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【災厄】と呼ばれた悪女の軌跡  作者: 冬李
第一幕 帝国への帰還
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第九話

 その後の停戦調停はアリシアが持ちかけた提案を吟味するための細かい議論や答弁が行われた。同時に罪を犯した者への処罰を決定する査問会も開かれた。


 不正を犯した第三騎士団副団長のレヴァンは騎士団より除名、妹のドルカも加担したことからシリル子爵家は爵位と資産、領地が剥奪となり、市井に身を落とすこととなった。アリシアが不服だったのはエイレーネ公国から追放してノルフェン国にて農耕に従事させるといった処遇は見送られることになり、元老院を構成する五大公の一つ、エレンホス大公の領内にて下仕えとして働かせることが決まったことだった。


『第三騎士団は儂の管轄下にある騎士団じゃ。さらにシリル家は魔力を持つ一家。反逆などが起こらぬよう、儂が責任を持って預かろう』


 元老院(セナトゥス)の一大公であるパトス大公がアリシアの所属する第一騎士団の管轄しているように、五大公にはそれぞれ管理管轄をしている騎士団がある。さらにそれらの上に立つ総帥の地位にいるのが聖女なのだが、実態は元老院(セナトゥス)がそれにあたっている。


 エレンホス大公に総帥の権限を行使されれば、一騎士団長であるアリシアは何も言うことができなかった。

 加えて第三騎士団長を務めていたオリエン・アーティは部下の監督管理不行き届きと、審問官としての任を遂行できなかったとして、降格処分となった。第三騎士団が今回の件で団長と副団長の席が空いてしまったため、早急な人選に元老院たちの表情が翳り、悩ましそうにしていたのが印象的だった。

 ノルフェン王国はソレイユ帝国に一般的な領地で換算すれば二年分の予算に値する三百万ゴールドと、全ての領地を返還することを約束し調停印が押された。またアリシアが考えたノルフェン王国の食糧不足の課題については早急に作物の品種研究と、エイレーネ公国を通じた食糧支援が正式に決定した。


 全てを終えた頃には陽が沈みかけており、街が夕暮れに染まっていた。

 調停の儀を終える木槌が打たれ、それぞれが議会場を後にしていく中、アリシアは元老院(セナトゥス)にその場に留まるように指示を受けた。

 暇を持て余して、途中から部屋の隅でうたた寝していたトトもアリシアを気遣い、その肩に飛び乗る。

 夕日が射し込み、白い円卓が紅く染まる。

 元老院(セナトゥス)たちと向かい合うように席に着いたアリシアを見届けると、パトス大公が口火を切った。


「此度の件、審問官として大義であった」


「勿体なきお言葉でございます。私はこの大陸の平和のために、職務を全うしたまでです」


 何を言われるのか、どういった流れになるのか話の方向性の想定がつかなくて、つい言葉がぎこちなくなってしまう。

 頭を下げながら、アリシアは自分の心臓の鼓動の音が煩く鳴っていることに気付く。


(師匠は普段から私を褒めることはない……)


 育ての親であるパトス大公は不遇な境遇のアリシアを憐れむことはなかったが、甘やかすこともなかった。教養、剣術、生きていくために必要な術をこれでもかと叩き込まれた。おそらく、褒められたことなど片手で数えるぐらいしかない。まして人前で称賛の言葉を語るなどありえないことだった。

 そんな厳格な人が褒める時は裏がある―アリシアの直感がそう語っていた。


「そしてこの時をもって、そなたに次の任を言い渡す」


(ああ、ついになのね……)


 自分を見るパトス大公の瞳から全てを察して、ごくりと生唾を呑んだ。


「アリシア・リコルヌ、ひと月後、ソレイユ帝国に帰還し、賢者としての責務を全うせよ」


 全身に雷で打たれたような衝撃が走り、アリシアは手をそれに耐えるように爪が喰い込むほど手を握りしめる。

 覚悟はしていた。いつかはこの日が来ることを。だからこそ、パトス大公のもとで様々なことを学び、聖騎士団としても確たる地位を築いた。たとえ魔力に頼らずとも、民を守れる正しい力を得るために、そして自分自身を守れるように。

 無知と無力ほど、恐ろしいものはこの世にない。人々の憎悪を宿した目が幼い自分を囲う記憶がまざまざと思い浮かんで、振り払うように首を振る。


(大丈夫。あの頃とは違うわ)


 拳を胸にあて、片膝をついて頭を下げる礼を取る。


「謹んで、拝命いたします」


 アリシアが顔を上げると、元老院(セナトゥス)の中でもひときわ小柄なベルルム大公が、たくわえた白い髭を梳きながら目を細める。


「ほんに惜しいのう。騎士としても政を担う官僚としても才を有しておるのに、公国を離れなければならないとはなあ。第一騎士団の団長の座が空席になるのはこちらにとっても痛い話じゃ。はは…、パトス公、そなたが手塩にかけて育てただけあるわい」


 ベルルム大公の言葉に反応して、思わずアリシアの耳が動く。

 そうかもしれないとは感じていたが、エイレーネ公国を離れ、ソレイユ帝国の賢者として帰還する立場上、やはり正義の使徒聖第一騎士団長の座を退く必要があるらしい。

 喪失感に表情を暗くさせたアリシアに気付くことなく、ベルルム大公はパトス大公に穏やかに笑いかけるが、パトス大公は顔色を変えなかった。


「まだまだ未熟者です」


 厳しい一言にアリシアがムッと頬を膨らませた。それを見たモルブス大公が苦笑する。


「可哀そうに。これは随分と手厳しい育て親なことだ。しかしアリシア卿…、いや、賢者アリシアよ、そなたは逆境にも負けずここまで来た。その栄誉とこれまでの功績を称え、何か褒美をつかわそう」


 思ってもいなかった申し出にアリシアは答えに窮した。


「褒美…ですか。そのようなもの、考えたことがありませんでした。何かが欲しくて頑張ってきたわけではありませんので」


 遠慮がちに答えると困ったとばかりにモルブス大公が唸った。


「うむ……ならばこれも命令としようかのう。エイレーネ公国を出立するまで、考えておくといい。それと、そなたがソレイユ帝国に帰還した後の次の第一騎士団の団長についてだが……これもそなたに意見を仰ぎたい」


 アリシアはすぐに返答はしなかった。複雑な感情が胸の内に渦巻いていたからだ。


(騎士団長の任は解かれてしまうのね……)


 五歳の頃に何もかもを失ってパトス大公に引き取られ、悟らされた、生きていくための手段の一つだった剣の道。剣の腕を磨き続けてきて、聖騎士団が設立以来、十六才という最年少での騎士団長への着任。しかし、功績を上げたというにはあまりにも短い期間だった。やり残したことはまだ多くある。

 だがソレイユ帝国に帰還し、賢者として生きていかねばならないため、エイレーネ公国の管轄の騎士団の所属は難しいことは目に見えていた。


 何か言いかけた言葉を飲み込んで、アリシアは言い聞かせるように言葉を紡いだ。


「褒賞の件、ご恩情に感謝すると共に、こちらで考えさせていただきます。また騎士の件は、私の方でも早急に後任の推薦を進めたいと思います。これが、私の第一騎士団長の最後の大役と思い、最後まで任務を全うさせていただく所存です」


 最後にお辞儀をすると、元老院(セナトゥス)はアリシアに退室することを許可したのであった。




 議会場を後にしたアリシアは、どこに向かうともなくうつらうつらと宮廷内を彷徨うように歩いていた。肩に乗っていたトトがアリシアの横顔を見上げて様子を窺っていたが、やがて翼を広げ飛び立つ。


「とうとう言われちまったな」


 宮廷の回廊は天井は高く設計されている。高さを気にすることなく、トトがアリシアを先導するように飛行していた。


「ええ、そうね。でも遅かれ早かれ、公国が私を保護すると定めていた期間は十八の成人になる歳までだったもの。驚いているわけではないわ」


 それなのになぜこんなにも足取りが重いのか。理由は大方、検討がついていた。

 今回の停戦調停についての記録をまとめ上げ、自分の後任となる第一騎士団長の候補を立てて、業務の引き継ぎ書を作成し、ソレイユ帝国の現状に関する情報の収集も行わなければならない。残された時間はひと月しかないが、やらなければらないことが山積している。

 だが今は何もする気が起きなかった。事実を受け入れ、納得する時間が必要だったのだ。


 アリシアはふと立ち止まって、回廊から見える立派な宮廷の中庭を眺めた。

 広大な庭の中心には、細かな彫刻の技巧が施された噴水があり、それを囲うように、庭師の丁寧な管理が行き届いた花々が、綺麗に咲き誇っていた。とくに存在感を示していた花に、アリシアは目を留めた。


「お、相変わらず国花のアカンサスは季節に関係なく咲いているな。まあ、魔力を使って管理しているんだろうが…」

 

 トトの感嘆の声に、アリシアも素直に同意した。

 アカンサスの花弁は白と紫のコントラストが美しく、茎を伸ばしてしゃんとしている花姿は、他の花よりも力強く、美しかった。初代聖女が愛し、エイレーネ公国の国花と指定されているだけあって、宮廷でも建築物や内装の装飾のモチーフにされているため、目にする機会が多い。


「花言葉は確か…『芸術』、『美術』、『技巧』…だったか?」


 トトが中庭の景色が見られる適当な場所に着地する。


「もう一つあるわ。『離れない結び目』」


「『離れない結び目』?それはまた重苦しい言葉なことだ」


 気だるそうに中庭を見つめるトトとは反対に、アリシアはアカンサスの花に魅入っていた。


「そう?でも私は人々との絆が離れないように―聖女が何よりも平和を大切にし、人々を想っていることをよく表していると思うわ」


 トトが鼻で笑う。


「都合のいい解釈だな」


 つられてアリシアも笑った。


「こういうのは都合がいいぐらいがちょうどいいのよ。感性なんて人それぞれなんだから。きっと聖女様も、あなたみたいな感受性に乏しい口うるさいだけの鳥に理解してもらおうだなんて考えていないわよ」


「な…なんだと…!」


 チクリと嫌味を言ってやった後に、アリシアがべーっと下を出すと、子供じみた挑発に乗ったトトが鋭いくちばしでアリシアの頭をつついてまわる。


「この人使い…いや、鳥使いが荒い人間め!」


「痛い、痛い!ごめん、ごめんってば!」


 トトの地味に痛い攻撃を払いよけながら、アリシアは逃げるように回廊を走る。

 曲がり角に差し掛かろうとした次の瞬間、爆発音のような音が聞こえてきて、アリシアはすぐさま、はしゃいでいた声を消して、真剣な顔つきになった。

 トトも何かを察し、アリシアの頭に留まると、首を伸ばして周囲の空気を探る。


「おい、これは魔力の衝突の気配だな」


「そんなこと、言われなくても分かってる!」


 言い出すやアリシアは神妙な面持ちで、音が聞こえてきた方へと駆け出したのであった。


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