第七章 日常との決別 3
「リアったら! わたくし、聞いていないわよ!?」
葬儀と追悼式を終えて外宮へ移動し、控えの間に充てられた中央宮の一室で休んでいたところへ、ヴァネッサが荒々しく踏み込んできた。
語気強く責め立てられたロザリアは、親友を見やって尋ねる。
「なんのこと……?」
「もう! レオン兄様とのことに決まってるでしょ!?」
激高したように詰め寄られ、思わず目を伏せてしまった。追ってきたレベッカが、宥めようと間に入ってくる。
「ヴィー、落ち着いて! それじゃあ、リアが答えられないじゃない」
そう言いながらも、もの言いたげだった。ロザリアは息を吐き、二人に椅子に着くよう促した。
お茶の用意をさせて、侍女たちを部屋から出した後で、目を伏せたまま言った。
「叔父様との……婚約のこと?」
「そうよ! 貴女、一言も言わなかったじゃない。どうしてよ?」
「リア、わたくしも聞きたいわ。貴女がレオン兄様に初めて恋をした時から、わたくしたちはずっと貴女から聞かされてきたわ。兄様とのことは何でも……相談も受けて来た。なのに、何故? そんな大事なことを、どうして教えてくれなかったの?」
手にしたカップの中の液体に映る自分の顔を見つめながら、ロザリアは小さく笑う。笑っていながらも笑顔には見えない。
「言い出したのはお父様で……陛下がすぐに賛同されたわ。その時、叔父様は考えさせてくれと仰って……わたくし、叔父様はお断りになると思っていたの。だから……」
二日前、教皇が聖地へ帰還するときに同行したいと願った。それに対し、教皇は確かに早急に必要なことだと認め、その場で了承してくれた。
そして、そのことは教皇から聖卓会議で報告が為されることになった。
本来、聖卓会議は教皇と皇帝、そして四大公爵家当主のみが出席を許されている。だが、今回に限っては、皇帝と教皇の進言により、当事者である英雄と聖女も同席することになった。
議題は、史上類を見ない、帝国の中枢たる皇宮への侵害の経緯と結果の報告。今後の対応策。
人心を安定させるためにも、英雄と聖女の存在を公表することが決定し、それに当たって、英雄であるレオンが正当な直系皇族であることをも公表する。
更に、学院の卒業を待たずにロザリアが直ちに聖地へ移り、聖女としての修練を始めることについて、教皇から報告された。
一番驚いたのは、当然のことながら、父親であるブランシュ公爵だった。
だが、宰相の立場にある者として、そのような場で感情的になることはなく、終始冷静に対応していたように見えた。
ロザリアは、さすが我が父と感心していたが、最後の最後にとんでもないことを言い出した。
「聖地には、帝国内外問わず俗世の者が数多く訪れる。純粋に信仰篤い者だけではなく、物見遊山や現世利益を求める俗物や商人なども出入りする。聖女と言えど、ロザリアは学院も卒業していない未成年である。本来はまだまだ親の庇護下で、他からの悪意や不当な干渉、邪な理由での接近などから護られていなければならない。そんな年若く美しい娘を一人で聖地に滞在させるには、親に代わる保護者が必要だ。今までならば、レオンが付いているのだから、心配はあれど問題はなかろうと思えたのだろうが……披露目が済めば公的には皇族になり、叔父ではなくなる。もちろん、レオンのことは信用している。今まで通りロザリアを護ってくれることだろう。だが、立場というものは重要なものだ。親に代わって庇護する正当な名目が無ければ、他から付け込まれる隙ができる。だから、これまで通りレオンが名実共に保護者で居続けるためには、婚約者となってもらう以外なかろう。帝都を発つ前に正式に」
滔々と、理路整然と一息で言い切った父は、有無を言わさぬ目で回りを見渡す。当事者であるロザリアはいきなりの話に戸惑い、レオンと目を見合わせた。レオンもまた、あからさまに困惑している。
これからはレオンが自分を庇護する名目が無くなるのだということに初めて思い至り、少なからず衝撃を受けた。
だからこそ、父の懸念は良く分かったし、婚約者の立場になることが一番の解決法であることも理解はできる。
だが、そんな理由での婚約は、理屈では納得できても心が認めてくれない。ロザリアが大切にしてきた、七歳の時からの想い。ずっと抱いてきた夢──大好きな人に愛されて、心から求められての幸せな結婚。
例え恋する相手でも、自分を女として愛してくれていない男との政略結婚なんて、悪い冗談としか思えない。
そんなロザリアの内心の動揺をよそに、まず皇帝が賛意を示し、他の公爵たちも同意する。そして、父の目はレオンに向けられた。
レオンはそういう面では潔癖なはずだから、即答で断ると思った。だが、思惑は外れ、少し考えさせてくれと猶予を求め、そのまま会議は終了した。
その後は、そのことについてレオンが触れることはなかった。いつもと全く変わらない態度で、淡々としていたから、自分たちの関係はまだこのままで良いのだと思い込んでいた。
だから、特に悩むこともなく、慌ただしい中で無理に時間を作ってまで、ヴァネッサやレベッカに報告しようとも思わなかった。
「本当に……まさか、叔父様が了承するなんて思っていなかったの。つい、さっきよ。叔父様がここに来て、お父様に返事をしてきたって仰って……」
婚約話の経緯を説明し、最後にそう告げて、ロザリアは唇を固く結ぶ。その沈鬱な様子に、先ほどまで息巻いていたヴァネッサは眉を顰め、レベッカと目を見合わせた。
二人揃って大きく溜め息を吐き、次いでヴァネッサがロザリアの右にどすんと腰を降ろし、同じように左にレベッカが腰を降ろす。
「で?」
腕を組んで強い調子でヴァネッサに問われ、ロザリアは戸惑った。
「で? なんで、リアはそんなに落ち込んでるのよ。意味が分からないわ」
「本当に……まぁ、わたくしは大体予想が着いてるけれど」
ヴァネッサが更に畳みかけ、レベッカが肩を竦める。両側から思いがけない対応を取られ、ロザリアは更に戸惑う。両側を交互に見やって返答に窮していると、いきなりヴァネッサに頬を抓まれた。ほぼ同時にレベッカも頬を抓み上げてくる。
「ヴィ……ね…さま……?」
かなり強く力を篭めた後、片や鼻息荒く、片や鼻で笑って手を離した。白い両頬がそこだけ赤くなり、じんじんとした痛みにロザリアは涙目になって両手で抑える。
「二人とも酷いわ……」
「酷くなんてないわよ、らしくないから発破かけてあげたんだもの。なんて優しいのかしらね、わたくしたち……」
「……ヴィー?」
「本当にねぇ。恋する乙女って、本当に厄介よね」
「……姉様?」
痛みを堪えて、二人を交互に見やる。
「それで? レオン兄様はどういう言葉を貴女に言ったの?」
「一言一句違えずに、よ!」
レベッカが見透かしたように尋ね、ヴァネッサにわざわざ付け加えられ、ロザリアは思い出しながら答えた。
「叔父様は……“婚約の件だが、先ほど、兄上に了承すると伝えてきた。私も最初は面食らったが、よく考えてみると兄上の言う通りだ。私には大義名分が必要だ。叔父と言う立場でなくなる以上、これから先、場や相手に関わらず君を護るには婚約者と言う肩書が最適だと思う。ロゼもそれで良いか?”……と」
二人はしばし沈黙し、やがて同時に叫ぶように言った。
「それだけ!?」
ロザリアはまだ痛む頬を撫でながら、苦笑を浮かべて頷く。
「は~っ、あの朴念仁……何がそれで良いか、よ」
「大義名分だの、肩書だの……さすがに呆れるわね」
「ったく、もう少し言いようってものがあるでしょうよ」
全く同感である。レオンが並べた言葉の中には、ロザリアに対する気持ちと言うものが一切含まれていなかった。事は、将来の結婚の約束であるはずなのに。
必要かどうかが判断材料ならば、それで良いかと聞かれて、頷く以外になかった。
「まぁ、兄様がそういう男だってことは、最初から分かってたことだし? 今更よね」
「そうね。それでも、あの人が良いって諦めずに十年も恋い慕ってきたのだから、確かに何を今更だわね」
「婚約するからって、甘いセリフなんて言える男じゃないってこと、十年も見て来たんなら分かってたでしょ?」
「考えてみたら、落ち込む理由なんてないわね」
「そうそう。理由はともかく、自分だけの男になったってのは事実なんだから。後は、リア次第でしょ」
「そうね。どうせ、実際の結婚までは何年もかかるだろうし、それまでに貴女の希望通りの“恋愛結婚”に持ち込めば良いわけでしょう?」
「何よ、何も問題ないじゃない」
両側からやいのやいの言われて、思わずぷっと吹き出した。目からウロコが落ちてしまった。少し夢を見過ぎていたのかも知れない。
確かに、最終目標は“愛する人との幸せな結婚”なのだから、それまでに自分が幸せだと思えるような理想的な関係を築けさえすれば、全く何も問題はなかった。
「ありがとう、二人とも。大好きよ」
涙が出るほど笑った後、ロザリアは二人に心からの礼を言った。




