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【災厄】と呼ばれた悪女の軌跡  作者: 冬李
第一幕 帝国への帰還
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第十七話

 エイレーネ公国にて、長きに渡って戦争を繰り広げたノルフェン王国との波乱の停戦調停を、皇帝の代理としてなんとか乗り越え、ソレイユ帝国への帰路についたリュシアンたちは、仮拠点を置いていたノルフェン王国との国境地に戻る間もなく、王宮に呼び出された。

 王宮へと向かう馬車に揺られている時から、リュシアンの心はざわつき、嫌な予感がしていた。

 停戦調停で決定した事項に関しては、エイレーネ公国にて正式に発行された書状をすでに伝書鳥を飛ばしている。国の中枢の者たちが知りたがっているであろう項目はその書状に全て詰まっており、抜かりなく報告を終えているのだ。


(しかしこうして休む暇も与えずに王都へ呼びつけるということは……)


 十中八九、停戦調停の内容に不満を抱いているに違いない。

 自分たちの利益しか頭にない貴族たちの考えが透けて見えるようで、リュシアンは苛立ちを募らせた。


(戦争が終わったとはいえ、その被害がすぐに収束するわけではない)


 戦場となったノルフェン王国との国境は、両軍の魔力のぶつかり合いで大地は枯れ果て、十分な食糧も、雨風をしのいで安らげる場所もなく、民は身体にも心にも深い傷を負い、明日の命も保証できない日々が今もなお続いている。

 国境地は正式にはリュシアンの領地ではなかったが、国境付近を守っていた領主が我が身可愛さに、貴族の本文を忘れ、己の領民を見捨てて逃げ出していた。

 国境は国防拠点としてなくてはならない場所だ。この重大さを悟った王都の貴族たちが、十六歳であった当時のリュシアンを仮領主として赴任させ、ノルフェン王国との戦争に本格的に参加させたのだった。


(これからが、復興に向けて大変だというのに)


 リュシアンは馬車の窓から、まだ夜が明けきらぬ空を見つめる。


(いや、今に始まったことではないか)


 しかし、一部の貴族が自分のことを目の敵にしているのは、幼い頃からよく理解していた。

 

 リュシアンは、プルエミの悲劇で親を失い、路頭に迷っていたところを偶然皇帝に拾われ、保護された。

 出自が不明な孤児にもかかわらず、皇帝は自分の子供たちと同様、家族のようにそばに置いてくれた。奴隷や召使いとして扱われるだけでも十分なところ、ついには養子として迎え入れられたのだ。

 その異例の待遇に、血統・伝統・しきたりを重んじる保守派の貴族たちにとっては自分の存在はさぞ不愉快であったのだろう。社交界での些細な嫌がらせは日常茶飯事であり、婚外子や妾の子ではないかという噂も後を絶たなかった。

 だが幸いにもリュシアンには強い魔力と武術の才があった。皇帝とその家族に恥をかけぬように、受けた恩を一生懸命返すように、血の滲むような努力を積み重ねた。

 己は国に仕えるべき臣下であることを肝に銘じ、まるで死んでこいとでもいうように、権力を持つ貴族たちに激戦地である国境に送られても、ひたすらに戦場で剣を振るった。

 

(そしてきっと、この停戦調停での皇帝代理という役も、俺の失脚を狙った貴族たちの謀略だろう)

 

 リュシアンの勘は的を射ていた。


 謁見のために参上した王族および政治的権力を持つ高位貴族たちが集う玉座の間で、リュシアンは膝を折り、停戦調停の結果を含めた報告を終えたところだった。


「うむ、此度の務め、大義であったぞ。そなたのおかげで占領されていた我が領地は全て戻り、賠償金も得ることができた。戦争で傷ついた民の助けになることができるだろう」


 ソレイユ帝国の皇帝、オベール・ルロワが、玉座に腰掛けながらも、温かい眼差しで、リュシアンに労いの言葉を掛ける。


「いえ、私は当然のことをしたまでです。これからも陛下の忠実な臣下として……」

「ええ、これぐらいは当然ですとも、天下のジラード侯爵」

 

 リュシアンの話を折って、さっそく報告の内容に意義を唱える者が現れる。

 嫌味とともに口火を切ったその貴族を顔をみて、リュシアンは顔をしかめた。


(アロガン・ブリエ……俺を敵視している貴族の筆頭だな)


 皇族の親戚であるブリエ公爵家の当主だ。貴族らしく、何よりも伝統と血統を重んじており、その考えを根底から否定したようなリュシアンの存在を疎ましく思っている貴族である。


「しかしこの条件はいささかそなたの力が足りておらぬのでは?我々は十年も戦争をしていたのだぞ?その対価が奪われていた領地の返還と、たった二年分の国家予算にあたる賠償金とは……。皆様方、戦場ではあれだけ勇猛果敢に敵陣を突破し、民から【軍神】と崇められるジラード侯爵が、停戦調停でこれっぱかしの条件で戦争を終わらせたなど……手を抜いたと考えられませんか?」


 口々に好きなことを言っている貴族たちの声を遠くに聞きながら、リュシアンは部下たちをここに連れてこなくて良かったと人知れず安堵していた。とくにエクトルなんかは感情を抑えきれず、貴族を殴って不敬罪に問われていてもおかしくはない。


「皆のもの、静粛に」


 ざわめきを制するように声を上げたのは他でもない皇帝だった。


「ジラード侯爵、そなたの意見を聞こう」


 発言する権限を与えられ、リュシアンは立ち上がると、堂々と前を向いた。


「公国の書状にもある通り、我が国がプルエミの悲劇にて国力を落としていた同時期に、ノルフェン王国は大雪に伴う食糧不足で国難の最中にありました。かといって、戦を仕掛けるのは許されることではありませんが、互いが憎み合わない形で穏便に戦争を終えられるのが、この条件だと判断いたしました。これには、エイレーネ公国の正義の使徒(アストレア)、聖第一騎士団長であられるアリシア卿の考えも反映されていまます」


 その名前を聞いた瞬間、玉座の間がどよめいた。


「エイレーネ公国の聖第一騎士団長のアリシアといえば、プルエミの悲劇をもたらした【災厄】ではないか……」

「【災厄】が己の国を救うのは当然のことであろうが!仮にもこの国の賢者であるぞ!」

「なんと恩着せがましい……これで過去の罪は許されるとでも思っておるのか」


 自分への誹りならいくらでも聞き流せるものの、アリシアの罵詈雑言だけはやけに耳についた。


(何も知らないくせに……)

 

 この停戦調停を結ぶにあたって、彼女がどれほど奮闘していたのか知りもしないくせに。

 リュシアンは目を見開き、物申そうと口を開きかけたが、ふと玉座の皇帝と目があい、口を閉じた。

 下手な意見は皇帝の迷惑になり、アリシアのことも必要以上に蔑まれるかもしれない。リュシアンはわずかでも冷静さを欠いた自分にそう言い聞かせて、ぎりぎりのところで怒りを鎮めていた。


「そこまでだ。アリシア卿はこの国の賢者……本来であればこの国の皇帝になるべき正当な血統を受け継ぐ者。そして昨日、エイレーネ公国より便りが届いた。彼女は約ひと月の後、我がソレイユ帝国へ帰還する」


 皇帝の言葉にその場にいた誰もが唖然とした。リュシアンも驚いて皇帝を見上げたが、エイレーネ公国にて交わしたアリシアとの会話が唐突に思い出された。

 停戦調停の後もしばらく議会場に残っていたアリシアを心配すると、彼女は、


『元老院に呼ばれたのだって、実は……』


 と言いかけていた。その時に自分が帝国へ戻ることを聞かされたのだろう。


「陛下、よもやあの【災厄】をもたらした悪女を皇族として迎え入れるつもりで?」


 一人の貴族の進言に、皇帝が不満げに眉を顰める。


「なぜそのようなことを?彼女の血筋の正統性は皆もよく存じていることだろう?帰還を祝した大規模な晩餐会も行うつもりだ」

「奴をつけあがらせてはなりません!」

「これは陛下の権威に関わる問題ですぞ!」

 

(本当に陛下のことを心配しているわけでもないだろうに)


 自分たちが振りかざせる権威を失うことを恐れている小心者が並べる御託にうんざりしていると、そのざわめきの中から一人の青年が、「よろしいですか?」と手を挙げながら前に進み出た。


「盛り上がっているところ申し訳ないのですが、この停戦調停の内容を受けた我が帝国が、被害を受けた戦地を含めてどのように復興させていくのか、それを決めるのが最重要事項ではありませんか?」

「その通りだ、シュバリエ家の後継よ。賢者の件については、後日議題にかけることにする」


 ソレイユ帝国の貴族の中でもとりわけ権力を持つ三大建国家臣の一つ、武を司るシュバリエ侯爵家の次期後継者であり、リュシアンとは腐れ縁のレオンが、皇帝の言葉に恭しく頭を下げる。


「停戦調停の件に関しては、ジラード侯爵の判断は懸命だった考えます。エイレーネ公国は永世中立国です。そんな国で欲をかけば、たださえプルエミの悲劇の件できつく睨まれているというのに、また足元をすくわれかねません」


 レオンの発言に、リュシアンの時に文句を言っていた貴族たちも渋々押し黙る。

 伝統ある由緒正しい貴族の意見ともなるとこうも素直になるのかと、リュシアンは貴族の変わりように一周まわって感心していた。


「早急に決めねばならないのは、あの悲劇以降、不安定な状況が続くプルエミの街付近、そして戦地となった国境の復興です」


 示し合わせていたわけではなかったが、ふとレオンと視線があい、後に続くように自然に促されたリュシアンはようやく口を開いた。


「私はこの数年間を戦地で過ごしてきました。故に早急な支援をお願いしたいのです。こうしている間にも、民は苦しんでいます。帝国の対応が遅れれば、反乱の原因にもなりかねない、予断を許さぬ状況が続いています」


 ありのままの事実を述べると、国王が真剣な面持ちで、支援策について深く考え込む。

 するとコツコツとあえて靴音を響かせ、レオン同様に皆の前に現れた中年の男がいた。


「そこまで心配なら、そなたがそのまま領主になればよい。無法地帯となっているプルエミの街一帯を含めてな」

「エスプリッツ公爵……」


 メガネを掛け直し、リュシアンを嘲笑うかのような表情をたたえながら進言したのは、三大建国家臣の一つ、智を司るエスプリッツ公爵だった。

 当主のロドルフ・エスプリッツと少しばかり因縁のあるリュシアンは、溢れる不快感を必死に隠そうとしていた。


「お言葉ですが、国境はともかく、あのプルエミの地一帯はソルシエ家の領地です」


 三大建国家臣の最後の一つは魔力を司るソルシエ伯爵家。建国前より初代皇帝を支えて、直々にその魔力を授かったと言われている一族だ。

 初代皇帝ー聖獣ユニコーンと初代の聖女が初めて出会った特別な場所であるプルエミ街一帯は古より皇族への忠誠が最も厚いソルシエが治めていた。

 国境付近に程近いとはいえ、歴史のある神聖な場所であり、ついで感覚で成り上がりの貴族に治めさせるようなところではない。

 

「実はな…、かなり前からそのソルシエ家当主が直々に領地の返上を申し出ているのだ」


 エスプリッツ公爵の発言にリュシアンは目を見開き、慌てて真相を確認すべく皇帝の表情を伺ったが、暗く俯きがちな姿勢が全てを物語っていた。


「あの家は、プルエミの悲劇で当時の当主が亡くなって以降、骨肉の争いが絶えなかったですからなぁ」


 他人事のように語り、薄ら笑いを浮かべながらアロガン・ブリエがエスプリッツ公爵に力添えをするように便乗する。


「しかしジラード侯爵の言う通り、国境付近同様、プリエミは我々帝国にとって重要な場所だ。混沌している時こそ、正しく領民を導ける良き指導者が必要だろう」

「まさにエスプリッツ公爵の仰る通りですな!ジラード侯爵、これは大変名誉なことですぞ?陛下も、これ以上ない相応しい人選だと思いませんか?」


 権力のある貴族の発言により、玉座の間の空気が変わり、リュシアンをプルエミ一帯の領主にすべきという声が大きくなる。

 皇帝は頭を抱え、レオンが苦虫を噛み潰したような顔のまま勝算を推し量る。


 しかしリュシアンの心は至って冷静だった。

 すっと瞑目し、すっと腹に覚悟を決めると、瞼を持ち上げた。その瞳には鋭い光が宿っていた。


「では私が、国境付近およびプルエミ一帯の土地の領主となり、あの土地一帯を復興させてみせます」


 玉座の間全体が響く芯の通った声で、リュシアンはそう言い切ったのであった。

 


「ちょっと、待ちなよルシー」

 

 自分のことを愛称で呼ぶ人間はほんのひと握りだ。

 玉座の間を出て、さっさと王宮から去ろうとしていたリュシアンを呼び止めたのは、レオンだった。


「君さ、プルエミを含めた国境一帯の土地を治めることが、あいつら老害の思う壺だって分かってるの?」

「ああ、十分理解している」

 

 同然のように返答するリュシアンに、レオンが大きなため息をつく。


「まあ……君のことだから、あえて引き受けたんだと思うけどさ。でもあの土地の領主になったからには、これから王宮に呼び出されては、老害たちに君の政策とかに色々難癖つけられ、失脚させようとしてくるよ?きっと、予算だってまともに貰えやしない。特に一番の目的は、皇帝から君を引き離すことだ」

「そんなこと、ロドルフ・エスプリッツが一介の騎士だった俺を、仮領主として体よく戦場に送り出した時から知っている」

「だよねぇ。まあその一介の騎士が凄まじい勢いで戦果を上げて、侯爵位まで上り詰めたわけだけど」


 その時の貴族たちの顔は見ものだったよと思い出し笑いしながら、レオンが続ける。


「でもさ、王権派だったソルシエ伯爵家がほぼ没落といっていい状況の中、ブリエ家とエスプリッツ家筆頭の貴族派を抑えられるのは君しかいないんだよ」

「そのソルシエ伯爵家は本当に、領地を返上すると言っていたのか?」


 疑問を投げかけると、レオンが頷く。


「僕の父上のところにも連絡がきたからね、間違いないよ。そしてプルエミの悲劇から依然として、ソルシエ家当主は表舞台に姿を現さず、所在すらわかっていない。説得しようにも、できないんだよ」

「そうか…。確かプルエミの悲劇は伯爵邸をも破壊したようだからな。それでもお前がいるだろ」


 リュシアンが睨むと、レオンがやめてくれとばかりに手を振る。


「シュバリエ家は中立派なの、わかってるだろ?三大建国家臣はいかなる時も対等でなくちゃいけない。まあ、僕が一番望むのは……」


 飄々とした顔つきから一転、レオンの目つきが真剣なものになる。

 

「“本当にふさわしい王の器を備えた者が、玉座に座ること”だ。つまり、しきたりとか、風習とか、血筋なんてどうでもいい」


 不敬罪にもなりかねない発言であったが、リュシアンは咎めることはしなかった。それは真っ当な意見だと思っていたからだ。

 今この国に必要なのは、そういう人格者なのだ。

 何も戦争だけがこの国を不安定にさせたのではない。利己的な貴族、一族であるユニコーンの暴走により信頼が地に落ちた皇族、そういった為政者たちの状況も要因となっている。


「まあ僕は?君が一番その立場に近いところにいると思っているけどね」

「またその話か。それは違うと何度もいっているだろう」

 

 話が長くなる前にリュシアンはくるりと踵を返す。


「で?皇帝や皇太子も個別で会いたがっていたけど、それにも応えずにどこへ行くのさ」


 すでに歩き出していたリュシアンはその足を止めた。


「決まっているだろう。領地に戻って、復興に着手する」


 振り返らず王宮を後にする友の背中を見つめながら、レオンはそばの城壁にもたれかかった。


(ユニコーン……賢者が帰還するとなると、まだこれから一波乱ありそうだなぁ)


 当分落ち着くことのない情勢を憂うように、レオンは目を細めて、遠い空に視線を移し、しばらく眺めていたのだった。

 



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