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第七章 日常との決別 4

 皇宮前広場。その広大な空間に、午前中の葬儀が行われた大聖堂前へ集まっていたよりも、更に数倍の人々が詰めかけていた。

 帝都中の住民だけではなく、近隣の都市からも集まってきているようだった。


 皇宮の外壁に設けられた露台には、神聖帝国アーカンシェルと神聖教会の紋章が高々と掲示され、それぞれ礼装を纏った近衛騎士と聖騎士が、儀仗兵よろしくずらりと整列している。

 雲一つない青空の下、燦燦と降り注ぐ日の光に、白を基調とした騎士らの礼装が映える。


 その露台にほど近い場所は、貴族席として毛氈が敷かれ、簡易の椅子が並べられており、帝都に滞在している貴族はほぼ全て集まっているようだった。

 その席の後ろにベルベットロープが張られ、騎士が等間隔で並んで、立ち見の一般民衆とを隔てている。


 やがて、開催宣言代わりのホルンの音が鳴り響いた後、煌びやかな盛装の皇帝と荘厳な法衣を纏った教皇が現れた。二人が広場に向けて軽く手を掲げると、詰めかけた群衆から歓声が上がる。

 付き従ってきた四大公爵家当主らが背後に並び、その中から筆頭であるブランシュ公爵が進み出て、事の経緯を説明し始めた。


 建国祭の折などで、広い露台に祭壇を設けて祭祀を行う場合も、折々の行事で皇帝が帝国民に姿を見せる場合も、今までは特に音声を伝える必要はなかった。

 詰めかけた民衆は、遠目に尊い存在とその儀式を見て満足して帰るのが通常である。


 だが、今回は広く人々に向けて、帝国の置かれている現状を説明し、今後の展望を提示して人心を安定させなければならない。

 そのため、教皇が多勢の巡礼者を前に説法を行う際に、聖地の広場で隅々まで声が通るよう使っている業が使われた。

 広場全体に教皇が特殊な結界を張り、神聖力を持つ者が力を乗せた声だけを隅々まで響かせる。


『こんなこともできるのね……』


 露台袖の控え席で、レオンと共に座っていたロザリアは、広場に向けて父が語る言葉を聞きながら、教皇が今までに見せた神聖力の使い方も含めて、改めて感心していた。

 ロザリアとは全く違う。


 基本的にロザリアの力の使い方は、持って生まれたその強大な神聖力を、対象に叩き付けるだけの力技である。だから、広範囲を浄化したり癒したりは、全く苦ではない。

 個人を癒す時も、力加減などはできないため常に全力に近い。だから、穢れや呪力が強い場合ほど有効だったりもする。


『猊下のような使い方もそうだけど……叔父様も』


 レオンの神聖力の使い方は戦闘に特化している。少なくともロザリアが目にした中では、だが。 

 剣に神聖力や神気、神力を纏わせて対象に取り憑いた霊体だけを斬ったり、身に纏わせて移動速度を上げてみたりと。


『わたくしにも、ああいったことが出来るようになるのかしら……?』


 もっと多様で、繊細な使い方が出来るようになれば──そう考えるうち、ふと気になってしまった。


『力の使い方はわたくしより繊細なのに……』


 ちらりと隣に座るレオンを見上げると、すぐに気づいて、優しい笑みが向けられる。婚約の話の後で顔を合わせたのは、ここに来てが初めてだったが、全く以前と変わらない代わりに悪びれた様子もない。


 レオンの言動が別に繊細さに欠けると言うわけではない。ロザリアに対するレオンは、出会った頃から終始一貫して、気配りは細かくひたすら優しかった。

 なのに──


『なのに、どうして一番繊細さが必要な恋愛面だけ、こうも鈍いと言うか、デリカシーがないと言うか……』


 皆が口を揃えて言う朴念仁と言うのは、普段の優しさや心配りとは別問題らしい。それを矯正──できるのだろうか。

 つい難しい顔になって見つめていると、レオンはロザリアの手を握って言った。


「大丈夫。何も心配することはないよ。私が付いているから」


 そう言って、妙齢の貴婦人が束で黄色い悲鳴を上げそうな、極上の笑みを浮かべる。もしかしたら、自分はこれに慣れ過ぎて、贅沢になっているだけかもしれない。

 そんなことを思っていると──


「婚約のことも心配は要らない。あくまで便宜的なものだ。必要がなくなれば、いつでも解消すれば良いんだから」


 ロザリアは淑女としてどうかとは思いつつも、これみよがしに大きく溜め息を吐いた。


「叔父様にとっては、その程度のことなのですね、わたくしとの婚約なんて……」

「ロゼ?」

「ジュリアス殿下との婚約が仮だったから、同じように考えていらっしゃるのですか?」

「そんなつもりでは……」

「皇子二人との婚約が二度も流れた女なんて、どんな風評が立つのやら……聖女とか呼ばれていながら、よほど性悪か、それとも淫乱なのか? およそ碌なことは言われませんわね……」


 考えたことも無かったのだろう。レオンは目を瞠っている。なんだか、我ながらとてもやさぐれていると思ったが、止まらない。


「叔父様にとっては、偶々厩舎が壊れて困っていた人から預けられた馬を、長旅から帰って返す……くらいの感覚かしら。長旅の間、馬が自分の主と勘違いして、どんなに懐いていたとしても、自分の馬じゃないから平然と持ち主に返せるのですよね」


 握り締められていた手に力が籠められる。だが、まだ言い足りなかった。


「わたくしの十年来の恋心も、叔父様にとっては、そんなにも軽いものとしか受け止められていなかったのですね」

「違う……」

「何が違いますの。いつでも解消できる便宜的な婚約と、ご自分で──」

「違うんだ!」


 そう鋭く遮ったかと思うと手を強く引かれて、その腕の中に閉じ込められていた。レオンはロザリアを抱き竦めたまま、耳元で苦しげに言う。


「すまない……ロゼを傷つけるつもりなんて無かった。婚約を私から解消することは絶対にない。ロゼが解消したいと思ったら、いつでも解消すると言うつもりで言った」

「……わたくしの方が一方的に恋い慕っている状況で、わたくしから解消を申し出るはずがないではありませんか」

「……君は、この婚約自体を疎んじていただろう?」

「それは……」

「兄上に了承してきたと言った時、そういう顔をしていたよ。だが、親の庇護下から離れる以上、どうしても婚約は必要だ。だから……」


 鈍いと思い込んでいたが、意外にも見透かされていたことに驚いてしまった。だが、このまま誤解させておくわけにはいかない。


「叔父様との婚約が嫌なのではありません。わたくしが嫌だったのは、便宜的だからという理由だけで、叔父様が婚約を了承されたからです」

「そんな理由だけで納得できるなら、あの場で即答していた。時間をもらったのは、私なりに気持ちの整理が必要だったからだ」

「気持ちの整理……? 叔父様の……?」

「ロゼが……君が言ったんじゃないか、私自身とで想像してみろと」

「え……」


 ロザリアは、目を大きく見開く。記憶を辿って、自分と二人の男たちとの結婚を想像することすら嫌がったレオンに、仕方なくレオン自身と想像してみるよう訴えたことを思い出した。

 そのことをレオンなりに想像してみてくれていたと言うことなのだろうか。


「だから、想像してみた……君が言ったように、祭壇前で花嫁姿の君の隣にいる自分、誓いの口付けをする自分、新床で……」


 そこまで言って口を噤む。どんな顔をしているのか無性に見てみたくなったが、強く抱き竦められていて果たせない。


「本当に? 想像できたのですか?」

「……できてしまった。その時から、君は私の中では女性なのだと認識が変わった」

「そう…なのですか……?」


 喜びよりも驚きの方が先に立っていた。レオンの意識改革は難しいと思い込んでいたから。それこそ何年もかかるだろうと思うほどに。


「だが、その……今の時点で、恋愛感情があるかと言われると……」

「ああ……いえ。そこまでは期待しておりませんわ。恋愛対象になり得る可能性があるというだけで十分でございます、今は」

「いや、まぁ、その……ただ、婚約話が出て時間をもらって考えて……君の言う通り想像してみたんだ。だが、想像できるのはロゼだけだった」


 やはり、以前考えた通り、ロザリアの恋は他との争いではない。その時にひたすら考えていたのは、どうすれば自分は対象として意識してもらえるのかと言うことだった。

 知らずに、その難題がクリアできていたことに、ロザリアの胸に遅ればせながら喜びが湧いてきた。


「……良かった。わたくし、この後の婚約発表で、ようやく笑顔でいられる自信ができました……」

「ロゼ……私こそ良かったよ。誤解されたまま、婚約式をせずに済んで」

「……婚約式? ただ公表するのではなく?」

「聞いてなかったのかい? 兄上は、私が了承すると踏んでいて、もう準備は万端だと言っていたが」

「き、聞いておりません……」


 父を甘く見ていた。また、ヴァネッサとレベッカに詰め寄られそうだと、ロザリアは重い溜め息を吐いた。


 露台ではちょうど、その父ブランシュ公爵が、皇宮での騒動をほぼ真実に沿って、一通り話し終えたところだった。

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