第七章 日常との決別 8
家族水入らずの最後の晩餐──夜、少し遅めではあったが、ここ数日で更に殺人的に忙しくなった執務を、どうにかこうにか切り上げて帰宅した父レナートと、母アナマリアと共に、ロザリアはテーブルに着いていた。
レオンがこの屋敷に帰ってくることはもうない。今日の披露目を境に、もうブランシュ公爵家の一員ではなくなったからである。
披露目の後で、皇籍に入る正式な手続きが行われ、帝都での最後の夜は、教皇と共にそのまま本宮に滞在することになった。
元々二年もの間を聖地で過ごしていたのだから、今更、私物の整理も必要なかった。
明朝早く、ロザリアは皇宮へ向かい、教皇一行と共に聖地へ旅立つことになっている。
教皇と英雄と聖女が帝都を発つのだからと、皇帝の発案で、皇宮からの大通りをパレードすることが告知されていた。
「本当に陛下のご提案なのですか?」
「他に、誰がわざわざ、そんな面倒なことを?」
疑い混じりの目を向けると、父は肩を竦めて見せる。
「いえ……また、お父様が画策されたのかと」
「おや、ずいぶんと不穏当な言い草だね。私が何をしたと?」
「叔父様との婚約もそうですが、婚約式とかも陛下のご発案ではないですわよね?」
「それは、まぁ否定はしないよ。口先だけじゃあ、重みはないからね。教皇の祭祀、皇帝の立会いと言うこれ以上はない格式の儀式を、あえて大勢の有力貴族や大衆に見せつけた。これでもう、誰もお前の立場を脅かすことはない」
「わたくしの立場でございますか?」
小首を傾げる娘に、父は真顔を向けて腕を組む。
「リア……お前、レオンの価値を甘く見過ぎだ。これまでの筆頭公爵家子弟と言う立場でさえ、帝国一の最優良物件だったのに、いずれ皇太子となり得る第一皇子と肩書が変わったのだ。野放しにしておけば、どれだけの有力貴族が動くと思う。あらゆる手を使ってくるぞ。色仕掛けはもちろん、あらん限りの権謀術数を駆使してな」
「そ、そういうものなのですか……?」
「そういうものだ。口約束程度では、あっさり横から浚われるぞ」
「でも、叔父様はそんな……」
「何だかんだとレオンも浮世離れしているからな……油断して既成事実を作られたら逃げようがない」
「で、ですから! 叔父様はそんな色仕掛けなどに惑わされるような方では……」
「実などなくとも既成事実に見えさえすれば、十分に目的達成なのだよ」
権謀術数はレナートの十八番である。そのレナートが言うのだから説得力はある。むうっと考え込むロザリアを見やって、父は笑った。
「まぁ、それもあの披露目が無ければの話だ。神の代理人が儀式を行い、この神聖帝国の主が保証した婚約だぞ。恐れ多くて、ちょっかいなど出せる訳もない」
言われてみれば確かにそうだが、そのお膳立てをした理由が分からない。
「仰ることは良く分かりますが……何故、お父様はそうまでして、わたくしたちを婚約させようと思われたのでしょう?」
レナートが、きょとんと目を瞬く。父にしては珍しい表情だった。いきなり、黙って聞いていた母アナマリアが笑いだした。
「もう、リアったら……溺愛する大事な娘の幸せのために決まってるじゃない? レオンだって、お父様にとっては可愛い弟だったのですもの。欲目抜きに、お互い以上に相応しい相手なんていないでしょうし? まぁ、父親としては結構複雑なようだけど」
父がそんなことを考えて行動するとは意外だった。
「では……パレードは何のために?」
「あれは、陛下のご気分だな。まぁ、せっかく出来た息子だし、華々しく送り出してやろうとでも思われたのだろう」
「はぁ……そういうものですか」
「親心なんて、そんなものだ」
シャルローズ妃がレオンを子として認識しているらしいのは分からないでもない。だが、皇帝の場合は、便宜的に皇嗣として受け入れただけで、我が子と思えているかと言うと疑問である。
「それはそうと、リア……本当に侍女を一人も連れて行かなくて大丈夫なの?」
アナマリアが話題を変えた。
「ええ。猊下が、セシルとアリスをそのまま、護衛兼世話係として付けて下さると仰ってましたので」
「あの子たち、侍女の仕事も出来るの?」
「そうらしいです」
「ドレスの着付けとかも?」
「それは、本宮で侍女たちから教わったそうですが……」
実際に、本宮に滞在していた間、着替えを手伝ってもらったが、特に問題は無さそうだった。
「そんなすぐに覚えられるものじゃないでしょう?」
「さすがに盛装は難しいでしょうけれど、わたくしは聖地へ向かうのですもの。夜会なんてありませんし、簡易的なドレスの着付けができれば十分ですわ」
「それはそうでしょうけど……」
少々不満そうだ。母親としては、一人娘が初めて親元を離れ、見知らぬ土地で暮らすのだから心配しない訳はない。
「聖地に着けば、女性神官もおりますし……中には貴族出身の方もいるようなので、わたくしに合いそうな者を見繕って付けて下さるとも、猊下は仰ってました。ですから、大丈夫ですわ」
「そう……」
寂しげに微笑むと、アナマリアはぽつりと言った。
「ブランも当然、貴女に付いていくのよね?」
「ええ、わたくしの守護聖獣ですから」
「なんだか寂しくなっちゃうわね……」
「お母様?」
いつもと違う母の様子に、その顔を見つめる。
「ほら、猊下をお迎えして、沢山の人が屋敷に泊まっていたでしょう? 賑やかでとても楽しかったのに……ここ数日は火が消えたみたいに静かになってしまって。これから、ずっとこうなのかなと思うとね……寂しくなっちゃうわ」
本当に寂しそうに言われて、申し訳ない気持ちがこみ上げてきた。何の相談もなく、突然聖地に向かうことを一人で決めてしまい、親の心配や寂しさなどに全く思い至っていなかった。
「私がいるだろう?」
なんと声をかけたものかと悩んでいると、ふいにレナートが、とても優しげな顔で言った。ロザリアに向ける顔とは全く違う。
今まで見たこともない父の顔に驚いてしまった。
「だって、旦那様は忙しいじゃないですか……」
「なるべく早く帰るようにするよ」
「……本当に?」
「ああ」
「約束ですよ……」
甘えた母の様子と、愛しげに微笑んでいる父の様子が何だか気恥ずかしい。だが、ロザリアにとっては、とても理想的な夫婦の姿だと思えた。
自分もいつか、レオンとこんな風になりたいと思えるような。
食後にラウンジへと移り、お茶を飲んで寛ぐ。取り留めのない話をしばらく続けていた後、父が難しい顔で言った。
「リア、少し大事な話がある……」
「何でしょう?」
父は、ちらりと母に目を向ける。母は仕方なさそうに頷き、出て行った。
「どうかなさいましたか?」
「この前、ブランが言っていただろう? リアが聖女と認定されてから、黒いものが憑いた者が増えて、最初は客だったのが新しい使用人になったと」
「はい……そうでしたね」
「何者かが、洗脳もしくは穢れた使用人を送り込んで来たと言うことだ。その調べと、ブリュイエ家が抑えている商人の情報網や外交筋などから現時点で分かっていること、ルージュ家の偵察部隊から上がっている情報などを、お前に話しておきたい」
ロザリアは顔を引き締める。
「そのことは、猊下や叔父様へは?」
「神聖教会は異端審問には厳しいが、基本世俗には関わらない。政治的な情勢などにも疎い。生の情報を伝えても、そこから裏の事情などを読み取ることはできないし、しないだろう。だから、お前に話す。これからも、何らかの手段を講じて情報は届ける。それを斟酌し、必要に応じてあちらへ提示してもらいたい。レオンは英雄……つまりは、生粋の戦士であり将。情報の取り扱いは参謀の役目だ」
「それをわたくしに?」
「できるだろう? そう育ててきた」
「……はい。わたくしにできるだけのことはさせて頂きます」
「ああ、闇の使徒を殲滅していくには、情報戦が鍵になる」
そう言ってレナートは、ロザリアと話し込む。夜が更けるまで──




