第十一話
(この辺りまで来ると決定的な確信犯だな)
第三騎士団の者たちの後をつけていたリュシアンは、思いがけず耳にしたこと、目にしたものが間違いであってほしいと心のどこかで希望を抱いていた。だが彼らが一切の迷いなく厩舎まで来たことで、それはあっけなく打ち確かれることとなった。
「そこで何をしているのですか」
静かな怒りをたたえた声に、第三騎士団の者たちが慌てて振り返る。
身を潜めていた木陰から姿を現したリュシアンを見て、彼らの目に動揺が浮かび、一人の騎士が咄嗟に手にしていた瓶を隠す。
その動きを見逃さなかったリュンアンは回りくどい言い方をして問いただすつもりはなかった。剣の柄に手を伸ばしたまま、騎士たちとの間合いを保ちながら、厩舎が背後になるようにゆったりと移動する。
「悪いが、お前たちの思惑通りに事を運ばせるわけにはいかない」
身体の芯まで冷えるような声色で言い放つと、邪魔者と認識した騎士団の者たちがそれぞれ剣を構えた。どうやら彼らの根みの根深さは相当なもので、冷静な判断力を見失っていた。
平和を維持する中立国の立場にある公国を代表する正義の使徒が、仮にも一国の王の代理である使者に剣を向けるなど言語道断である。
一見すると多勢に無勢と思える状況だったが、リュシアンは楽しんでいた。
「先に剣を抜いたのはお前たちだ。手加減はしないからな」
リュシアンは鞘から剣を抜く。
傾いている夕日はほぼ地平に沈み、夜の帳が降りてくる。
数では有利なはずなのになぜか背中に流れる汗に、目の前で対時しているのが手に負えないほどの法戦であると悟ったのか、騎士団の者たちが後ずさりをはじめた。
それでもなんとか勝つ算段を探していたのか、やがて互いに頷きを交わし合う。
「我らは選ばれた者しかなれない崇高な騎士団。お前のような世間知らずとはわけが違う」
一人の男が剣を下ろすと、空いた片手をリュシアンに向けた。
(なるほど..剣で勝てないと判断し、魔力で攻めてきたか)
淡々とそう考えているのも束の間、激しい炎がほとばしり、一瞬で眼前まで迫ってきた。
視界が炎に覆われる間際、騎士団の者たちの勝ち誇った表情が垣間見え、リュシアンは不快感に眉を顰めた。
たじろぐことなく炎を見つめていた目を閉じると、リュシアンの周囲の空気が張り詰め、髪がわずかに宙に浮く。
肌がひりつく感覚がすると、溜まってきた魔力を一点に集中させて放出した。
眩い関光が瞬く間に炎を飲み込むと、魔力の衝突の影響で爆発音が鳴り、上煙が巻き起こり、地面を揺らした。
ただならぬ空気を察した厩舎の馬たちが金切り声を上げ、逃げ出そうと壁に身体をぶつける音が鈍く響く。
しばらくは轟々と地鳴りのような音が辺りに反響し続けていたが、土煙も落ち着いてくると情けなく口を開けて立ち尽くしている験士団の者たちの間抜けな顔が窺えた。
確かにエイレーネ公国の騎士団の者たちの成力は他の国の者たちに比べて抜さんでて優れている者が多い。しかしそれ故に、成力は自分たちに選ばれた者だけに与えられた至上のものと勘違いしている井の中の蛙も多いことだろう。
リュシアンは若い頃から凄惨な戦を経験してきた。強さや魔力に対する執着が常人のそれとはわけが違う。強くならなれば、何も守ることができなかったからだ。
(和平交渉をする国で揉め事を起こすつもりなんてなかったんだが...…)
炎と雷のぶつかり合いによって宮廷の芝が焼けて、黒々とした跡が広がっている。
こんな形で力を見せるのは非常に不本意だったが、不思議と後悔はなかった。
凛としたアリシアの姿が脳裏に浮かんで消え、仕方がない、観念するように自分に言い聞かせる。
「急げ!厩舎の方から音がしたぞ!」
程なくして宮廷の方角から複数の人影と、いくつかの灯りが足早にこちらに向かってきた。
その音を聞いてようやく我に返り、状況を把握した第三騎士団の者たちであったが既に手遅れだった。宮廷内の警備にあたるという第二騎士団の者たちがリュシアンたちを取り囲んでいた。
「ちょっと誰よ!アタシの管轄内で一日に二度も騒ぎを起こす大馬鹿者は!ったく、始末書が面倒ったらありゃしないんだから!」
ぶつぶつと文句を荒げながら、第二騎士団の者に敬礼して迎え入れられる人物がいた。
独特の口調に、深い真紅の髪色に瞳。非番だったのか、ラフな騎士の服装に眼鏡をかけた一見、男とも女とも見れる者の目がギロリとリュシアンを捉えた。
「あらアンタ、ソレイユ帝国の使者よね?」
リュシアンは怯まずにただ頷いた。
「あっそう。何人かは厩に行って暴れてるお馬ちゃんを落ち着かせてきなさい。あとは、とりあえず平等にあっちもこっちも縛っちゃいなさい」
そう言うと周りを囲んでいた騎士たちがリュシアンたちを取り押さえた。リュシアンも事情はあれども魔力を使ってしまったことは事実であったため、変な抵抗はせずに大人していた。対して第三者騎士団の者たちは顔面蒼白になっており、手にしていた問題の小瓶も取り上げられていた。
部下から手渡された小瓶を赤毛の者がしげしげと見つめる。
「侯爵様ーっ!!」
聞き馴染みのある声に姿勢を向けると、エクトルたちが慌ててこちらに走ってきていた。
それに気付いた赤毛の者が小さく舌打ちする。
「はーい、ストップストップ。今現場検証中だから近づいたら容赦しないわよ」
手を振って制する赤毛の者の背後で、言う事を聞くようにと、リュシアンはエクトルたちに向かって目配せを送った。
「何がどうなって魔力を使うことに…?」
トマソンがリュシアンにギリギリまで近づいて尋ねたが、赤毛の者に会話を中断される。
「それをアタシも本人たちから聞きたいのよ。だから下がりなさいな」
有無を言わさぬ声の圧に、トマソンは素直に従い、後ろに下がった。
仲間が不安そうにリュシアンを見守る中、赤毛の者が小瓶の蓋を取って匂いを嗅いだ。その眉間に皺が寄り、大きなため息を吐く。
「全く、なんて馬鹿なことを。とりあえずどっちも牢屋にー」
「お待ちください、ピュロス団長」
名前を呼ばれたピュロスが振り返るよりも先に、一羽のカラスが闇夜の中から現れて、リュシアンを庇うように着地した。
時間を置かずに、第一騎士団長のアリシアが駆けつけてきた。
「あら小馬ちゃん。調停で色々あったって聞いたから、てっきり疲れて家に戻ったものと思っていたわ」
「その呼称はおやめください。私はユニコーンの血筋を引くというだけであって、馬ではありません」
「アタシにとったらユニコーンも立派な馬よ」
無駄な問答になるだけだと早々に話を切り上げたアリシアが、騎士たちの包囲を抜けて、黒焦げた芝に目を向ける。
「魔力がぶつかった跡……」
小さく言葉を口にし、アリシアはピュロスという者に向き直る。
「ピュロス団長、非番で機嫌が悪いのは分かりますが、検証もせずにいきなり牢屋に連れて行ってはなりません」
すると指摘されたピュロスは高らかに笑った。
「さっすが小馬ちゃん。アタシの気持ちがお見通しねぇ。でも残念、現場検証をするまでもないのよ。ほら、これ」
渡された小瓶の液体を見つめ、やはり同じようにアリシアも匂いを嗅ぐ。小瓶から漂った匂いに、アリシアが顔をしかめ、鼻を押さえた。
「この甘い匂いは……カロライナ草、ですね。黄色い花をつける毒草で、基本的に温暖な南の国で咲く花です」
アリシアの単調な説明にリュシアンは言葉を挟む。
「失礼を承知で申し上げますが、そのような植物…私の知識では見た事も聞いたこともないのですが…」
ピュロスがはぁと、かったるい気分を表すように息をこぼす。
「でしょうね。だってこれ、南のバハル国でしか自生していない植物ですもの。だからそこのソレイユの坊ちゃんが知っているわけないし、そもそもこれは第三騎士団から押収したものだし…。第三騎士団は外交を司っているから、知識もあるし、入手も簡単よねぇ。全く…検証の余地もない。誰が使おうとしたのか明白だわ」
乱雑に吐き捨てて、ピュロスは鋭い目つきで第三騎士団の者たちに近付き、その喉元に剣を突きつける。
「このアタシに迷惑を掛けただけに飽き足らず、他国の使者に対して魔力まで行使するとは…。公国の名誉に傷をつけるところだったのよ。今死にたくなければ洗いざらい白状しなさい」
鋭い剣先が首の薄い皮膚を割きそうになったところで、第三者騎士団の者たちは観念して、自分たちがやろうとした悪行を白状した。
それを聞いている内にリュシアンは拘束を解かれ、エクトルをはじめとした仲間達が集まってその身を案ずるように声をかける。
彼らの自白はリュシアンが見聞きしたことと相違なく、ピュロスの隣で同じように話を聞いていたアリシアの表情がわずかに曇っていた。自分へ復讐しようとしていた話を聞いて、何も思わない者などいないだろう。当然の反応だった。
リュシアンも彼らの反抗にやむを得ず魔力を使ってしまったことを詫びたが、ピュロスもアリシアも仕方がないとリュシアンの行動を責めなかった。
話を聞き終えると、ピュロスが軽やかに手を叩いた。
「はぁーい、お疲れちゃんでした。とりあえずそこの第三騎士団のおバカちゃんたちを地下牢にぶち込んどきなさい。アタシは元老院に報告へ行くわ」
自分が早く休みたいという一心なのか、ピュロスは積極的に解散を周囲に促し、第二騎士団の面々もいそいそと散り散りになる。
さっさと戻ろうとするピュロスと目が合ったアリシアが、礼を込めて頭を下げた。
「ピュロス団長、私が早とちりをしてしまったようで、申し訳ありませんでした」
「いいのよ別に。アタシは仕事をしただけだし。とりあえず牢屋に入れようとしたのは間違いないしね。そ、れ、に」
ピュロスの顔がずいっと近付き、アリシアが思わず顔を背ける。
「小馬ちゃんのことは嫌いになれないのよねぇ。健気だし、なんとなく、同じ匂いがするのよ」
「は……はぁ」
なんとか笑顔を取り繕うとして表情が引き攣っているアリシアを守るように、飼われているカラスが彼女の肩に乗って、ピュロスを牽制する。
「ま、強いて言うなら停戦調停の件ではノルフェンの奴らを、もっと完膚なきまでに叩きのめしても罰は当たらなかったと思うけどね」
悪戯に片目を閉じて、にやりと口角を上げたピュロスに、アリシアは落ち着いた様子で首を振る。
「それは駄目です。国同士の均衡を保ってこそ平和が…」
「はいはーい。真面目も結構だけど、お説教なら興醒めよ。それじゃあね、小馬ちゃん、あと…」
真紅の瞳がリュシアンを映す。
「皇帝の右腕と言われるだけあるわね。ソレイユの坊ちゃん。いえ、リュシアン・ジラード。お気に入りとして覚えておくわ」
ひらひらと手を振りながらピュロスが第二騎士団を引き連れて去っていくと、辺りには嵐が過ぎ去った後のような静けさが訪れた。
エクトルが何度も瞬きしながらピュロスの後ろ姿を見送る。
「いやぁ〜、強烈な女性でしたね」
「あの方は男性ですよ」
すかさず訂正したアリシアを仰ぎ、エクトルがさらに目をぱちくりさせる。
「えぇ!男性……そうですか…男性…」
何がそんなに受け入れられないのか、ぼそぼそと念仏を唱えるように言葉を発するエクトルを横目に、リュシアンはアリシアに向き直った。
「お気に入りの意味がよく分からないのですが…。あ、いえ、また助けていただきまして、ありがとうございます」
「お気になさらず。あの方は仕事はできるのに、少々おふざけが過ぎるところがあるんです。からかいたい相手が欲しいだけなんですよ。それに、お礼を言わなければならないのは私の方です。まさか彼らが、私の馬の正気を失わせ、街で危害を及ぼそうと画策していたとは」
思う部分があるのか、アリシアは言葉を飲み込んだ。
彼女の気持ちを察して、リュシアンも発言に慎重になる。
「あなたのしたことは間違っていないと、俺は思います」
我ながらありきたりな励ましだと反省したが、アリシアの表情が少し優しくなった気がした。
「お気遣いありがとうございます。私も、自分は正しいことをしたと思っていますよ。彼らの上司を糾弾した事は後悔していません。元老院も私の意見に賛同してくださいましたし」
「…!そうなんですか!いやぁよかった!」
「……?」
さっきまでしょんぼりとしていたエクトルが大喜びし、その激しい感情の起伏にアリシアが首を傾げる。
「我々はあなた様を心配しておりました。元老院があなただけを議会場に残らせていたので、今回の件で何かお咎めがあったのではないかと」
ジャオの説明にアリシアは納得したようだった。
「ええ。大丈夫ですよ。叱責を受けたとか、そういう話ではなかったので」
「それはようございました」
トマソンが満足げに目を細めながら髭を撫でる。
「アリシア殿、今回受けた恩を我々は忘れません。ぜひ、何か会った時は恩返しをさせてください」
リュシアンは真剣な口調で申し出に、エクトルたちも同意して敬礼する。アリシアは遠慮するように手を振った。
「私は当然のことをしただけですよ。元老院に呼ばれたのだって、実は……」
アリシアが次の言葉を紡ごうとした時だった。
「団長ーーーーっ!!」
木々の鳥たちが飛び立つほどの声量の程野太い声が遠くから聞こえた。それを聞いたアリシアの肩が反射的にぴくりと跳ね上がり、焦った様子で辺りを見渡す。
「げ。やばい」
ついそんな言葉も漏らす。
「ジラード侯爵、申し訳ないがこの辺で失礼します。近いうちにお会いすることになるでしょうし」
「え、それはどういう…」
リュシアンの問いを制して、アリシアは慌ててその場を離れた。まるで先ほどの声の主から逃げるようだった。
きょとんとするエクトルたちとは違い、リュシアンはふっと笑ってしまった。
(あんな風に慌てることもあるんだな)
冷静沈着なアリシアの意外な一面を見た気がした。ああいった何気ない反応が年相応の本来の彼女の姿なのだろう。
「しかし一体何から逃げていたのか……」
腕を組んだリュシアンが、不思議そうにアリシアの去った後を見ていると、エクトルがそうですねぇ、と続いた。
「でもあの声、どっかで聞いた記憶が……」
「俺もそう思います。耳に残る声といいますか…」
「そうですのう。なんでしたかなぁ」
ジャオとトマソンも心当たりはあるようだが、はっきりとした答えが浮かぶことはなかった。
しかし後に全員が声を上げて思い出すこととなる。
「やあやあ、ジラード侯爵領の皆様ではないですか!」
溌剌とした声とともに現れたのは、動物で例えるなら熊のような体格の大柄な男だった。その後ろには褐色の肌が特徴で、キリッとした顔立ちの女性もいる。二人とも公国の騎士団の衣装を纏っていた。
エクトルが目を見開く。
「あぁ!あなたはヴィハン副団長とカミーラさん!お久しぶりです!」
エクトルが手を差し出すと、大柄のヴィハンはその腕ごと引っ張って、エクトルを抱きかかえるような体勢とった。
「エクトル少年ではないか!元気そうで何よりだ!」
ヴィハンの力強い抱擁にエクトルが苦し紛れに息をしようとと必死だった。
これがヴァハンなりの愛のこもった挨拶だったと、苦い記憶が蘇ってきて、リュシアンたちはにこやかにしながらも少し距離を取る。
「ヴィハンさん、その辺で。彼の骨が折れます」
「おぉ!すまん、すまん、皆に会えたのが嬉しくてついな」
カミーラが仲裁したことで、エクトルはなんとか事なきを得た。ふらふらと力のない足取りでリュシアンのそばまで戻り、ジャオに支えられる。
二人とは停戦調停における調査で面識があった。
ヴィハン・ネストルはアリシアが団長を務める第一騎士団の副団長だった。過度なスキンシップを除けば、おおらかで気さくな性格で、飾らない人柄だった。
カミーラは他人に対しても、自分に対しても一切の妥協を許さない完璧主義者だった。その性格と、普段からツンとしている態度から強面だと思われがちだが、実は理不尽を許さない心の優しい人だった。
「お二人はどうしてここへ?」
「おお、そうだった、そうだった。つい再会を喜んで大事なことを忘れていた。ジラード侯爵殿、我らが団長がどちらに向かわれたかご存知かな?」
リュシアンの問いかけにヴィハンが問いかけで返す。
宮殿の方を指差しながらリュシアンは答えた。
「ええっと…我々が見た限りでは向こうの方へ」
「面目ない。積もる話はあるが、今は団長をとっ捕まえないといけないもんで」
「とっ捕まえる?」
訊き直す前にヴィハンは走り去ってしまった。
残されたカミーラがため息を吐きながら、リュシアンたちに頭を下げる。
「申し訳ありません。このままだと団長を逃してしまいますので」
そっけなく言って、カミーラも後を追いかける。
「アリシア卿は、慕われているようですな」
トマソンの微笑みにリュシアンも頷いた。
「そうだな、敵意は全く感じなかった」
アリシアが伝えようとしていた言葉が、途中で遮られたのが気がかりだったが、いつか真意がわかる日が来るだろう。
それに再び会えるのはそう遠くないような気がしていた。
まだ放心しているエクトルの気を確認するために頭を叩いて、リュシアンは用意された客間に向かう歩みを進める。
「明日には公国を出てソレイユ帝国に戻る。停戦調停の内容を陛下に早くお伝えせねば」
リュシアンの言葉に部下たちが威勢のいい返事をした。