第一章 解放への道 6
「シャ、シャロン……」
真っ青な顔を俯かせたシャロンは、忙しなく目を方々へ向けている。皇子から尚も急かすように肩を掴んで揺さぶられ、必死な様子で辿々しく言い訳を紡いだ。
「みっ、見間違いだったかも……知れません。咄嗟のことでしたし……その……で、でも、普段から……そのっ、嫌がらせが……」
「そっ、そうだ! ロザリアはシャロンにきつく当たり、口汚く罵ったり、持ち物を取り上げて踏み躙ったり……ずっと嫌がらせをしてきたはずだ!」
「わたくしが、でございますか? わたくし……その方の側へ近づいたこともございませんのに?」
「嘘を吐くなっ! か弱いシャロンは、其方の心無い態度にずっと心を痛めて……」
ロザリアは呆れて溜息を吐いた。
「わたくし、入学して以来、殿下には鬱陶しい、取り澄ました顔など見るのも嫌だと仰せられ、学院では近づくなと命じられておりましたもの。殿下のお目に入らぬよう避けておりましたが?」
「私ではない! シャロンのことを言っているのだ!!」
「まぁ……わたくしとその方は学年が違いますから、講義でお会いすることもございませんし、合間のお時間はずっと殿下がご一緒だったと窺っております。殿下を避けていたわたくしが、近づく間などございませんでしょう?」
「わっ、私が一緒でない隙を狙ったのであろう!?」
「それはあり得ません!!」
近くに居たロザリアのクラスメイトである女生徒二人が、ずいっと前に出て声を上げる。
「なっ、何だ、いきなり……」
「わたくしたちは教皇猊下の御命により付けられた、聖女様の護衛でございます。どんな時でも最低一人は必ずお側におりました。ですから、その娘と聖女様が近づいたことは、ただの一度もないと神に誓って申し上げられます」
「せ、聖女の護衛……? 何を言っている?」
盛大に顔を歪めて意味が判らないと不審げに言う皇子に、ロザリアを庇うように立っていたレオンが当惑を顕にし、僅かに振り向いて見下ろしてくる。
そんな叔父の困惑を受けてロザリアは、頬に手を当てて小首を傾げた。
「わたくしも常々不思議に思っておりましたけれど……殿下は、本当に何もご存知ではいらっしゃらないようですわね」
「……道理で、平然とロゼを祖略に扱えるわけだ」
苦々しくレオンが吐き捨てる。呆れ果てている二人とは別に、じっと皇子らしからぬ言動を見据えていたヴァネッサが、凍りつくような冷たい口調で問いかけた。
「殿下は、今のこの現状を理解しておられますの? 四大公爵家筆頭であるブランシュ公爵家のご嫡女であるロザリア様を、このような公けの場で侮辱なされると言うことがどういう意味を持つのかを」
「そ、其方とロザリアは反目し合い、家同士も対立しているではないか!」
「そのような下らない個人的な感情などは、この際どうでもよろしいですわ。同じ四大公爵家嫡流の者として、筆頭家の令嬢への不当な侮辱を許し難いと申し上げているのです。もちろん、わたくしだけではありませんわ。この場に居合わせている四大公爵家に連なる者全員が、わたくしと同じ怒りを抱いているはずです。中でも最もお怒りなのは、四人のご当主様方でしょうけれど」
さらりと周囲を見回していたヴァネッサが、最後に壇上の貴賓を見上げる。持って生まれた神聖力のせいか、壇上は余人でも目に見えそうなほどの冷たい怒気が渦巻いていた。
その最上段では、青褪めるのを通り越し、今にも倒れそうなほど顔色を失った皇帝が項垂れている。
「そ、それが何だと……」
「まだお分かりになりませんの? 長きに渡って皇室を護り支えてきた一族全ての反感を、貴方は今、この場で買ってしまわれたのです」
ヴァネッサの詰問に、更に冷ややかなレオンの糾弾が続く。
「いや……神聖教会が正式に認定した聖女を愚弄したのだ。四大公爵家だけではなく、全聖職者及び全信者を敵に回したと思った方が良い。当然、我が神聖帝国の臣民はほぼ信者だ。皇子の生母である皇妃殿下のような、極わずかな異国出身者を除いてな」
「せ、正式に認定……? ロザリアが……? 聖女と呼ばれているのは、例えではなく? そんな、まさか……神や聖女なんて御伽話の世界の話だろう……?」
狼狽えている王子の呟きに、周りの者は意味が分からないと言った風に隣の者と目を見合わせる。
「……どういうことですの?」
「先ほどから、殿下は一体何を言っておられるのだ……?」
「……皇族が神を否定するだなんて」
貴族達の動揺に比例して騒めきが高まっていくにつれ、とうとう最上段に座す皇帝は、頭を抱えて身を折ってしまった。
「皆様、お静かに」
さほど大きな声ではないにも関わらず、騒めきを一瞬で沈めるような凛とした声を響かせ、ロザリアはにっこりと聖女の笑みを浮かべた。
レオンを初め、自分を護るように皇子との間に立ちはだかっていた者たちへ目を向けると、その意を汲んでくれたらしく身を引いてくれた。
「わたくし、ずっと不思議に思っておりました。実を申しますと、初めてお会いした時から、ただの一度も、殿下から神聖力を感じたことがございませんの」
誰もがぎょっとしたように目を瞠り、次いで皇子を凝視する。
「わたくしは、恐れ多くも教会に聖女と認定されるくらいですから、四大公爵家の中でも神聖力は強い方でございます。筆頭公爵である父や聖騎士団長である叔父の、より強い力に慣れていたために……大変申し上げにくいのですが、二人に比べて殿下のお力があまりにも弱いせいで、感じ取ることができないのだとばかり思っておりました。でも――」
嫋やかな笑みを浮かべつつ、ロザリアは意図して、ジュリアスの皇子としての立場を少しずつ少しずつ追い詰めていく。
聖女と認定されていようとロザリアは神ではない。他者に比べて確かに鷹揚で寛容ではあるが、ただの人間である。
当然ながら、あまりにも度を越した振る舞いには怒りも嫌悪も抱く。
それでも、勅命の婚約であり帝国の安泰のためと言われれば、仕方ないと一応は我慢もしてきた。皇室を支えることも、四大公爵家の存在理由の一つなのだから。
だが、真っ当な努力をしようともせず、そもそも資格すら持たない皇子を皇位に就けるために、我と我が身を利用される謂れはない。