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第二章 聖天の霹靂 2

 警護の聖騎士二人に両側から支えられ、どこか様子のおかしいレオンが扉の向こうにいた。その震える右手には血塗れの短剣が握り締められており、左腕や太腿から血を流している。

 俯いたままで顔は見えない。見ている間にも、袖やズボンの白い生地は、溢れ出る血で真っ赤に染まっていく。


「叔父様!?」


 何ごとかとセシリア越しに扉の方を見やったロザリアは、その有り様に驚いて駆け寄った。


「どうなさったのですか、一体……」


 慌てて顔を覗き込んだが、レオンの息はかなり荒い。事情など聞いている場合ではないと思い直し、顔を引き締めて指示を出す。


「セシル、アリス! 急いで叔父様をソファへ運んで!」


 聖騎士に対しては、上層部に報告に行くよう言って、中へ運ばれていくレオンを追う。上着を脱がさせてソファに横たえさせ、すぐ傍に膝を突き、急いで目を走らせて状態を確かめた。

 左の下腕に二か所、右大腿に一か所、刺創と思われる傷がある。


 傷の深い太腿に両手を押し当てたロザリアは、全身から金色の光を迸らせ、レオンに全力で癒しをかけた。傷はみるみる塞がり、腕の傷もほぼ一瞬で完治する。

 ほっと息を吐いて、強く目を閉じて歯を食いしばっているレオンの顔を覗き込んだ。


「叔父様?」


 傷は癒えたのに苦し気な様子は収まらない。不審に思ったロザリアは、レオンの肩に手を当てて揺すり、覆い被さるようにして間近で問いかけた。


「まだ、どこか痛みますか? どうされたのです? 一体、何が……」


 息を荒げて顔を歪めたまま、固く閉じていた目を開いたレオンは、ロザリアの顔を認めて、右手に握り締めていた短剣を手離した。ゴトンと重い音を立てて、血の付いた短剣が床に転がる。

 レオンは震える手をロザリアに向けてきた。握ってあげようとした繊手から、大きな手は逃れるようにすり抜け、ロザリアの後頭部に伸ばされる。


 そのまま強い力で引き寄せられ、驚く間もなく唇を奪われていた。何が起きたか理解するよりも早く、唇が割られ熱い舌が口内に入り込んでくる。


「……!!」


 吃驚して思わず、両手でレオンの胸を押して身を離そうとしたが、ロザリアの頭を抑える力は強く、更に深く口付けられた。

 経験したことのない激しい口付けに、ロザリアは狼狽え、ただただ翻弄されるしかない。思考も完全に途絶えてしまった。


 舌を絡めとられ、吸われ、まるで犯されるような蹂躙が続き、脳内が完全に麻痺してしまい、心臓が破れそうなくらいに激しく鼓動する。

 身体の芯が熱く溶けるような感覚に支配されていたロザリアは、気づいた時にはソファに引き上げられて組み敷かれていた。


「え……」


 ようやく我に返ったのは、首筋を吸われ、大きな手に胸を鷲掴みにされて強く揉みしだかれた時だった。何が起こっているのか理解できない。

 理解できないながらも、さすがに貞操の危機であることは感じられ、無意識のうちに助けを求めて周りに目を走らせる。


 壁際にセシリアとアリステアがいて、こちらに背を向けたまま、いつものように気配を感じさせずに控えている。他には誰もいないようだ。

 聖獣といえども本質は獣である。人と違い、番うことは食事や睡眠を取る行為と何ら変わらない。相手は婚約者なのだから、止めに入るはずはなかった。


 ロザリアにしてみれば、相手がレオンである以上、どうしたって流される。いつでも冷静で自分には余裕のある態度しか見せないレオンが、こんな風に激しく求めてくれるのは、実のところ嬉しくない訳がない。

 まだ未成年で、婚約したとはいえ結婚もしていないのに、淑女が身体を許すことなどあってはならないのだが、どうしても拒めずにいた。


 だが──


「まっ、待って……!」


 さすがにドレスの裾をたくし上げられて、力づくで足を開かされ、ロザリアの迷いは一気に吹き飛んだ。


「だっ、駄目ですっ! これ以上は……」


 必死になって、レオンの胸を押し返そうとしたが、屈強な騎士の身体をどうにかできるような腕力などあるわけがない。

 更に膝にかけられた手に力が籠められ、覆い被さっているレオンの下半身が強く密着してきた。布越しに、驚くほどの熱と硬さを感じてしまい、ロザリアは思わず叫んでいた。


「叔父様っ!!」


 はっと腕を立てて身を起こしたレオンは、苦しげに歪む顔に明らかな狼狽を浮かべている。異常な呼吸に、異常な発汗。

 見下ろしてくる目は、救いを求めるような必死な色を湛えていて、とても辛そうに見えた。


「……助けて…くれ……ロゼ……」

「叔父様……?」


 今にも泣きそうな弱々しい表情を浮かべたと思うと、僅かに唸って強く身を竦める。再びロザリアを見下ろしてきた目は、不穏な色に支配されていた。

 理性を失ったように、また覆い被さってきたレオンの身体はとても熱かった。


『これは、欲情……?』


 そう思った時、ロザリアの身体をまさぐり始めていた手が一瞬止まり、必死で自分を抑えている様子のレオンが苦しげに呟いた。


「……嫌…だ……こんな……」


 強く閉じられた目に涙が滲み、噛み締めた唇から血が滴るのを見て、ロザリアはようやく現状を理解した。


『……ランファ!!』


 皇帝が篭絡された手管、その時に使われたと言う麻薬や媚薬の類──そのことが唐突に頭に浮かび上がった。

 ほんの一瞬取り戻した理性がまたも情欲に呑み込まれ、獲物に襲いかかる獣のように覆い被さってくるレオンを、ロザリアは強く抱き締め耳元で囁く。


「大丈夫……すぐ解放して差し上げます」


 十年前のあの時のように、レオンを抱き締めたまま、ロザリアは浄化の力を全力で叩きつけた。

 広い居間に白銀の閃光が迸る──


 やがて、室内を満たしていた光が完全に消え去った時には、荒々しかったレオンの息遣いは平常に戻っていた。だが、レオンはロザリアの首元に押し当てた顔を上げようとしない。

 そのままで、絞り出すような声が聞こえた。


「ごめん……ロゼ……。こんな……本当にすまない……」

「良いのです、わたくしたちは婚約者なのですから……何も問題はございません」


 そう言ってロザリアは、幼子にするようにレオンを抱き締めたまま、その頭をそっと撫でる。今は、恋情とは別の優しい感情が心を占めているような気がした。


『母性愛って、こんな感じかしら……恋する相手にも抱けるものなのね。今の叔父様は、とても可愛い……』


 くすりと笑うと、レオンはバツが悪そうに腕を立てて、身を起こした。少々もったいない気もするが、ゆっくりしている場合ではない。

 そう思った時──


「ぁんっ……!」


 大きく開かされた足の合間に身を置いていたレオンが急に動いたため、密着していた部分が強く擦れて、ロザリアの身の内を強烈な快感が走った。

 突然のことに為すすべもなくのけぞって、色の乗った声を上げてしまっていた。


 そうして後に残った甘い疼きを、身を震わせながら強く目を閉じて耐える。何とか疼きをやり過ごして涙目になった目を開けると、レオンは目を瞠ったまま驚いたように見下ろしていた。


「……叔父様?」

「あ、ああ……すまない」


 そう言って慌てたように顔を背け、今度は慎重な様子で身を起こし離れて行った。椅子の端に座り直して、向こうを向いているレオンの耳が赤い。

 ロザリアは鈍重に身を起こして、乱れた衣服を整えた。


「叔父様……」

「少し時間をくれ……落ち着くのに時間が要る……」


 学院に上がる前くらいには、貴族令嬢は近親の女性から閨の教育を受けるのが普通である。ロザリアもまた、母から一通りのことは教わっていた。

 だから、レオンの言う時間が何のためのものなのかは分かるつもりだ。


 気恥ずかしそうに言うレオンには悪いが、今はそんな場合ではなかった。それこそ時間がない。ロザリアは、なるべくレオンの方を見ないようにして言った。


「そのままで構いませんので、事情を聞かせて下さいませ。すぐに対応しないと、逃げられてしまいます」

「ロゼ?」

「媚薬を盛られたのでございましょう? あの王女に」

「……!」


 息を呑む気配がする。畳みかけるようにロザリアは続けた。


「おそらくは、ランファの差し金でございます」

「まさか……」

「わたくしも先ほどまで失念しておりましたが、昨日、ブランが持ち帰った父の手紙……赤茶の髪の件について、シャングリラが該当しておりました」


 思わずと言った体で、レオンが振り返る。


「本当なのか?」

「はい。ですから、経緯は後からお聞きしますので、王女が叔父様に媚薬を盛ったかどうかだけ、先に教えて下さいませ」

「ああ……王女だ。口に入れるものではなく、香のようなものだったが……」

「分かりました」


 ロザリアはすっくと立って、セシリアに命じた。


「セシル、事情は聴いていたわね。直ちに聖地を閉鎖するよう、猊下にお伝えして」

「畏まりました」


 一礼するやセシリアは転移していった。


「アリス! 貴女は、ミカエル兄様に知らせて。シャングリラの王女とその従者を一人残らず捕えるように。それから、所持品も全て押収するようにと」

「はい」

「門番の兵士に確認して、聖地に入った時の人数と照らし合わせるようにも言ってね」

「畏まりました」


 同じように一礼して、アリステアも転移していく。それを見届けて、ロザリアは小さく息を吐いた。

 とりあえず、後はレオンに詳細を聞くだけである。

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