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【災厄】と呼ばれた悪女の軌跡  作者: 冬李
第一幕 帰還
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第三話

 全身の痛みの感覚が薄れ、視界がぼやけてきたところで、フィリーは気が遠くなるのを感じていた。

(私は世間知らずで甘かった)

 無事にメイドになれたものの、現実は厳しいものだった。

 聖騎士団の努めが忙しく、アリシアが屋敷には滅多に戻らないことを知らされて落ち込んでいるところを古参のメイドのドルカに気付かれてしまい、嫌がらせを受けた。初めはこれといって害がないものが多かった。自分の物が頻繁に失くなったり、担当する業務以上の仕事をさせられたりと、子供でも考えつくような幼稚さゆえに気にも留めなかったが、態度が一変したのは公国からアリシア宛に届いた封書をドルカが執事長の部屋から盗んだところを見た時からだった。


 他のメイドを従えて暴力を振るうようになり、周りのメイドは誰も彼女を止めなかった。いや、止められなかったというのか正確だろう。彼女の家門のシリル家は昔からエイレーネ公国に存在する子爵であり、兄は聖騎士団の第三騎士団の副団長という地位にあるため、強固な後ろ盾がある彼女に誰も逆らえなかったのだ。

 執事帳の部屋に忍び込んでまでなぜ封書を盗み、偽りの内容を伝える必要があるのか、ドルカが何を企んでいるのか詳しいことまでは分からなかったが、アリシアにとって良くないことになることは想像がついたため、命令に背いて公国からの手紙の内容をアリシアに正確に伝えたのだった。

 心残りなのは、かねてより会いたいと望んでいたアリシアに会えたにも関わらず、ドルカの指示を無視した自分がこれからどんな目に遭うのか考えるとぞっとしてしまったことだった。おどおどしてうまく喋ることができなくて、そのせいでアリシアも警戒心を解くことがなかった。


(あなたには伝えたいことがあったのに)


 たった一言、私はあなたを信じていると言えないことがこれほどまでに悔しいとは。

 床に倒れて、小さく呼吸を続けるのがやっとのフィリーの現状などに構うことなく、ドルカは壁に立てかけていた箒を手に取る。


「何?か弱いフリでもしているのかしら?さっさと―」


 ドルカが持ち手の柄の部分を振り上げたと同時に、荒々しい音とともに突然小屋の戸が開かれた。


「スープを持ったメイドが屋敷の裏側に向かうところを見かけたものだから、後をつけて来てみれば…私には立派ないじめにみえるけど?」


 メイドたちが一斉に振り返った視線の先にはアリシアがいた。その後ろには屋敷のメイドを統括する侍女長も控えており、その場にいた者たちの顔が青ざめていく。


「侍女長、あなたはこれを見ても“教育”だと言い張るのかしら?」


 感情のない冷ややかな口調で尋ねられた侍女長は、頭を垂れながら静かに首を横に振った。


「申し訳ございません。わたくしの監督が至らぬところでございます」


「理解が早くて助かるわ」


 背筋を凍らせるような銀色の鋭い視線が立ち竦んでいるメイドたちを捉える。


「誰の許可を得て突っ立っているのかしら?跪きなさい!」


 空気を震わせるような怒号に、次々とメイドたちが膝を折って、額を床に擦り付けて謝罪の姿勢を取る。唯一、ドルカだけはこの状況が受け入れられないようで歯を食いしばって屈辱に耐えていた。

 アリシアはゆったりとした足取りで彼女に近づくと、その手に握られていた封書を取り上げた。その内容を一読し、アリシアは再びドルカに目を向ける。


「どうして公国からの私に届いた親書をあなたが持っているの?」


「そ…それは」


 しばらく顔を逸らして言葉を探していたが、何か思い付いたのかドルカの目に精気が宿った。


「こ…この新米のメイドが執事長の部屋から公国の手紙を盗んで、嘘の情報をアリシア様にお伝えしていたので、罰を与えていました!」


 アリシアは首を傾げた。


「どうして罰を与える必要があるの?私はこのメイドから手紙に書かれていることと同じ内容を教えられたわよ。手紙を読んだら虚偽の報告でないことは分かると思うのだけれど」


「……!」


 言い訳をして責任を転嫁するつもりが墓穴を掘ることになり、冷や汗の止まらないドルカの肩にそっと手を置き、アリシアは距離を詰める。


「それとも虚偽の報告をこれからさせようとしていたのかしら?それなら言うことを聞かせようとして卑劣な行為に出ていたのも納得がいくわね」


 全てを見透かされていると観念したのか、ドルカがその場に力なく崩れ落ちる。


「侍女長、後のことは分かっているわね?」


「はい、承知いたしました。本日をもってドルカ・シリル、デジー・ニトラ、ペト・オルカ、リダ・ミルカの四名に暇を取らせます。執事長にはわたくしが責任を持ってお伝えいたします」


 侍女長の言葉に、アリシアが静かに首を振った。


「いえ、わざわざ暇など取らなくて結構です。退職金を渡してこの屋敷から即刻出て行ってもらってください」


「な……っ!」

 

 侍女長を前にしおらしい態度を取っていたドルカたち四人のメイドが弾かれたように顔を上げ、目の色が変わっていく。四人は今にも掴みかかりそうな勢いでアリシアに敵意を剥き出しにしていたが、侍女長がそれを制するように会話を続ける。


「アリシア様、何も若く未熟なメイドにそこまでなさる必要はないかと。それに彼女たちの生家はエイレーネ公国の宮廷に仕えている家門ばかりです。古くから公国に貢献している忠臣の家門を蔑ろにしてしまっては大公の立つ瀬が……」


「では古くから公国に仕えている由緒ただしき家門の者は、このように誰かを傷つけていいのですか」


 アリシアの淡々とした口調の中に混ざる怒気と、刺すような視線に、侍女長はそれ以上は何も言うことはなかった。無言で頭を下げると、メイドたちにこの場を出るように促す。

 しかし、たった一人だけ異を唱える者がいた。先ほどから怒りに肩を震わせていたドルカ・シリルだった。


「この悪女!みんなが仕方なく言うことをきくのは、アンタが聖女様と元老院(セナトゥス)様に守られ、お情けで就いた正義の使徒(アストレア)の聖第一騎士団の団長という地位のおかげだからよ!偉そうに気取って調子に乗るんじゃないわよ!」


「言いたいことはそれだけ?」


 大声を上げて息が乱れているドルカを感情のこもっていない目で見据え、アリシアは大きなため息をつく。

 

「怪我人の手当をいそぐわ。早く連れて行って」

「かしこまりました」


 素早く返答し、侍女長は厳しい目つきでドルカたちに退出の指示をだす。


「アンタなんか…母国に滅ぼされたらいいのよ!国に賢者として戻ったら聖女様と元老院様の庇護も、騎士団長という名声も失うんだから!」


 最後まで捨て台詞を吐き捨てて、ようやく小屋が静けさを取り戻す。


(ア…アリシア様が助けてくれた?)


 意識が朦朧としている中、フィリーはあの時に見たアリシアの銀色の優しい瞳を確認できると、か細い声で自分の名前を名乗り、安心して目を閉じてしまった。




「私はフィリー・ラリスと申します…。ずっ…と、お会いしたかったです……」


 そう言ってフィリーと名乗ったメイドはアリシアの腕の中で意識を途切れさせた。


 人間の防衛本能の一環で、傷つけられた身体が危険を感じて回復に専念することを選んだのだろう。脈も安定しているし、呼吸も乱れていないので命の心配はないが、傷を残さないように手当をしなければならない。


 傷に触らないようにフィリーを毛布に包んでから抱えて小屋を出ると、侍女長の後に続いて屋敷に戻る四人のメイドが恨めしそうにアリシアを睨んでいた。その先頭のいるドルカ・シリルの根の深さは相当なものだった。


(確かシリル子爵の娘よね…。あー、あの公国からの手紙を私に運んだ騎士が兄のレヴァン・シリルだったのよね。これからも会うことがあるし第三騎士団の副団長だからいろいろやり辛いわね)


 これから宮廷に向かうが、第三騎士団も任務の件で召集を受けているだろうし、顔を合わすのは避けられない。妹が奉公先から泣いて戻ってきたらとなれば何かとやっかみを受けるかもしれない。

 やれやれと肩を落とすアリシアだったが、ふとある考えが浮かんできて、医務室に向かいながら一考する。


(まって、ドルカの兄のレヴァンから渡された封書には宮廷に行くのは明日と書いてあった。でも屋敷に届いた封書には宮廷に行くのは今日と記されていて、ドルカは一日遅らせようとした…)


 医務室にいるパトス大公家専属の医師にフィリーのことを任せ、その廊下で腕を組みさらに熟考する。


 二人の共通点はシリル家という由緒正しい貴族である点だ。魔力の才もある家系で、欠点があるとすれば風習や格式にこだわって贅を尽くすため、それほど裕福ではない点だ。

 そもそも、公国からの親書は屋敷の執事長が管理している重要物であり、メイドがそれを手にしていることがおかしな話だった。


(シリル家がこうまでして私を止めたいということは…何か利益があるからとしか考えられない)


 散りばめられていた欠片が一つずつはまっていき、策略の全貌が見えてきた気がしたアリシアは屋敷を警備していた騎士に命を下す。


「エイレーネ公国、聖第一騎士団団長アリシア・リコルヌの名のもとに、ドルカ・シリルを今すぐ拘束して、宮廷へ連行しなさい!」


 慌てて騎士たちがアリシアの命に従ってメイドたちの部屋に向かう。


(なるほど、私を停戦調停の場に来させないつもりね)


 くだらない欲のために、数ヶ月の努力を無駄にするわけにはいかない。絶対に、権力者の思うままになってやるものか。

 思った以上の深刻な事態に、アリシアは急いで厩舎に向かうと、手入れされた愛馬に飛び乗って、宮廷へ走らせた。 


 

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