塵も考えていなかったけれど)
審問官という立場は非常に重責の伴う大役だ。加えて自分は過去の事件から世間の風当たりも強く、実際に害を被ったソレイユ帝国の人間もいる。なぜ自分がその役目を仰せつかることになったのか、育て親のパトス大公に尋ねたことがあった。
『なぜ私が審問官に?私はソレイユ帝国の賢者です。審問官は立場的にも周囲に忖度をしない公平な者を選ぶべきです。これは適切な人選とは思えません』
抗議すると大公は目を通していた書類を置いて机の上で手を組んだ。
『それだけ、聖女様も他の大公もお前の素養を評価しているということだろう。それに』
こめかみに手をやって眼鏡のずれを修正すると、大公の切れ長の目がアリシアを見つめた。
『この停戦調停の後、お前は母国に戻ることになる』
アリシアは瞠目したが、聡明な彼女はその一言で全てを察してしまった。
『では、これは私の帰還のための調停であると?』
大公の肯定を聞いたアリシアの心中は複雑だった。
いずれ戻ることになるとは思っていたが、こんなにもあっさりと言い渡されると現実味が湧かなかった。
一体自分はどんな顔をして母国の土を踏めばいいのか、長い間自分の犯した罪のせいで街が滅び、他国に攻め入られ、辛酸を嘗めてきた民たちにどんな言葉を掛けたらいいのか、正解が見当たらなかった。
『お前は帰還後、国を背負うことになるだろう。王になるのかどうするのか先のことは分からんが、お前がユニコーンの力が宿る賢者である限り、国の中枢に携わる宿命からは逃れられない』
ユニコーンの血を引き、リコルヌの姓を受け継ぐ賢者は代々ソレイユ帝国の皇帝として君臨し、国を太陽の光のもとに導いてきた。自分が公国に保護されている間は、亡くなった先代の母の代わりにその弟君が皇帝オベール・ルロワとして即位し、国を守っている。彼にも跡継ぎがいるがその子どもたちが光を司るユニコーンの力―雷を自在に操り、あらゆる者を癒やす治癒の力が同時に目覚めることはない。
ユニコーンが建国したソレイユ帝国に住む者たちはユニコーンの光の恩恵を受けて雷と治癒の力を操る魔力を持つものが多い。しかし二つ同時に操れるのは性別のいかんに関わらずユニコーンの子孫で直系の長子、つまり現在では先代の賢者であった娘のアリシアのみであった。そしてアリシアが死なない限り、次の賢者はアリシアが産んだ最初の子供ということになる。これは他国の聖獣の末裔である賢者、そして聖女にも共通して言えることであった。
さらに一般の者たちを基準に話を進めると、魔力は必ずしも遺伝するとは限らない。両親に魔力があったからといって生まれた子供が魔力持つという規則性はないのだ。扱える力も家系のルーツによって異なる。例えば、祖先の代よりノルフェン王国に住んでいた者たちが、ソレイユ帝国に移住することになっても、そこで光の魔力を持つソレイユ帝国の民たちと交わらぬ限り、光の魔力を持った子が生まれることはない。
だがそれは一般的な民の話であって、生まれながらにして強力な魔力を受け継いだアリシアは、たとえどんな逆風に吹かれようとも国の表舞台に立つ義務があった。
『それが力を持った者の運命ですよね』
その力が国に災いをもたらしたというのに、現実は残酷だと実感する。
『そう悲嘆するな。お前も公国の騎士団の団長となり一年が経とうとしている。この任務を機会に、人の上に立ち、指揮するということの難しさ、そして真実に辿り着くことへの厳しさを知るといい。お前が母国に帰った時に活かせるように』
『師匠』
言葉を被せるように、アリシアは大公を別の名で呼んだ。公の場では言うことがない、二人だけの時に許された呼び方だ。
『なんだ』
大公はあまりいい顔をしなかった。アリシアがこうして“師匠”と呼ぶときは悩み事を話す時だと決まっているのだ。
『本当に私のこの力は……誰かのためになるのでしょうか。魔力は本当に必要なものなのでしょうか』
室内が沈黙に満ちる。大公の言葉を待っていたが、その空気が気まずくアリシアは自ら喋り始める。
『魔力がなければプルエミの街が滅ぶことはありませんでした。それに、魔力の存在そのものが戦争を助長しているのではないかと思うのです。騎士団に入団し、各国を巡歴して感じたのです。各国は自国にはない魔力を得て国力をつけるために、戦争を繰り返しています。魔力がある限り、戦はなくなりません』
『それは違うな』
大公は語尾を強めてはっきりと断言した。
『人は愚かだ。欲がある限り、魔力があろうとなかろうと恐らく争いは絶えない。お前の過去のことは偶発的に起こったことだ。お前の未熟が引き起こしたことだ。与えられた力のせいにするでない』
痛いところを突かれて、アリシアは言い返す言葉が見つからない。大公の言うように、自分の心が過去の罪から逃げられるように、都合のいい解釈をしていた節があったからだ。
『つまらぬことをお聞きしました』
『アリシア』
部屋を出ようと踵を返したアリシアを呼び止めると、大公は立ち上がって気落ちしているアリシアの肩を励ますように叩いた。
『己と向き合い、真実を見つけなさい。そうすれば、お前の希望も叶うやもしれん』
アリシアは手紙を書き終えると、おもむろに立ち上がって閉め切っていた窓を開け放った。そこから身震いするほどのひんやりとした風が吹き付けて、カーテンが大きく揺れる。自分の吐く白い息を眺めながら、アリシアは窓辺に寄りかかり、冬の冷気で頭を冷やしていた。
(真実……か)
災厄、化け物、悪女、ありとあらゆる罵詈雑言を耳にし、この身に宿るとされる力を幾度となく恨んだ。なぜ自分がこんな目に惨めな思いをしなければならないのかと何度も泣いた。
どんな努力も、自分に対する人々の心象を変えることはできなかった。本当にこの先、自分が真実を見つけることができるのだろうか。
(そもそも、自分に街を滅ぼすほどの魔力を感じたこともないのだけれど)
周囲は自分のことを災厄を呼ぶ魔力を有していると謗るが、生まれてこのかた感じたことがないユニコーンの末裔としての力。本当に【プルエミの悲劇】が自分の力によって引き起こされたのかも疑わしい。
自分の手のひらを見つめていると、朝の青空からは一転した鈍い色の雲から雪が舞い落ちて体温に溶けて消えた。
(考えていても仕方がない。今は目の前の事実に集中しなければ)
ノルフェン王国がエイレーネ公国の者と通じて停戦調停を自国にとって有利に進めようとしていることは、審問官として行ったこの数ヶ月の調査で分かった。すでに犯人の目星はついていたが、その者が手を引いていたという決定的な証拠が必要だ。
(みんなは今頃……聖都に着いた頃からしら)
本来、停戦調停は明日行われると思っていたため、ひと足早く戻ったアリシアを除く第一騎士団の団員たちは今日聖都に戻り、明日に備える手筈になっていた。
今となっては自分だけでも戻ってこれたことを幸運と思うべきなのだろう。
アリシアは執務室の止まり木に大人しく立っていた梟を撫でると、翼のつけ根あたりに備えられたポーチに手紙を入れる。すると待ってましたとばかりに梟は窓枠まで移動し、アリシアに振り返る。
アリシアは導石と呼ばれる石を懐から取り出すと、金色の光がとある場所に向かって真っ直ぐに伸びた。この石は魔力の宿った特別な石で、持ち主の目的とする場所まで光を指して導いてくれるものだった。方位磁針や地図などが必要のない画期的な石だが、非常に希少なものであり、エイレーネ公国が大陸の導石の管理を行っているので、一般的には流通していない代物だ。公国の中でもこれを持つ者はごく一部の人間に限られる。
光は一瞬で消えたが、魔力によって訓練された梟は普通の伝書鳥と違ってその光の痕跡を辿ることができるため、梟は消えていく光を追いかけるように外に飛び出した。
その姿が見えなくなるまで見送った後、すっかり冷えた頬を叩き、窓を閉めようと手を伸ばす。その時、黒い物体が目にも留まらぬ速さでこちらに急降下してくるのに気付いた。
アリシアの部屋が分かるように窓から手を振ってみせると、物体は折りたたんでいた翼を大きく広げて速度を緩めた。何度か羽ばたくと、アリシアのいる部屋の窓枠に着地した。
「ほ…ほらよ……例のものだぜ…」
トトが脚をガクガクさせながら掴んでいた封書をアリシアに渡す。その身体の体毛は所々凍っており、アリシアは窓を閉めると、急いで暖炉の前に毛布を敷き、その上にトトを寝かせた。
ふう、と深く息をこぼし、身体を震わせて水滴を飛ばしている様子を見ながら、アリシアはトトが届けてくれた封書に目を通す。
「そうそうお前の読み通り、その封書は第三騎士団の奴の部屋から出てきたぞ」
「ちなみに、誰の部屋から?」
「ふっ、誰の部屋だと思う?」
質問に質問で返すことで意地悪をして、トトはこき使われた憂さを晴らそうという魂胆だったが、アリシアは悩む表情をみせなかった。
「第三騎士団の副団長、レヴァン・シリルかしら?」
「なんだよ!知ってたのかよ!」
「ふふ、偶然ね。向こうから尻尾を出してくれたのよ。随分とまあ、お粗末だったけれど」
頑張って損したとばかりにトトは気だるそうに毛布に突っ伏す。
するとちょうどよいタイミングで部屋の扉が叩かれた。
「アリシア卿、パトス大公邸からドルカ・シリルをお連れいたしました」
名前を聞いたトトが頭をもたげる。
「ドルカ・シリル?ああそうか、あいつら兄妹だったなあ」
「そうなのよ。敵は意外と近くにいたわね。それにこれも」
アリシアは第二騎士団から届けられたニコラ卿についての報告書をトトに見せると、はてと難しい顔をした。
「そいつがどうかしたのか?」
「彼はね、第三騎士団でありながら赴任地を離れて宮廷の門の警備にあたっていたの。それも、ソレイユ帝国からの使者を調停の場に出席させぬように門前払いまでしていた。誰の指示に従っていたと思う?」
トトが勝ち誇ったようににやりと笑う。
「とんでもねえペテン師が騎士団にいたもんだ」
つられてくすっと笑ったアリシアが伸ばした腕に向かって飛ぶと、腕を伝っていつもの位置である肩に落ち着く。
「行きましょうか。陰謀だらけの調停へ」