第七章 日常との決別 12
「ミカエル兄様? ヴィーはわたくしのこと、兄様にはどのように言っておりますの?」
ロザリアがくすりと笑いながら問うと、レオンに食って掛かっていたミカエルは、何が言いたいのかと窺うように向き直る。
「おば様がわたくしとの接触禁止を命じられているとかで、ミカエル兄様とはあまりお話ししたことございませんでしたわよね。でも、わたくしはヴィーや叔父…レオン様からいろいろと……それはもう、いろいろと具体的に伺っておりますので、兄様の人となりはある程度把握しているつもりでおりますわ」
やんちゃすぎる子供時代や少年時代のあれやこれ、やらかしてきたことについては、けっこうな情報量を得ていて、人物像を把握するには十分なほどだった。もちろん成人してからも。
ロザリアは、それらを愚痴混じりに告げる二人の様子を思い出しながら、更に続けた。
「ヴィーが言うには、おば様はわたくしのことを本気で、蝶よ花よと育てられた深窓のか弱く儚い令嬢のように思われていらっしゃるようなのですけれど──」
頬に手を当てて小首を傾げ、にっこりと微笑む。
「──あり得ませんわよね? レナート・ブランシュの娘でございますのに」
「……………………確かに」
しばらく考え込んだ後で、ミカエルは納得したように頷いた。
「言われてみれば、母上が君のことを口にすると、いつもヴィーは呆れたように溜め息を吐いてたな……子供の頃は、そういう子じゃないとか、本当はこうなんだとかいろいろ言っていたけど」
「ええ……おば様の思い込みが激しくて、何を言っても受け付けないので、途中から諦めたと言っていましたわ」
ルージュ公爵夫人は、外見と物静かな様子から、勝手にロザリアをか弱く大人しく、何か悪戯でも仕掛けようものなら、耐えきれずに卒倒してしまうような、とても繊細でひ弱な深窓中の深窓の令嬢と思い込んでいるようだった。未だに。
「確かに、あまりされたくない悪戯ではありますけれど……汚物は浄化できますし、蜘蛛や虫の類は神聖力を身に纏わせていれば、向こうから避けてくれますわよね。大体、わたくし、小さい頃から叔父様と一緒に森で遊んでいたのですもの。そんなもの怖がったりなんて致しませんし、狩りにも同行していましたから、血塗れの獲物も見慣れておりましたしね」
「悪戯はともかく、ミカエルのような不良はロゼの情操教育に良くないから、私からすれば接触禁止は大歓迎だったけどな」
そうレオンが肩を竦めて笑った。
「酷いな、お前……それで傍観決め込んでたのかよ」
「当たり前だろ。なんで、わざわざお前みたいなのを近づけなきゃならん。百害あって一利なしだろうが」
「おい~」
二人のやり取りが可笑しくて、ロザリアはひとしきり笑った後、軽く咳払いをして顔を引き締めた。
「さて……わたくしの実態をご理解いただいたところで、お話を元に戻させて頂きますわね」
幼馴染の悪友同士は、途端に真顔になって、ロザリアがとんと指先を置いた地図の一点に目を向ける。
面白そうに眺めていた教皇も、笑みを消して地図を覗き込んだ。
「二十八年前、シン王国の使節団が上陸したのはここ、帝国の東端にある港町。大陸の大半は我が帝国の版図ではありますが、ほとんどの海岸線は属国である国々が面していて、帝国本土が海岸に接している場所は非常に限られております。その数少ない港に、使節団は直接船を乗り付けて来ました。皇帝が受け入れを表明した後、使節団を残して船は帰国しております。上陸したのは34名で女性はランファと皇妃様の2名のみ。他は全て男性ですが……」
「ああ、確かに男には違いないけどさぁ……そいつら全員、宦官だったよな?」
若干ふざけた調子で口を挟むミカエルに対し、ロザリアは厳しい顔で頷く。
「ええ、32名全て宦官でございます。つまり……そのまま帝国に居座った彼らが増えることはない、と言うことですわ」
「それはそうだろ、増やしようが──」
大仰に肩を竦めて途中まで言いかけたミカエルが、はっとしたように目を瞠った。
「ちょっと待て……! 皇妃の宮殿での敵の死者21人、捕縛3人。皇宮広場での捕縛が24人だったはずだ。どういうことだ!?」
「ええ、増えるはずのない者たちが増えているのです。つまりは、密入国者と言うことですわね。中には、どう見ても十代後半くらいの年若い者もおりましたもの」
「言われてみれば、確かに……」
実際に現場で戦ったレオンが、眉を強く顰める。
「それで今、父の配下の諜報部門が帝国の海岸線を、ブリュイエ家の手の者たちが海に接している属国を調査し監視しております。それにしても、ミカエル兄様……死者や捕縛者の人数を正確に把握してらっしゃるのは、さすがでございますわね」
未だにどこか悪戯好きなやんちゃさの残る青年で、その言動は軽くも見えるが、やはり軍事を預かる公爵家の次期当主である。
見かけ通りのはずはない。ヴァネッサからも食えない性格と耳にしている。
「ルージュ公爵麾下の偵察部隊は、各地で魔物の出現を監視していると伺っておりますが……進捗は如何ですの? 出現に法則などはないのでしょうか?」
「うちで上がってくる情報は、そのまま宰相閣下に共有されているからね。君の情報が出発の直前に得たものなら、俺と大差ないんじゃないかな」
「情報としてはそうでしょうけれど、わたくしとしては、ミカエル兄様の率直なご意見を伺いたいのです」
じっとヴァネッサと同じ赤に近い目を見据えていると、やがてミカエルが深々と溜め息を吐いた。
「はぁ~っ、あの宰相仕込みの聖女様になんて勝てる訳がない……わかったよ」
どこか気怠げに見せていた雰囲気を一掃し、背筋を伸ばして、今まで見たことがないほどに顔を引き締めている。
横にいた長い付き合いのレオンが、思わずと言ったていで目を瞠るほどに。
「四大公爵家の領地……つまり聖樹のある地近辺には月に一度か二度の頻度で魔物の出現が報告されている。どの聖樹も神聖力は十分に満ちているから、本来ならあり得ない。呪力が溜まるはずもないのに、聖樹の結界ギリギリの辺りでも出現していることから、人為的に呪具か何かで発生条件を満たしているんだと思う。結界周辺の広い地域を常時監視するのは難しい。その隙を突いているからこそ、余計に人為的だと思っている」
ミカエルはロザリアからペンを取り上げ、地図を覗き込んで印を書き込んでいく。
「頻度から言って、仕掛けている者が常駐しているとは考えにくい。毎回、発生場所は違っているが、比較的東側が多いようだ。公爵領以外も規則性があまりないように見える……一見な」
口角を僅かに上げて、三人を見回し再び地図に向き直る。
「良く見ていてくれ。それぞれの公爵領ごとに発生順に印を付けていく」
まず帝国の南側を占めるルージュ公爵領を指で示した後、手早く丸い点のような印が地図に書き込まれる。公爵領から遠く、今度は近くと言ったように距離はバラバラだった。
だが、最後の点を書き終えた時、或る方向から公爵領へ幅の広い川が流れているように多くの点が地図上に表示されていた。
「次、ブリュイエ公爵領──」
西側の領地を示し、同じ手順を踏む。次に北側のブランシュ公爵領、最後に東側のヴィオレ公爵領。次々と作業を終えた後、地図には四つの太い流れがあった。
そのどれもが、起点は大陸の最東端にある、先帝が蟄居させられている古い離宮を擁する地である。
「これ、気づかれたのは最近ですの?」
「ああ、残念ながら……内宮の件があった後だ。あれから今日まで、魔物が出現したと言う報告は一件も上がって来ない。おそらく、体制を立て直してから再開させる気だとは思うが」
「では、再開されれば、別の拠点や新しい拠点の位置は分かりそうですわね」
「向こうがやり方を変えなければ、だけどな」
ロザリアは頷いて、地図の東端の海岸線をなぞる。
「離宮は拠点ではなくなりましたが、でも、他の拠点も東側のどこかだとは思うのです。他の三公爵家に比べ、ヴィオレ家は研究者気質の一族であることもあって、権力武力などに興味がなく、言ってみれば防衛能力としては一番低い……自領地については神聖力や聖具の研究が進んでおりますから、自衛に問題はないと思いますが、周辺の貴族領や属国まで抑えることは難しいでしょう」
「奴らにとっては、東側が一番入り込み易い地と言うことか」
「ええ……シンから密入国させるにも、やはり拠点は東に置きたいでしょうし」
「……そうだな」
レオンとミカエルもそれぞれ真剣な面持ちで考え込む様子を見せながら、ロザリアの言葉に頷いた。
世俗から離れた神の代理人は、興味深そうではあるものの、終始黙って聞いている。
「皇宮広場での件ですが……帝国では庶民も含めて、髪を染めるのはあまり一般的ではございません。急ぎ調べさせたのですけど、黒髪を染めるとなると、かなり効力の強い薬剤となるようで、帝都では全く流通していないそうなのです。今、ブリュイエ家の伝手を使って、染料もしくはその原料の流通を調べて頂いております」
「確かに、あの黒髪は我が帝国では目立つからな……」
「はい。髪は定期的に何度も染め直さなければならないので、今後も帝国に潜み続けるならば染料は必ず必要になります。ですから、他の拠点の手掛かりになると思うのです。それから──」
ロザリアはちらりと隅で寝ている獣姿のブランを見やって、話を続けた。
「──赤茶の髪しかいない地方、集落、属国なども父に言って調べてもらっております」
「赤茶の髪?」
レオンとミカエルが同時に聞き返す。
「皇宮広場でブランが闇の使徒の気配を感じて、場所を教えてくれた時、そこには黒髪の者は誰一人おりませんでした。ですから浄化をかけたのですが、あの者たちは全員、髪を赤茶に染めていたのです。本来なら、集団で同じ髪の色にするのは不自然ですが、拠点が赤茶の髪しかいない地域なのかもしれないと思いまして」
「ああ……確かに。そういう地域が幾つかあった気がするな」
「そうなのか? 聖地に来る巡礼者にも赤茶の髪はいるが、出身地域一帯なのかまでは分からないからな……」
レオンの言葉に教皇も頷いていた。それを見やって、とりあえずの情報共有は終わりであることを告げ、ロザリアはブランを起こした。
「どうかした?」
「ええ、ここから帝都のお父様の所へ転移できるか、試してみてほしいの。転移できたら、無事に予定の場所に着いて野営していることを伝えて、何か新しい情報が上がっていないか聞いてくれる?」
「ん、分かった」
そう返して、ブランはすぐさま転移して行った。馬車で半日程度だが、ブランがまだ試したことのない距離ではある。
聖地から直接帝都に転移できるなら情報伝達の面でとても助かるが、そこまででなくても、聖堂まで転移できれば、大幅に短縮した時間で行き来が出来る。
「──行って来れたよ。まだ新しい情報は届いてないって。野営中は、絶対に聖獣たちから離れないようにって、ロザリアに強く言うよう何度も何度もしつこく言われたよ」
ややしばらくして戻ってきたブランは、辟易した様子で言った。




