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【災厄】と呼ばれた悪女の軌跡  作者: 冬李
第一幕 帰還
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第二話

 屋敷の裏側にある物置小屋に引きずられように連れてこられたフィリーはこれから自分の身に降りかかることについて覚悟をしていた。

 小さな窓が一つしかないためろくに換気もできておらず、陽光がわずかに射し込むとちらちらと埃が舞っているのが見えた。そんな薄暗い小屋で、三人のメイドに囲まれてフィリーは身構える。


「アンタ、余計なことをしてくれたわね…!」


 勢いよく頬をぶたれると、フィリーは目眩をおこしてよろめき、そのまま尻もちをついてしまう。とっさに床についた手の衝撃が骨を振動させて、腫れていた腕に激痛が走る。

 その痛みをぎゅっと唇を噛んで堪えていると、今度は束ねている髪を乱暴に掴まれて揺さぶられる。眼前には鬼の形相をしたこの屋敷で長年働いている赤毛が特徴の古参のメイドのドルカの顔が迫っていた。


「あいつには嘘を吐けって言ったわよね?()()()()()宮廷へ向かうように伝えろと!」


 ドルカが片手に握りしめている公国から届いた封書を見ながら、フィリーは力なく首を振った。


「その手紙にははっきりと、“今日”と書いていました…それに、私たちのような一介の使用人が公国からの封書を勝手に盗み見ることはあってはならないこと!これは聖女さまのお考えに背く行為です…!」


 声を振り絞って意見を主張すると、ふっと掴まれていた髪を放される。予想に反して、あっさり解放されたことに拍子抜けしていると小屋の戸が開いて、メイドが何かが入った木椀を持ってきた。それを受け取ったドルカがにやりと不気味に笑う。


「お腹が空いていると人って冷静じゃいられなくなるのよ」


 先程の話の内容からずれた言葉に、フィリーは反発する。


「別にお腹など空いていません。私はただ他人を欺くようなことを…」


 言葉を切ったのはドルカが手にしていた木椀をひっくり返して、熱いスープをフィリーの頭に注いだからであった。

 皮膚を刺すような熱に思わず悲鳴を上げて床に転がるフィリーが滑稽で、メイドたちが腹を抱えて吹き出す。動かなくなったフィリーのそばにしゃがみ込み、ドルカが耳元で囁いた。


「さあ、お腹も満たされたことだし、分かるでしょう?もう一度チャンスをあげる。さっきの伝言は間違いだったとあいつに言ってきなさい。そうしたら許してあげる」


 無様な自分を見てクスクスと嫌らしく嘲笑する声を耳にしながら、溢れてくる涙を見られないようにフィリーは手で顔を覆って、必死に顔を隠した。


(せっかく…アリシア様のおそばで恩返しができると思ったのに…)


 フィリーはアリシアに助けてもらった日のことを、まるで昨日のことのようによく憶えていた。


 




 フィリーはアリシアを尊敬していた。


 この大陸には五つの大国とその中心に永世中立国としてここエイレーネ公国が存在している。遥か昔、人間で初めて神の力―魔力を持って生まれた聖女と、聖獣たちが人を苦しめる魔獣を払い、平和をもたらした。五つの大国がそれぞれ聖獣たちが築いた国に対して、エイレーネ公国は大陸全土の平和を願って初代聖女が建国した国であった。聖女の力を受け継ぐ子孫と、初代聖女から直接魔力を分け与えられた忠臣とされる五人の人間の子孫が大公の位を与えられ、【元老院(セナトゥス)】として国の統治と中立国として五大国の争いの仲裁を担い、大陸の平和を守っている。

 そしてエイレーネ公国が大陸の恒久の平和を実現するために設立したのが、【正義の使徒(アストレア)】と称されている聖騎士団であり、剣術と魔力を有し、厳しい試験に受かった者しかなれない狭き入り口だが、アリシアはその聖第一騎士団に所属していた。


 公国は他国と違って広い国ではないため、聖女や元老院(セナトゥス)の他に、古くからこの国に住む者、金と権力で居住権を得た貴族、聖女が魔力を生み出した地でもあるため魔術を極める者、聖騎士団をはじめ、宮廷や元老院を構成している各大公家に仕える者といった限られた人間が住める国だった。

 フィリーは代々調教師を務めるラリス家に生まれ、基本的な教養も身につけて何不自由なく育った。魔力を持っておらず、貴族でもないが、従順で質のいい馬を数多く調教し、公国の聖騎士団に献上してきたために居住を許されていた。


 幼い頃から馬を見て育ったフィリーはラリス家の者らしく馬好きに育ち、調教師を目指していた。

 家業を継ぐための一環として暴れ馬の躾をしていた時、一瞬の気の緩みを突いた馬がフィリーを背中に乗せたまま暴れ狂い、止めに入った父の制裁を振り切って放牧場から脱走し、街に飛び出したことがあった。あわや街の人にぶつかり、大惨事を招きかねないところを救ってくれたのがアリシアだった。

 気が動転し、フィリーは息を吸うこともままならなかった。なんとか馬の手綱を握って振り落とされないようにするのが精一杯だった。恐怖で目を閉じていると、背後から鋭い声が飛んだ。


『目を開けて、大きく息を吸って!』


 その声を聞いてようやく自分がうまく呼吸ができていないことに気が付き、はっと目を見開いたフィリーは思い切り息を吸い込んだ。すると暴れ馬に気づいていない幼い子供が眼前に迫っていた。街道脇の人々が悲鳴に似た声を上げている。声の主はこの状況をフィリーに伝えようとしていたのだ。


『そのまま手綱を思い切り引いて!』


 衝突を避けるために深く息を吸った勢いで、フィリーは精一杯に手綱を引いた。驚いた馬が前脚で宙を蹴り、後脚で立っている体勢になった。


 それからの後のことはまさに一瞬の出来事だった。


 どこからともなく現れた聖騎士団の制服を着た彼女は、颯爽と自らが乗っていた馬からフィリーの乗っていた暴れ馬に飛び乗り、フィリーに代わって手綱を制御すると、慣れた手付きであっという間に興奮状態だった馬の動きを止め、落ち着かせたのだった。何が起こったのか頭が追いつかずに呆然としていたフィリーの目に映ったのは、全く人に懐かなかった暴れ馬がたった今現れたアリシアに鼻面を撫でられ、気を許している様子だった。

 別の馬でフィリーを追いかけてきた父も言葉を失っていた。

 民衆の視線を集めるなか、親子で何度も頭を下げて厚く礼を述べ、お詫びをするために名前を伺ったがアリシアは名乗らなかった。

 食い下がるフィリーとその父を横目に、アリシアは馬とぶつかりそうになった幼い子供が泣きながら母親に抱かれている様子を眺めていた。


『名乗るほどの者ではありませんので』


 そう言って自らの馬に跨がりながら、


『困っている人がいれば助けるのは人として当然。あなたたちと街の人が無事で何よりです。それにこの馬は警戒心が強いだけで、足も早い良い馬です。立派に躾けてあげてください。目立ちますから、私はこれで失礼いたします』


 と言い残していそいそと立ち去ってしまった。


『あの方は…もしや』


 父は相手が誰か検討がついているようだったが、フィリーにはその格好から聖騎士団の者であること以外は彼女のことを知る術はなかった。

 人が行き交う場所にいてはまた馬が興奮するかもしれない恐れがあったので、フィリーたちは家に戻ることにしたが、その去り際に人々の立ち話が聞こえてきた。


『どうせ馬を狂わせたのも自分の魔力でしょうに。わざわざ民を救う演出を見せつけるために自作自演するなんて』


『さすが“災厄”を呼ぶ悪女。恐ろしいったらないぜ。これ以上、罪のない民を巻き込まないでほしいものだな』


『な……!』


 聞くに堪えない暴言を悪びれることもなく口にする者たちの気が知れなかった。

 さらには子供の危機を助けてもらった母親が、まるで汚いものでも見るかのような、嫌悪感を顕にした様子でアリシアが去っていく姿を睨みつけていた。


『悪魔のような女。よくもまあ私の子供を危険な目に…。あんなやつこの世からいなくなってしまえばいいのよ』


 受けた恩を仇で返すような言葉を吐き捨てて。

 フィリーは理解できない現状に頭がおかしくなりそうだった。

 誰がどう見ても馬を暴れさせ、街まで来てしまったのは自分の落ち度に他ならず、彼女は危機を救い、感謝されてしかるべきことをした。なのに恩をひけらかすことも、驕ることもなく、助けることは当たり前だといったのだ。なのにこの仕打ちは人としてあまりにも愚かではないだろうか。

 驚きを通り越して憤りがこみ上げてきたフィリーは本当の事実を言おうとしたが、その歩みを父に止められた。


『どうして…!馬が暴れだしたことにあの方は関係ないのに!』


 父に掴まれた腕を力づくでも振り払おうとしたがその眼力に気圧されて、フィリーは怒りを押し込めながら、帰路についた。

 そしてその夜に家で父から聞かされたのは大陸の西に位置し聖獣ユニコーンの末裔が治める五大国の一つ、ソレイユ帝国の最も歴史のある都市、『プルエミ』で十三年前に起こった凄惨な事件だった。

 アリシアの母である先代のユニコーンの力を継ぐ賢者―エレノア・リコルヌは当時の公国の聖女を攫い、プルエミの大神殿に閉じ込めてその力を独占し、娘であるアリシア・リコルヌの魔力を高めようと企んだ。しかし、先代の聖女や聖獣の末裔の賢者たちの魂がこれを黙って認めるわけもなく大罪人に罰を与えた。

 アリシア・リコルヌの魔力が暴走し、邪悪な黒い稲妻が街を襲い、炎が燃え盛り、大地を焦がしたのだ。娘の魔力に呑まれてエレノア・リコルヌは亡き者になり、聖女はこの暴走を止めるべく力を使い果たしてしまった。


 聖女を拐かした者の娘で、街を滅ぼし、“災厄”として忌み嫌われた幼い少女が母国のソレイユ帝国にてどのような扱いを受けるのかは明白であった。しかし、ユニコーンの血を受け継ぐ賢者は国同士の均衡を保つためにも必要不可欠な存在であると判断した公国によって十八歳に成人するまで彼女を保護することになった。公国の者たちからも、恐ろしい力を持つ賢者の血を引く少女を保護することに強い反発を受けたが、大陸の平穏のためという聖女と五大公たち元老院(セナトゥス)の判断は絶対であり、受け入れざるを負えなかった。


 五大公のうちパトス大公がアリシアの後見人を引き受け、公国の恩情に報いるべくアリシアは聖騎士団に入団し、さらにその功績が認められて今では聖第一騎士団の団長を務めるまでに至るというわけである。

 初めてこの話を聞かされたフィリーは、それでもなお街の人々が見せた態度が気に食わなかった。


(だって、アリシア様は何も悪くないじゃない!)


 責めるべきは欲望のために娘を巻き込み、聖女を拉致した先代の賢者ではないのか。なぜ彼女が全ての罪を背負って、あらゆる人たちからここまで目の敵にされなければならないのか。それに十分償いは果たしているようにも思える。もうすぐ成人の十八を迎えるという若さで聖第一騎士団の団長になることはまずない。本人の血の滲むような努力に加えて、卓越した剣術と魔力があってこそだろう。

 自分と二つしか変わらない年下の娘が周囲に冷遇され、孤独の中を生きていると考えるとフィリーはその心中を計り知ることができなくて身震いした。どんな名誉をもってしても、過去の悲劇が全てを消し去り、軽蔑の目を向けられるのだから。


(今日私が見たアリシア様は、みんなが思い描いているような人ではなかったわ)


 フィリーは馬を慈しむように撫でていたアリシアの優しい瞳が目に焼き付いていた。

 動物は時に人より優れた感覚で相手に接すると父は常々口にしていた。馬が短時間のうちに心を開いたのはアリシアが決して悪い人ではないからだ。


(私は自分の目で見た事実を信じる)


 噂や偏った他人の意見で物事を判断しない。だから他のみんなが敵となっても、自分だけはあの人の味方でいようと決めたときから居ても立っても居られなくなった。

 両親を説得してラリス家の家業を弟のカリトンに任せると、アリシアに仕える侍女になろうと意気込み、フィリーはその純真な心でパトス大公の屋敷のメイドに応募したのであった。


 


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