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第一章 神の御座す地 2

 一瞬にして世界が変わった──人の生きる世界から神が御座す別世界へと。そうとしか言えなかった。

 神殿奥の扉からレオンと共に転移したロザリアは、ただただ絶句していた。


 まだ陽の高いはずの時間であるが、この異空間は満天に降るような星を湛えた夜に覆われていた。

 周囲は、その高い高い天空の途中から湧き出した滝にぐるりと囲われているにも関わらず、流れ落ちた水は飛沫を上げることもなく、白い平らかな島を浮かべる水面は水鏡のように波一つ立っていない。水音もなく、ひたすら静寂に包まれている。


 天空には無数の星が煌めき、水鏡のような湖面近くでは乱舞する精霊たちにより、色とりどりの蛍のように幻想的な淡い光がそこかしこを照らし、辺りは殊の外明るい。

 皇宮や公爵領のそれよりも広い地には、種々様々な聖獣たちが番いでいたり、群れを成していたりする姿が数多く見受けられた。


 全く物音のしない静謐な空間であるにも関わらず、背後に感じる圧倒的な存在感──ロザリアはゆっくりと振り返り、ひたすら巨大な神樹を仰ぎ見る。

 今まで見てきた聖樹とは全く違う。樹であって樹ではない。神そのものであると感じられた。


 初めて目にしたにも関わらず、何故か酷く懐かしい。ひたすら胸が熱くなり、身の内を何かが込み上げてくるような感覚に見舞われる。

 胸の前で握り合わせた手が震え、大きく見開かれた目から涙が伝い落ちていく。


「ただいま戻りました……」


 無意識のうちに、そんな言葉が口をついていた。


──お帰り、我が愛し子よ


 守護獣を与えられた時と神力を授けられた時、その時に聞いた同じ声で返される。それと同時に、己が魂の成り立ちや、この世に生じるに至った意義が、自分の心の奥深くへと一気に流れ込んで来た。


 そうして思い出した。自分が聖女なのは、神そのものとも言える神樹から生じた魂を持つからなのだと。先の二人と同じように──

 だからこそ、教皇は自分をああまで尊重しているのだと、やっと思い至る。聖女だからではなく、神の子であると言う事実をもって。


 ロザリアは、傍らに立つレオンに目を向け、そっと身を寄せた。優しげな笑みを浮かべたレオンは、肩を抱き寄せて涙を拭ってくれる。

 その手を取って頬ずりしながら、じっと愛しい男の顔を見つめた。


『わたくしは、この方のためにこの世に生まれてきた……』


 三度目の生を受けた英雄の魂。その魂に前世の記憶があるのかは分からない。だが、神からの使命を二度果たして、天寿を全うしたことは間違いなかった。

 先の二人の聖女が、どんな風にこの魂と向き合ってきたのか。それが、とても気になった。


──其方が呼びかければ、応えるだろう


 先の聖女たちと話せるのだろうかと、思わず神樹を見上げた。そこに別の存在があることを確かに感じ、ロザリアは語り掛ける。


「また、こちらへ来ても宜しいですか? その時に是非……」


 レオンの居る場で話したくはない。少々やましい気持ちがしないでもなかった。隣から怪訝な目を向けられているのを感じたが、敢えて無視する。

 ふと、そこに漂う思念のようなものが笑ったような気がした。


──いつでも来るが良い


 代わりに神樹が応えてくれる。それに頷いた後、唐突にブランから呼びかけられた。


『ロザリア、どこ? 帝都まで行ってきたよ』


 広場での聖職者たちへの紹介が済んだ後、ブランには帝都まで転移できるか試すよう頼んでいた。いつもの通り、父への伝言と新しい情報の確認を託して。

 帝都からは随分と離れてしまったが、無事に行き来できたようだ。


「わたくしの守護獣を、この場に召還しても構いませんか?」

──構わぬ


 心の内で呼ぶと、ブランは人の姿のままですぐさま転移してきた。


「ここが聖地……父さんたちの言ってた通りだ」


 ブランは興味深そうに目を輝かせて、周囲を見回している。やがて、自分と同じ種の群れを遠くに見つけて、いきなり人化を解くや、そのまま駆け出して行った。


「あいつは全く……報告もせずに」

「仕方ありませんわ。同族に会うのは初めてですもの、きっと嬉しくてたまらないのでしょう。見逃してあげて下さいませ」

「相変わらずロゼは、ブランに甘いな……」


 深々とレオンに溜め息を吐かれ、ロザリアは苦笑するしかない。ずっと可愛がってきた愛玩動物であることに加え、心の底から大好きな相手の少年時代の姿を取っていたりするのだから、厳しく当たれるわけがなかった。




 同族と親交を深めるのに夢中で帰りたがらないブランを残し、ロザリアはレオンと共に聖地から出た。

 レリーフの刻まれた扉の前に転移した二人を認め、祭壇の前で待機していた聖騎士たちはほっとした表情を浮かべている。


 そんな聖騎士たちを従えて神殿から出ると、セシリアとアリステアが待ち構えていた。これからロザリアが滞在することになる、教皇の住む正殿へ案内すると畏まって告げられる。


「では、私はミカエルたちの所へ行くよ。彼らの滞在場所を決めなければならないしね」

「レオン様は……聖地では、どちらに住まわれているのですか?」

「聖宮内に聖騎士団長の官舎があって、そこに滞在していたが……職を解かれたので、早々に引き上げなくてはならないだろうな。今後は、猊下の正殿の一室に移るよう言われているよ」

「では、同じ建物内ですのね。良かった」


 知らない場所へ滞在することになるが、レオンが居るなら不安はない。思わず明るい笑みを浮かべると、レオンは苦笑しながら言った。


「職位の引継ぎと滞在場所の移転とで、数日は忙しくなるだろう。その間は、あまり構ってあげられなくなりそうだが……」

「数日のことなら、我慢致しますわ。セシルやアリスもいてくれますし、大丈夫です」

「そうかい? 何かあったら、すぐ連絡してくれ。良いね?」

「はい、そう致します」


 安心させるように微笑み返し、ロザリアはレオンと別れて、セシリアたちに連れられ正殿へ向かう。聖騎士たちがレオンではなく、自分に付き従ってくるのが、何となく不思議ではあった。


「聖地と聖人をお護りするのが、聖騎士のお役目ですから。聖女様は猊下よりも優先順位は上なのです。皇子殿下は英雄ではありますが、本来は近衛騎士が警護すべきお方ですし」


 ロザリアの疑問を察したらしく、アリステアがにこりと笑って言う。そういうものかと思いながら、案内に従った。


 


 「初めてお目にかかります、聖女様。わたくしは副神官長の職を賜り、女性神官を束ねております、イザベラと申します」


 正殿に足を踏み入れるや、両膝を突いて出迎えた老女が、両手を胸に当て深々と首を垂れる。聖職者たちが教皇に向けるような最上級の礼を取られ、ロザリアは少々困惑しつつも、上位者として相対した。


「ロザリア・ブランシュです。これから、よろしくお願いしますね」


 真っすぐ姿勢を正したままで、しっかりと相手を見据えて名乗る。やがてイザベラは立ち上がり、恭しく再度礼を取ってから、先に立って宮殿の奥へと案内を始めた。

 石造りの大きな階段を二つ上がり、周囲に比べて一際豪奢な扉に至ったところで、イザベラは扉を開け放ち、一歩引いて中へと促す。


「こちらが、ロザリア様がご滞在頂くお部屋にございます。この正殿で最上の貴賓室をご用意させて頂きました」


 古い様式の建物ではあるが、内装も中の調度も現代風に整えられている。貴賓室と言うからには、ここだけ特別なのかも知れない。

 余人の立ち入りを禁じられた聖宮の正殿、そこにある貴賓室となれば、滞在できる貴賓は限られる。


 皇帝か、それに準ずる者が使う部屋──最初はそう思った。だが、室礼は女性的で、しかもかなり若向けである。

 ふと、ここは最初から自分のために調えられた部屋なのではと思った。中へ入って見回してから、ロザリアは尋ねてみた。


「今回の逗留は急に決めたことだったのだけれど……ここは、わたくしのために用意されたお部屋のようですわね」

「さようでございます。ロザリア様は貴族学院を卒業された後、聖地へ来られるご予定でございましたので、早めに準備させていたのが幸いでございました。居心地よくお過ごしいただけるよう、気を配ったつもりではございますが、不備などございましたら何なりとお申し付け下さいませ」

「そう……ありがとう。温かい心配りに感謝致します」


 にっこりと微笑むと、イザベラは跪いて頭を垂れる。その表情はあまり変わっていないが、どことなく満足げに見えた。


「教皇猊下から、護衛を兼ねた侍女としてアリステア殿とセシリア殿をお付けすると伺っておりますが、同じ年ごろの女性神官も何人か選出しております。ただ、急なお話でございましたので、各地の聖堂へ出向中だったり里帰りをしていたりで、聖地には一人しか残っておりません。その者も準備がございますので、明朝にはご紹介できるかと存じます」

「わかりました。気の合う人だと良いのですけれど」

「本日は、このままわたくしがお世話させて頂きます。なお、ロザリア様がご希望されている聖女としての学びに関して、座学的なことについては、わたくしがご教授させて頂くことになっております」

「まぁ、そうでしたか。よろしくお願いしますね」


 自分が上位者ではあるが、相手が師ともなれば、また対応が変わる。后妃教育では、対人関係の微妙な匙加減も叩き込まれていた。

 ふと、座学がイザベラならば、実技の教授はどうなるのかが気になった。


「実技はどなたが教えて下さるのかしら」

「聖女様に近いお力をお持ちなのは、聖騎士団長殿……いえ、皇子殿下しかいらっしゃいませんので、おそらくは──」


 思わずロザリアは、ぱあっと顔を明るく輝かせていた。

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