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第二章 聖天の霹靂 1

 夕方近くになって、正殿の自室となった部屋に引き上げて来たロザリアは、居間のソファでグレースの淹れてくれた茶を前に寛いでいた。

 晩餐が控えているので、多く食べる訳にはいかないが、出された菓子の甘さにほっとする。自覚は無かったが、思ったより疲れていたらしい。


 会堂での騒ぎの後、ミカエルと一緒に付近の施設を簡単に案内してもらった。自分が関わることのない施設に関しては、外から眺めただけで終わらせている。

 最後に、聖騎士団の詰め所と練兵場を見終わったところで、離職の挨拶に来ていたレオンと鉢合わせた。


 件の王女の件は既に耳に入っていたらしい。シャングリラが属国であることは知識にあったが、あまりにも王女が自信満々に言い張るので、自分が聖地に籠っている二年の間に、何らかの理由で変更でもあったのかと思っていたのだそうだ。

 一応は周囲に確認してみたが、聖地の誰も良く分からなかったらしい。


 結局、外交に支障が出てはブリュイエ家に迷惑がかかるかも知れないので、仕方なく下手に出ていたと、レオンは気恥ずかしそうに話してくれた。

 これを聞いて、ロザリアもさすがに呆気に取られ、ミカエルと目を見合わせることしばし。喫緊の重要課題として、危機感を共有するに至った。


 思い返すと、聖地のあまりの無防備さに頭が痛くなってくる。溜め息を吐きたい気分で、ティーカップを手に取ると、ハーブティの優しい香りが心を和らげてくれるような気がした。

 一口二口と嚥下していると、疲れがどんどんと抜けていく。気のせいではない。いくらハーブティと言っても、異常な効果だった。


「グレース、このお茶……」

「あ、お口に合いませんでしたか? 大変お疲れのようでしたので、普通のお茶よりも宜しいかと思ったのですが」

「いえ、そうではなく……」


 恐縮した様子のグレースを見上げ、ふと気になってじっと見つめる。困惑を露わにしているのも無視して、しげしげと見て、ようやく気付いた。

 原因がハーブティにあるのではなく、淹れた人間にあることに。


「光の精霊の加護? かなり強いようだけど……大精霊かしら」


 今まで気づかなかったのは、ずっとミカエルが側にいたせいだろう。大精霊の加護と言えど、神から授けられた神聖力には及ぶべくもない。

 グレースは、はっとしたように目を見開いた。


「た、確かに光の大精霊から声はかけられましたが……わたくし、加護を頂いているのですか?」

「気づいていなかったのですか?」

「自分では、良く分からないのですが……」

「あの泉に行くまで、貴女には同じ光属性ではあるけれど、小妖精くらいの加護しか付いていませんでしたわ」


 目を丸くしているグレースに、ロザリアは笑みを浮かべながら尋ねる。


「大精霊は何と言ったのでしょう?」

「あ……はい。神の命で会いに来たと……」

「神の?」

「ええ。光属性の精霊たちは神樹の下にいて、あの森の泉へ来ることはまずないと言われております。ですから、神官になるために光の精霊の加護を頂いた時は、他の方々からとても驚かれました。恐らくですが……学院でロザリア様がかけて下さった御力の、残滓のようなものに惹かれて現れたのではないかと思っております」


 そう言って、グレースは深々と頭を下げる。二年前に稀有な加護を得られたことを、ロザリアのお陰と感謝しているらしい。


「そうして今また、大精霊の加護を頂いたのであれば……未熟なわたくしが少しでもロザリア様のお役に立てるようにと、神がご配慮下さったのかも知れません」

「そうですわね、確かに貴女に大精霊の加護があれば、わたくしはとても助かります」


 ロザリアはにっこりと笑って、ティーカップを持ち上げて示した。


「このお茶、癒しの効果が普通ではありません。一口、二口飲んだだけで、みるみる疲労が抜けていくのですもの。先ほどまでの心身共にあった重々しい気怠さが、全部消えて無くなってしまったくらいです」

「では、本当に……わたくしに、光の大精霊は加護を下さったのですね」

「ええ、間違いありません」

 

 そう頷いてから、少々バツの悪い気分で打ち明けた。


「実を言うと……わたくし、他人に対してはいくらでも癒しをかけられるのですけれど、何故か自分にはかけられないのです。浄化はかけられるのですけどね。今までも、大規模な癒しをかけた後は倒れてしまうことがあったので……ですから、貴女がわたくしを癒して下さるなら、本当に助かるのです」

「まぁ……ロザリア様のお役に立てるならば、こんなに嬉しいことはございません」


 潤んだ目で本当に嬉しそうな笑みを浮かべて言われ、ロザリアもとても嬉しくなってくる。大精霊の加護を得られたのなら、亡き人との語らいも精霊を介さず、直接できるようになるかも知れない。

 それを告げようと顔を上げた時、扉をコンコンと叩く音が聞こえた。


 壁際に控えていたアリステアがすっと扉へ向かって、来訪者を取り次ぐ。


「ロザリア様、イザベラ副神官長がお目通りを願い出ております」

「構わないわ、入って頂いて」

「畏まりました」


 イザベラは最敬礼に準じた礼に留めて、来訪の要件を述べた。


「つい先ほど、近衛騎士三十名が全員、精霊の加護を得られたと連絡がございました」

「まぁ……さすがミカエル兄様が厳選した方たちですわね」

「はい。わずか数時間で、全員が資格を得るとは、さすが英雄殿下の護衛騎士にございます」

「英雄殿下?」

「……実は今後、殿下をどうお呼びするかで、上層部が頭を悩ませていたのです。それで──」

「そうお呼びすることになったと言うことですね」


 若干ながら苦笑しつつも、なるほどと思わされた。神聖教会としては聖人である“英雄”は外せないだろうし、かと言って帝国の第一皇子と言う立場も尊重しなければならない。

 ロザリアにとっても、嫌な過去を思い出させる呼称よりも、英雄殿下の方が断然受け入れやすかった。


「それで、ミカエル……ルージュ副隊長と近衛騎士たちは、今はどうしているのかしら? レオン様のところ?」

「いえ、まずは禁域内へ入る資格があることを登録する手続きが必要ですので、全員で聖庁に行かれているはずでございます。英雄殿下がご同行されているかについては、わたくしは伺っておりません」

「そう……その資格の登録と言うのは、最初だけで構わないのですか? 途中で変更があっても申告は要らないのかしら?」

「変更…でございますか?」


 イザベラが不思議そうに問い返す。


「失礼ながら、聖職者や聖騎士を希望する者が聖なる地に入るための資格として、古の昔から精霊の加護を必要としておりますが、一度加護を受けましたら生涯そのままでございます。あの泉へ何度訪れても、加護が増えることや別の系統の精霊の加護に変わることもございません」


 淹れ直したハーブティを差し出していたグレースと、思わず目を見合わせた。


「ただ、唯一の例外が教皇となる方でございます。教皇は徳の高い聖職者の中から神ご自身が選ばれる存在でございますが、新たに神聖力を賜ることで、それまで得ていた精霊の加護は消えることとなります」

「そうなのですね……では、グレースは例外中の例外と言うことになるのでしょうか」

「グレースがどうか致しましたか?」


 先ほど気づいた話をすると、イザベラは驚愕を露わにしている。


「……そんなことが!? わたくしは、開闢以来の聖地の諸事情について詳しく存じ上げておりますが、今お伺いしましたことは全く前例のないことでございます。まずは、直ちに猊下にお知らせしなければ──申し訳ございません、グレースを連れて参りとうございます。ここは、アリステア殿やセシリア殿にお任せしても構いませんでしょうか」

「気軽に考えていたけれど、大変なことでしたのね……構いませんわ」

「ありがとう存じます。グレース、いらっしゃい」

「畏まりました」


 二人はロザリアに退去の礼を取って、慌ただしく出て行く。残されたロザリアは小さく息を吐きながら、淹れ直されたハーブティを口にした。

 やはり、とても心地良い。疲れが取れるだけではなく、心がとても穏やかになっていく。


 聖獣たちは相変わらず気配を感じさせない。広い部屋に一人でいるような気分でリラックスしながら、ふと昨夜ブランに渡された父からの手紙を思い出した。

 ミカエルとの情報共有をするつもりでいたが、今日は朝から予定外の事態ばかりだった。


「晩餐の席に兄様が護衛として来て下されば良いのだけれど……それまでに手続きは済むかしら」


 そんなことを思いながら、持ち歩いていた手紙を取り出し、さっとしか目を通していなかった内容を改めて読み返した。

 以前よりも頻度は緩慢ではあるが、やはり魔獣の出現自体は無くなってはいないこと。ランファ以下闇の使徒たちの潜伏場所の探索状況。そして、ロザリアが依頼していた赤茶の髪の住民ばかりの地──


「え……シャングリラ? そうだわ、確かに……」


 王女自体は、赤茶と言うよりは薄茶に近い色だったが、他の従者は皆、赤茶だったように思う。王族は他国から妃を迎え入れることもあるだろうから、一般国民とは異なっている可能性が高い。

 あまりにも王女の印象が強烈過ぎて、従者たちの髪の色を認識していなかった。


「わたくしとしたことが……」


 急いでレオンやミカエルに連絡を取らなければと腰を浮かせかけた時、扉の外が慌ただしくなった。次いで乱雑に扉を叩く音がして、アリステアたちが警戒の色を見せて扉へ向かう。


「大変でございますっ! 聖騎士団長……いえっ、殿下がっ!!」


 開いた扉の向こうから、この部屋の外で警護のために立ち番をしていた聖騎士の一人が、慌てふためいた様子で叫ぶのが聞こえた。

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