第七章 日常との決別 11
「まずは、あの女呪術師について──」
現時点で判明していることについて、ロザリアは、父が纏めた内容を簡単に説明していく。
皇妃を尋問し、女呪術師が先帝の愛妾となった叔母であることは確定している。
名はランファ。遥か東方の小大陸にあるシン王国から献上された王の異母妹で、当時二十二歳。故国でも一、二を争う妖艶な美姫であり、大呪術師だった。
最初から先帝を篭絡して傀儡とし、帝国の実権を握って乗っ取るのが、シン王の目的だったと言う。
ランファは呪術だけではなく、シンに古来から伝わる麻薬や催淫効果のある香や媚薬を駆使し、先帝を篭絡して堕落せしめた。
皇太子妃の不義事件の頃には先帝は完全に傀儡と化し、本宮の者や有力な官僚なども相当数が洗脳されていた。
言いなりの先帝に正統な皇嗣となる胎児を殺させ、皇太子妃を排除した後は、傷心の皇太子にまだ十代半ばだった姪を宛がい、うまく誘導して徐々に薬漬けにさせていった。
順調に帝国首脳部を侵食していたはずだったが、代替りしたブランシュ公爵が、その手腕によりあっという間に先帝を追い詰め、皇宮から追放してしまった。
女呪術師は先帝と共に、帝国の最東端にある寂れた離宮に送られて幽閉された。
だが、故国から連れてきた配下は、密かに皇妃の宮殿に異動させており、皇宮の聖樹を呪力で穢す計画を立て実行に移した。
長い時間をかけて、誰にも気づかれぬように少しずつ弱体化させていった。
また、遠方からでも姪を憑代として操ることは可能だった。先帝と同じように皇帝を洗脳し篭絡。ついには、愛妾とさせて、首尾よく懐妊することに成功した。
順調ではあったが、生まれた皇子には皇統の証である聖印がなかった。ランファは姪に付けた配下に命じ、皇帝の聖印を写し取った図案を刺青で赤子に刻ませる。
そうして皇嗣であることを誤認させ、皇子の生母と言う立場を翳して、姪を皇后に立てるつもりだった。
先帝の時と違ったのは、政権を掌握していた筆頭公爵がレナートであったこと。レナートと洗脳前の皇帝が皇宮の綱紀粛正を図り、不穏分子を一掃。
その時点で、愛妾ごときではどうにもできない、強固な政治体制が築かれてしまっていたことだった。
皇帝の洗脳が成功していたにも関わらず、聖卓会議の権威までもがいつの間にか復権しており、計画の進行速度は急落。姪は皇妃と言う肩書にはなったが、あくまで名目に過ぎず、正式な皇族ですらない。
表立っての帝国乗っ取り計画は頓挫し、水面下で聖樹の弱体化計画を進めるしかなかった。
そんな中で、皇帝の洗脳が解けた。大聖堂の中で、しかも四大公爵家の直系だけが集まる場で起きたために、その事態を把握できずに対処が遅れた。
原因も掴めぬまま洗脳が解けたことに気づいた時には、皇妃は本宮を出されて最も離れた宮殿に追いやられていた。
皇帝は我が身への所業を知って、皇妃を徹底的に遠ざけたが、それでも皇子の生母と言う立場を慮って、完全に排除しなかったのは僥倖だった。
水面下での皇宮汚染を進めつつ、皇子ジュリアスの成長を待つことにした。
その期待の星だったはずのジュリアスは、愛くるしい見た目だけが取り柄の母に良く似て、見目は悪くないものの全くの無能で怠惰で傲慢。
帝国で唯一の皇統を継ぐ存在であるにも関わらず、臣下にも国民にも認められていない。
恒例である十五歳の教皇への謁見も、聖印が偽物であることを見抜かれる訳にはいかないため、異教徒であることを理由に拒否させた。
それにより、皇妃の評判も、皇子の評価も目に見えて下落していったが、どうにもならなかった。
そして──聖女の出現。ブランシュ公爵の娘ロザリアが“そう”だと知った時、皇帝の洗脳が解けた理由を、遅ればせながらやっと理解した。
洗脳が解けたのは十二年前、皇帝が同席したロザリアの三歳の披露目の時期だったからである。
ランファは、唯一の血脈を継ぐジュリアスの処遇に、皇帝が悩んでいることを知っていた。皇妃のことは毛嫌いするようになっても、我が子のことは見捨てられない甘さがあることも把握している。
貴族の手駒は全て宰相に排除されていたが、下男下女のような皇宮の下働きまでは目は行き届いていなかった。それらの平民を呪力ではなく薬で誘導し、狙った場所で噂話を立てさせた。
本人たちは誘導されている自覚もなく、仕事の合間の単なるお喋りに過ぎないため、誰も罪悪感など持つはずもなく、狙った方向へ噂話を広げていった。
やがて、皇帝の周りにいる侍女や侍従たちの耳に入り、それを人々の願いと誤認した者たちが、軽い気持ちで皇帝に噂を話して聞かせる。
そうして皇帝は、箸にも棒にも掛からぬ出来損ない皇子の救済方法を見出した。聖女を皇子の妃に──
聖女をジュリアス皇子に縛り付け、呪術を使えば気づかれる恐れがあったため、あらゆる薬を使って洗脳していく予定でいた。
だが、それもジュリアス自身が聖女を嫌って避けるために、些細な機会すら得られない。
焦っていたところへ、貴族学院の卒業記念舞踏会での騒動が起き、ジュリアスに皇嗣の資格がないことを露呈させられてしまった。またもや、聖女の手によって。
後がないため、水面下で準備してきた計画の開始を決意した。
皇宮の聖樹を攻略する手筈はある程度整っていたが、どう本宮に入り込むか思案していたところに、向こうから機会が転がり込んできた。
皇帝がシャルローズ妃を本宮に引き入れたのである。千載一遇の機会であった──
「そのような経緯で先日の皇宮の騒動が起き、皇妃様に取り憑いた女呪術師ランファは、叔父……いえ、レオン様に斬られ、力の大半を失っていると思われます。父は諜報部門に指示して、離宮を検めさせたのですが、先帝と共にいた愛妾と思われる者は偽物でした。黒髪を詰めたペンダントを身に付けさせ、時折、憑依してはいたようですが……」
そう告げながら、ロザリアは地図の離宮を示す印に✕を付ける。
「先帝の譲位以前に取り込まれていた者たちは、既に洗脳を解かれておりますが、中には発覚しないままに素知らぬ顔で領地へ隠居したり、憑代とされていたりと、未だにランファに利用されている者がいないとも限りません」
地図に印を幾つか書き込みながら続けた。
「諜報部門の調べで、ランファを匿う可能性のある領地がこことここ。皇妃様の宮殿で確保した三人の闇の使徒を尋問して、白状させた拠点が全部で七つ──」
印の種類を分けて、地図にそれぞれ書き込んでいった。メモなど見ることもなく理路整然と述べ、迷いなく示していく様子に、教皇は感心した様子を見せ、レオンは笑みを浮かべて頷く。
「本当にロゼは優秀だな」
「ありがとうございます、叔父様」
「うん……そう言う少し抜けたところも愛嬌があって良いけれどね」
苦笑して言われ、また呼び名を間違えたことに気づいて、ロザリアは頬を染める。どこか緊迫していた密談が一気に弛緩してしまった様子に、一人で頭を抱えているのはミカエルであった。
「待て待て待て待て……レオン、なんでこの状況をそんな当たり前のように流せるんだ!?」
教皇や聖女、英雄である皇子を前に、素に戻ったミカエルが焦ったように指摘する。
「何がだ?」
「いや、何がって……まだ十七で学院を卒業もしていない未成年で、深窓の令嬢として風にも当てられずに、蝶よ花よと育てられてきた子だぞ!? そんな子が、こんな……軍の参謀みたいなことを平然と言ってみせてるのを、何とも思わないのか!?」
世俗から離れた“神の代理人”も、浮世離れしていると称された“英雄”も、軍門の次期当主であるミカエルの指摘に、不思議そうに見返すだけだった。




