第七章 日常との決別 7
聖歌が終わって、教皇が式の開始を宣言し、跪く二人を前に神の教えを説く。神への祈祷を捧げた後で、誓約書へのサインを求められた。
ジュリアスとはあくまで仮の婚約だったため、このような儀式などは一切していない。
幼い頃から結婚相手はレオン以外に考えたこともなかったが、そのレオンを相手に実際に婚約式を行うというのは、やはり感慨深い。
いずれは結婚式も挙げるのだろうかと思うと、この事態が唐突過ぎたこともあって不思議な気分だった。
二度目の祈祷を捧げ、聖杖を高く掲げた教皇から祝福を授けられる。皇帝が宝石をあしらった黄金の小箱を教皇に差し出し、蓋を開けた。
ベルベットが内張りされた小箱に収められた二つの指輪に、教皇が聖人に序される英雄と聖女に渡す物だからと聖別を行い、更に祝福をかける。
黄金の小箱が二人に向けられ、教皇に促されてレオンが小さい方の指輪を取り上げ、ロザリアの左手を持ち上げて薬指に嵌める。同じように促されて、ロザリアも同じことをする。
皇室の紋章が刻まれた白銀の指輪には、それぞれ相手の瞳の色の宝石が嵌め込まれていた。
『叔父様の色……』
ロザリアの指で、白銀に青紫の宝石の指輪が輝く。レオンの指にあるのは、白銀に赤紫の宝石。婚約の際に交換する記念の品は、特に決まりはない。
サイズについては公爵家に相談があったとは思うが、指輪にして意匠を決めたのは皇帝のようだった。
耳飾りや首飾り、ブローチやマント留めなどの宝飾品が記念の品とされる場合が多いが、いつでも身に付けていられる指輪の方がやはり嬉しい。
ロザリアは我知らず笑みを浮かべて指輪を見つめる。その様子を皇帝が満足そうに見ていた。
「では、最後に誓いの口付けを──」
「は……?」
教皇が愉しそうに宣い、ロザリアは呆気に取られて、つい声に出してしまった。レオンも同様に。
結婚式では誓いの儀式として必ずあるが、婚約式では聞いたことがない。
ロザリアは思わず問いかけのつもりで母を見たが、アナマリアは面白そうに笑っているだけだった。隣の父は、何故か憮然としている。
レベッカは小首を傾げ、ヴァネッサはにっと笑って、早くやれと言わんばかりに小さく顎をしゃくる。
「おや、聞こえませんでしたかな? ささ、誓いの口付けを」
教皇に急かされ、ひたすら戸惑っているうちに、隣で諦めたような溜め息が聞こえた。
レオンがこちらへ体を向け、顎に手を添えらえて上を向かされたと思うと、唇が重ねられていた。
「……!」
レオンとは二度口付けをしているが、どちらもロザリアから強引にだった。初めてレオンの方から、それも公衆の面前でされて、その衝撃に頭が真っ白になってしまった。
しばらくして我に返り事態を把握した途端、ロザリアの白い頬は真っ赤に染まっていた。
「聖女様、お顔が真っ赤……」
「この距離でもわかるほどって、さすが深窓の姫君だけあって純粋なんだねぇ」
「それにしても、お貴族様ってのは婚約式でも口付けするのかい?」
「教皇様が誓いだって言ったんだし、そうなんだろ?」
「あ、聖女様、両手で顔隠しちゃったよ」
「まだ十七だもの、そりゃ恥ずかしいに決まってるわ」
「さっきの騒ぎの時には、あんなに凛々しかったのにねぇ」
途中、物騒な騒ぎになりかけていたことなど忘れたように、いつの間にか広場には、のんびりとした和やかな空気が漂っていた。
散々見世物にされた気分になったお披露目を終えて、ロザリアは母と共にブランシュ公爵邸へと戻った。
昨日は披露目の準備やらと称して本宮に留め置かれたために、帰宅は四日ぶりである。
教皇と共に聖地へ向かうことが決まったのが二日前のこと。父レナートが請け負ってくれたので、移動のための準備の心配はあまりしていない。
だが、いざ出発してしまえばいつ戻れるか分からないだけに、一晩でも帰宅できるのはありがたかった。
帰りの馬車では、母アナマリアの質問責めに閉口させられた。父からある程度聞いているはずなのに、聖女関連よりも主にレオンとのことについて根掘り葉掘り尋ねられた。
どう見ても心配と言うよりは、好奇心が先に立っているとしか思えない。
「それにしても、良くあのレオンが婚約を承知したわよねぇ。いくら旦那様の提案とはいえ」
「はい……わたくしも驚きました」
「何よ、断られると思っていたの?」
「ええ……叔父様は意外と潔癖なところがおありだと思っていましたから……対象外のわたくしとは結婚なんてできないと仰るかと」
「つまりは、対象外じゃあなかったと言うことなのね。誓いの口付けも普通にしてたし?」
ついリアルに思い出してしまって頬が熱くなるのを感じ、ロザリアはわざとらしく窓の方へ顔を向けた。
「……それで? リアが告白した時には、恋愛対象外で困らせるだけだったのが、こんな短期間に、先のこととはいえ結婚しても良いと思わせることができたなんて。一体、何があったの?」
心底不思議そうに問われたが、問われた本人も不思議だった。
「やっぱり敵に襲われて、生死を共にした経験が気持ちを結び付けた……とか?」
「そうでしょうか……違うような……」
何か大事なことを忘れているような気がしないでもない
「婚約を了承することにした決め手とか、レオンは何も言っていなかったの?」
真剣に考え込んで、ふと思い出した。とても重要なことを思い出してしまった。
「あ……!」
「なになに? 思い当たることがあった?」
あの後、いろいろと衝撃的なことが立て続いたせいで、すっかり頭から飛んでしまっていた。
「叔父様に……課題を出したのです」
「課題?」
「ええ……対象外のわたくしと、ジュリアス殿下やトリスタン大兄様とが、もしも結婚することになったらと言った場合のことを」
「んんっ……どういう人選?」
「とりあえず、客観的に結婚の可能性が少しでもあって、叔父様がイメージできそうな男性が、そのお二人でしたので」
「ああ……まぁ、そうね……」
アナマリアが苦笑する。
「それで?」
「ええ……その方々が、結婚式で花嫁姿のわたくしの隣に並んで、誓いの口付けをして……新床を迎える……と言うのを想像してどう思うかとお尋ねしてみたのです」
「へぇ……リアったら、随分と明け透けねぇ」
「……そのくらい具体的でないと、叔父様にはピンと来ないのではないかと……」
よくよく考えれば確かに、淑女にあるまじき大胆な発言である。今更ながらに恥ずかしくなってきた。
「それで? どう思うって?」
「拒否されました。想像するのも嫌だって仰って」
「あら、まぁ……それで? 貴女のことだもの、それで引き下がったりはしていないでしょう?」
さすが母親、見透かされている。
「他に挙げられる男性はいなかったので、叔父様ご自身で想像してみて下さいと……」
「……! リアったら大胆ねぇ……」
「……い、今思えば確かに……」
いたたまれない。ロザリアは熱くなった頬を両手で抑えて、母と目を合わせられずに下を向いた。
「ふ~ん、それでレオンってば、リアとの初夜を想像しちゃったのねぇ」
「おっ、お母様っ!?」
露骨に言われて更に頬が火を噴いたように熱くなる。狼狽えている娘に、母は続けた。
「そうなのね……想像できちゃったのね。確かに、それが想像できたなら、立派に対象内よねぇ。なるほど……」
アナマリアはうんうんと頷き、一人で納得している。
「なるほど……唯一愛情を持てる相手で、女性として見ることのできる相手ともなれば、真面目なレオンにとっては唯一の結婚対象者だわね。それを理解したのなら、あの子にしたら大進歩だわねぇ」
「そう言えば、叔父様……想像できたのは、わたくしだけだったと仰っていました」
「ふ~ん、他の女性じゃあ想像すらできないと……。あらあらあらあら、何よ、何よ……それってもう、立派な愛の告白じゃないの」
愉しげな母に対し、ロザリアは深々と溜め息を吐く。
「……本当に、そう思っています?」
「う~ん……微妙かしら。結婚の対象だからって、恋愛感情を抱けるってことにはならないものね」
そう言って、からからと笑った。あの父レナートが、振り回されるのを面白がり、学院卒業を待って結婚を急ぐほど惚れ込んだと言う母。
確かに父は、十も年下の母を変わることなく溺愛している。
『お父様は、お母様のこういうところがお好きなのかしら……』
娘としては、こう言った恋愛絡みでからかわれるのは勘弁してほしい。そう思っていると、アナマリアは席を立ってロザリアの隣に座り、きゅっと抱き締めてきた。
そうして真顔で、硬い声音で問う。
「もう正式な婚約式まで済ませた後に言うことではないけれど……分かっているの? あの子は、英雄としての使命を果たしたら、間違いなく立太子されるわ。つまりは次期皇帝……その妻になる覚悟はできていて?」
当然理解しているが、改めて言葉にされて思わず息を呑んだ。だが、怯むつもりはない。
「ええ……叔父様がどう言う立場になろうと、関係ありませんわ。わたくしも、その立場に見合った女性になってみせます」
「ふふっ、リアなら心配は要らないわね」
「ええ、后妃教育が無駄にならなくて良かったですわ」
「あら、ほんと……つくづく人生に無駄ごとはないわねぇ。何事も経験、人生の糧ってことかしら」
確かに、と納得した。ゆとりのない辛かった二年間も、今後のことを思えば貴重な時間だったと言える。
学んだこと、経験したことは全て、これからの自分に役立てれば良い。
「さて、本人の覚悟も決まっている。外堀は埋まっている。後は……主城を陥とすだけね」
「はい! わたくしの夢は、『大好きな人に愛されて、心から求められての幸せな結婚をすること』ですので。難敵ですけれども、負けるつもりはありませんわ」
「戦勝報告を楽しみにしているわね、頑張って!」
そう母は、更に強く抱き締めて言った。




