第一章 神の御座す地 6
誰も助けてくれる者がいないと思えた二人がかりでの説教から、ロザリアを救い出してくれたのは、思いがけずグレースだった。
果敢にも二人との間に割って入り、いわく、屈強な大の男二人が寄ってたかって、か弱い可憐な少女を虐めているようにしか見えないと。
ヒートアップしていた二人は、既に心の底から反省して涙目になりつつあるロザリアの様子にようやく気づき、罰が悪そうに矛を収めてくれた。
この二人だけは絶対に怒らせてはいけないと、密かに決意するほど怖い思いをさせられてしまった。片や苛烈、片や冷徹──どちらも平素とのギャップが激し過ぎる。
「それで? 俺に話があったんだろう?」
まだ若干の苛烈さを残した顔と少々きつめの口調で問われ、ロザリアは竦んだ身をそっとグレースに寄せる。
まるで盾のようにされているグレースは苦笑しながらも、庇うような位置に立ってくれた。
「そんなに怯えなくても……」
「鏡で自分の顔を見てみろ、怖がられて当然だ」
「そう言うお前だって、リアから距離取られてんだろが」
「そっ、そんな訳……!」
慌ててロザリアを見たレオンは、思わず目を背けてグレースの後ろに隠れたのを目の当たりにし、息を呑んでいる。
「ほら、見ろ」
「うるさい」
だが、そこで引き下がらないのが英雄の英雄たる所以であろうか。レオンはミカエルを押しのけ、立ちはだかっているグレースに目を向ける。
既に穏やかさを取り戻した顔に安心したのか、グレースはすっと脇に避けた。
つい今しがたまで怒りを湛えた冷たい顔で、凍り付くような冷気にも似た怒気を向けられていたロザリアは、目の前に立たれて更に身が竦んでしまった。
思わずグレースの方へ伸ばしかけた手を、レオンが捕らえて引く。引き起こされるように立ち上がらされたと思うと、そのまま抱き上げられてしまった。
「叔父っ…レオン様……?」
くるりと踵を返し踏み出そうとするレオンの肩を、慌てたようにミカエルが掴む。
「待て待て、どこへ行くつもりだ! リアは俺に用事があって来たんだろうが」
「ここで口説けと? 私は構わないが?」
表情も変えずにさらりと言われ、ひくりと口を歪ませたミカエルが、一瞬言葉に詰まった様子を見せ、次いで盛大な溜め息を吐いた。
その顔からは、先程までの苛烈な怒りは綺麗さっぱり消え失せている。
「じゃあ、ここで口説け。時間が勿体ない」
「は……え……?」
そのままベンチへどっかりと腰を降ろしたレオンの膝の上で、抱き上げられた格好のまま、ロザリアは目を白黒させていた。
そんな二人をよそにミカエルは周りを見回し、近衛騎士や聖騎士たちに指をくるりと回してみせる。
近衛騎士たちが一斉に背を向け、数瞬遅れて聖騎士たちも倣う。グレースもまた苦笑混じりの笑みを浮かべて、そっと後ろを向いた。
それらを背に、ミカエルだけが腕を組んで、こちらに目を向けている。
「ロゼ、済まなかった。神樹の所へ行っている時に、君の声が聞こえたような気がしたんだ。近くにいたブランが、ルビィを放り出してまで慌てたように転移していったから、何か起きたんだと思った。私もすぐにこちらへ向かったが、どれだけ心配したと思う?」
そう強く目を閉じて、レオンはロザリアを抱き竦める。ロザリアは慌てて、その胸を押し返した。
「あ、あの……ミカエル兄様が……」
「俺のことは気にするな。近衛が護衛対象から目を離す訳にいかないだろ」
つい今しがたまで別行動だったくせに、そんなことを言いながらミカエルはにやっと笑う。
「で、でも……」
見ていなくても話は聞こえてしまう。ミカエルは仕方ないとしても、他の者の存在まで無視できるほど、図太い神経はしていない。
背を向けている騎士たちに目を走らせているのに気づいたらしく、レオンが二人の周りに結界を張った。
教皇が良く使っている、遮音のための結界だった。
「これで、他の誰にも聞こえない。ロゼ、ちゃんと私の話を聞いてくれないか」
「……はい」
「心配のあまり、きつく言い過ぎた。そのことは謝る。ミカエルが散々言い聞かせた後なのだから、私まで叱る必要は無かったのだろうが……どうしても気が収まらなかったんだ」
「レオン…様……」
「君に何かあったらと思うと、気が気じゃなかった」
「ごめんなさい……ご心配をおかけして……」
「全くだ……君は以前、私を脅しただろう? 私に何かあったら、聖女の君が闇堕ちするかもしれないと……」
もちろん覚えている。あれは紛れもない本音だったのだから。小さく頷いて、その顔を見上げると、レオンは苦しげに言った。
「私も同じことを言う。君を喪ったら、私は生きていけない。あの十五の日から……私は、君のためだけに生きてきたのだから。英雄の私が生きる気力を失くして、あの時と違って完全に闇落ちしてしまったら、一体どうなってしまうのだろうな……」
「……脅さないで下さいませ」
「いや、私も脅しておくよ。君が無茶をしないように」
眉を顰めて見上げるロザリアの頬を撫でながら、レオンは目を覗き込んでくる。
「約束してくれ。私のためにも、絶対に無理無茶無謀は慎むと。それと、行動には最大限の慎重さを求める」
「あ、あの……無茶無謀は分かりますが……無理と言うのは……」
「君はすぐ無理をするだろう。この二年、君がどれだけ努力し無理をしてきたか、私が分かっていないとでも?」
「そっ、それは……」
「君はもう少し、楽をしても良いと思う。修練は必要だが、適正な努力に留めてくれ」
本質が勤勉な努力家であるロザリアには、適正と言われてもよく分からない。困惑していると、レオンは深々と溜め息を吐いた。
「まぁ、これからは私が常に傍にいる訳だし、無理は絶対にさせない。イザベラにも強く言っておく」
そう言って、ロザリアの頬に添えていた手が、するりと顎へ滑り降りてくる。
軽く顎を持ち上げ、上向かせたロザリアの瞳を間近に覗き込んで、甘い声で囁く。
「ロゼ、約束は? してくれるまで、離す気はないよ」
「レッ、レオン様っ……」
更に顔を近づけられ、ロザリアの頬が朱を帯びる。レオンに心配をかけたくないのは当然だが、努力の加減が分からないので、簡単に約束できない。
困り果てていると、更に距離を詰められた。唇に吐息がかかるほどの間近で、責め立てるように囁かれる。
「約束しない気かい? お仕置が足りなかったか?」
「やっ、約束しますっ! しますから、もう……」
涙目で叫ぶように言うと、にっこり微笑んだ〝王子様〟は、更に甘い声で囁いた。
「良く出来ました」
ご褒美と言わんばかりに、唇が塞がれる。今までの呼び名を間違えた罰であった口付けとは、あからさまに違うのは誰が見ても分かるに違いない。
それを音だけしか遮断していない結界のすぐ外から、ミカエルがじっと見ている前でと思うと、羞恥のあまり一気に顔に血が昇った。
僅かに唇を離したレオンは、やたらと嬉しそうな笑みを浮かべて目を覗き込み、再び口付けてくる。
それを何度も繰り返され、衣服から覗く全ての肌を真っ赤に染めて、ロザリアは頭が沸騰しそうなほど惑乱していた。
「やり過ぎだ、この阿呆!」
脳内の処理が追い付かずに意識が飛びかけ、ぐったりしているのを見かねたらしく、ミカエルが結界に踏み込んできてレオンを小突く。
我に返ったように顔を離したレオンは、ロザリアの様子に珍しく慌てている。
「ロ、ロゼ? 大丈夫か……?」
「……じょ…ぶじゃ…りませ……」
その後、ちょっとした騒ぎとなってしまい、レオンがグレースに滾々と説教されるに至った。
結局、朝立てたはずの予定は午前中のうちに破綻した。予定では、午前中は近衛騎士たちと精霊の加護を受けるために森へ行くつもりでいたが、朝からの騒ぎが一段落したのは昼近くなってのことである。
ようやくにして説教から解放されたレオンは、聖騎士団庁舎へ向かうと言って、まるでグレースから逃げるようにそそくさと立ち去った。
ヴァネッサに続いて、レオンにとって苦手な女性がまた一人増えてしまったようだ。
中途半端な時間になってしまったため、残った者たちは会堂で昼食を取った後、聖騎士たちの案内で森へ向かうことになった。
精霊が多くいる場所と言うこともあって、ロザリアは当然ながら同行するつもりでいる。
七歳で初めて公爵領の精霊の森に入り、精霊たちと親しく交わることになったロザリアだが、精霊の加護というものを一度も受けたことがない。
昨日、教皇に聞いて初めて、精霊が人に加護を与えるということを知ったくらいである。だから、どんなものなのか強く興味を惹かれてもいた。
何故、自分に精霊からの加護がないのか。それは聖女だから、なのだろう。おそらく、英雄であるレオンもまた、精霊の加護は受けていないはずである。当然、教皇も──
聖人とされる者は等しく、至上の存在である神から加護を受けているのだから、精霊が加護を与える意味も必要もないはずだった。




