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第一章 神の御座す地 4

 『ロザリア、どこ? ごめんね、僕、報告しなきゃいけなかったのに、後回しにしちゃった……』


 食事を終え、そのまま三人で話し込んでいると、ふいにブランのおずおずとした声がロザリアの脳内に響いた。一応反省はしているらしい。


「ブランの興奮がようやく収まったようで、やっと報告のことを思い出したようですの。ここに呼んで構いませんか?」

「見た目と能力の割りに、精神年齢が低過ぎだ。ロゼが過保護にし過ぎたせいかも知れないぞ」

「確かにのう……まぁ、しばらく神樹の下で他の聖獣に揉まれていれば、もう少ししっかりするじゃろうが」


 二人して溜め息を吐きつつ、渋い顔のまま了承はしてくれた。苦笑しながら心の中で呼びかけると、ブランはすぐさま転移してくる。

 少年姿で、両腕でしっかりと幼獣を抱き込んだまま、罰が悪そうに俯き加減で目だけを向けてきた。


「ブラン? どうしたの、その子……まさか、勝手に連れてきたんじゃ」

「ちっ、違うよ! ちゃんと神樹のお許しはもらったよ」

「本当に……? それで、どうして連れてきたの? 赤ちゃんではないだろうけど、まだ親が必要なくらいの子よね?」

「うん……どうしてもロザリアに見せたくて」


 そう言って、はにかむような笑みを浮かべて近づいてくる。間近で覗き込むと、初めて会った時のブランよりは大きいが、それでも十分に幼体だと思えた。

 同じ種族らしく毛色は同じだが、レオンにそっくりなブランの瞳の色とは違い、ロザリアの瞳の色に近い。


「色は、わたくしとお揃いね。女の子かしら」


 くすりと笑いながら、その可愛らしい顔を撫でてやると、幼獣は嬉しそうに目を細めている。


「うん。あのね……この子、僕の番いみたいなんだ」

「えっ!?」


 びっくりした。ごく最近まで幼獣姿だったブランに番い──しかも相手は本当の幼獣である。呆気に取られたまま、自分よりは聖獣に詳しそうな二人に目を向けたが、教皇もレオンも動じた様子が全くない。


「聖獣は皆、生まれた時から番う相手は決まっているらしいからね。特に不思議はないよ」

「聖獣の寿命は長いですからな。先に生まれて、番いが生まれるのを長いこと、それこそ何十年も待ち続ける者も多い。やっと成獣になった途端に番いを見つけられたのなら、こやつは運が良いのでしょうな。神の恩寵を受けているのかも知れません」

「……そう、なのですね……」


 よく分からないが、一人寂しく何十年も番いを待ち続けるのは、確かに辛いに違いない。寝耳に水ではあるが、とりあえずは喜ばしいことなのだろう。

 そう気持ちを切り替えることにした。


「良かったわね、ブラン」

「うんっ!」


 本当に嬉しそうな、輝くような笑顔でブランは頷く。運命で決められた伴侶を見つけると言うことは、聖獣にとって特別なことなのだろう。

 そう思いながらロザリアは、自分の運命の相手をちらりと見た。


 視線に気づいたレオンが、優し気な笑みを向けてくる。なんとなく胸の奥がくすぐったい。

 少々ぎこちなくなってしまったが、ロザリアも何とか笑みを返してから、ブランに問うた。


「それで、この子の名前は?」

「まだ無いんだ。だから、ロザリアに付けてもらおうと思って」

「そう……」


 じっと幼獣の顔を覗き込むと、くりくりとした目を大きく見開いて、赤に近い赤紫の瞳を真っすぐ向けてくる。掛け値なしに可愛い。

 雌雄の違いなのか、ブランの幼獣の頃とは骨格が全く違う。随分と華奢に感じた。


「可愛い名前が良いわよね……ルビ-……ううん、ルビィの方が可愛いかしら」

「ルビィ! うん、可愛い名前だ」


 ブランが嬉しそうに頷くのと同時くらいに、幼獣が触れたままだったロザリアの手に頭を擦りつけてきた。

 この様子からすると、当人にも異論はないらしい。


「ふふっ。よろしくね、ルビィ」


 抱き上げてみたかったが、ブランが離しそうもなかった。気持ちも分からないではないので、柔らかい毛並みを堪能しながら小さな頭を撫でる。

 和やかな気分でしばし癒されていると、杯の酒を飲み干したレオンが困ったように言った。


「ブラン、報告があったんじゃないのか?」

「あっ、そうだった! レナートの手紙!」


 ブランは慌てたように折り畳んだ紙を取り出し、ロザリアに差し出した。先ほど獣化していたはずだが、一体どこから取り出したものかと不思議に思わないでもない。

 そんなことをちらりと考えながら、ロザリアは便箋のような紙を開いた。


「わたくしが依頼していた、赤茶の髪の地域についての調査結果でございますわね……」

「分かったのか?」

「ええ、やはり幾つか該当する地域や国があったようです。明日、ミカエル兄様を交えて、地図を見ながら報告致しましょう」

「そうだな。他には? 皇宮の様子に変わりなどは……」


 レオンの目に浮かぶ色は、自分が守護すべき聖樹の地を案じるものなのか、それとも残してきた者への気がかりなのか。


「帝都はお披露目が功を奏したようで、あれからずっと落ち着いているようですわ。聖樹の森の様子は、ブランに直接見に行くよう頼みましたが……どうだったの、ブラン?」

「……!」


 聖樹の森と聞いて、ずっと気配を感じさせずに壁際に控えていたエクレイルが、はっとしたように顔を上げる。

 そんな様子に、ロザリアはようやく他の聖獣たちの存在を思い出していた。本当に黙っていると全く気配を感じない。


「聖樹も雷獣たちも、すっごく元気になってたよ。森全体が嬉しそうに光の波動をいっぱい出してたから、きっとすぐ精霊も戻ってくると思うんだよね」

「そうなのね。それは、良かったわ」


 にっこりと微笑む。身を乗り出すように聞いていたエクレイルも、ほっとしたように顔を緩めた。


「本宮も見て来てくれた?」


 今度はレオンが、厳しい顔で身を乗り出している。やはり、シャルローズ妃の様子が気になるらしい。


「うん。皇帝はまだ帰ってなかったけど、レオンのお母さんがどうしてるかは見て来たよ」

「何か変わった様子はあった?」

「……僕を見て、不思議そうに首を傾げてた。それから、僕の顔や体をぺたぺた触って、『レオンにそっくりね、だぁれ?』って」

「妃殿下がそう言ったの?」

「うん。最後に見た時とは、全然違ってたよ。なんだろう……しゃきっとしてた。あのボロボロの人形もね、もう持ってなかったよ」

「そうなの?」


 意外だった。あれほど執着していたのに、人形を手放しているとは。しかも、レオンのことを“坊や”ではなく名前で呼んでいる。 

 帝都での最後の日、披露目が終わった後でロザリアは母と共に帰宅したが、レオンは教皇と共に残った。その時に、何らかのふれあいがあったのだろう。

 そのふれあいが、おそらくはシャルローズ妃に良い効果をもたらしたに違いない。


 ルビィが眠そうにしているのを認めて、ブランに神樹の地へ返してくるよう命じる。ブランが転移していった後、ロザリアはエクレイルの隣に控えているセシリアとアリステアに目を向けた。


「そう言えば、セシルやアリスにも番いはいるの?」

「いえ、私たちにはまだおりません。聖女様の護衛を神から仰せつかった時にお伺いしてみましたが、使命を果たすまでは待つようにとのことでした」

「それは……わたくしのせいで、貴女たちに寂しい思いをさせてしまっているのね」

「そうではございません。聖獣にはそれぞれ生まれて来た意義というものがあるのです。それは、番いを得ることよりも我々にとって重要なことなのです」

「セシルの言う通りです。私たちは、ブランのように魂の契約による守護聖獣ではありませんが、人の世で例えるならば、皇族にとっての近衛騎士のようなものです。人間も、お役目に支障が出る場合は、結婚の時期を見計らったりするではないですか。同じことですよ」

「ええ、ロザリア様が気に病まれるようなことではございません。何より、私たちの番いはまだ生を受けてさえいませんから」

「あ……そうなのね」


 つい責任を感じるところだったが、それ以前の問題だったようだ。そんな様子を見ていたレオンが深々と溜め息を吐く。


「ロゼ、君の良くないところだ。何でも背負い込もうとするんじゃない。ただでさえ君は、他に比べて重い使命を背負っているんだ。君が気にかけるのは、私のことだけで十分だよ」


 叱責混じりの言葉が、途中から冗談めかしたものに変わっている。教皇がぷっと吹き出し、からからと笑い出した。


「全く、レオンの言う通りですな。聖女様は、英雄であるレオンのために生まれて来られたのです。彼のことだけ考えておられれば宜しいのですよ」

「そっ、それは……」


 間違ってはいない。それが聖女の使命なのだから。だが、その言い方ではまるで──恋に目が眩んで、恋する相手以外は何も目に入らない乙女のようではないか。

 聖女の使命と言う重々しい話が、まるで学院で女生徒同士が頬を赤らめながら興じる恋愛話のような、何とも軽々しい雰囲気になっていた。


「もう、お二人とも……からかわないで下さいませ」


 少し拗ねた気分で目を逸らすと、壁際にいるエクレイルが目に入った。この聖獣は、英雄の魂が最初に母体に納められた時に生を受けている。

 誕生から二十年以上、もしかしたらもう聖地に番いとなる者がいるかも知れない。


「レオン…様、エクレイルを神樹の所へ連れて行ってあげて下さいませ。神樹へのご挨拶もまだですし、それに……」

「ああ……そうだな、失念していたよ。明日、暇を見て連れて行こう。彼にも、既に待っている者がいるかも知れないしね」

 

 エクレイルが、落ち着きない様子で身じろぎしている。皇宮での騒動以降、どっしりと構えて老成した態度を見せていたことを思うと、何となく微笑ましい。

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