第七章 日常との決別 2
帝都の大聖堂。建物自体は、聖地の本聖堂よりも規模が大きい。その聖堂の両翼には修道院と会堂が併設され、それぞれ長い回廊で繋がれていた。
その回廊の内側は広大な広場になっていて、儀式の際などに大衆が集う場ともなっている。
帝都全域に触れが為されたために、一般民衆は聖女の存在を今回初めて知ることになり、その姿を一目見ようと押し掛けたようで、建国祭の式典並みに人々が集まっていた。
聖騎士に取り囲まれるようにして、聖騎士団長の礼装姿のレオンに手を引かれながら教皇と共に会堂を出ると、詰めかけていた民衆の視線が一斉に向けられた。
「聖女様じゃないのか?」
「もしや、あの方が……?」
「教皇様と一緒なんだ、聖女様だよ」
「公爵家の姫君らしいぞ」
「なんて、お綺麗なのかしら」
「まるで女神様みたいだ……」
「聖女様は、もともと生き神みたいなもんだろ」
一身に集まる衆目の圧力に、ロザリアは思わず息を呑み、レオンの手に載せていた指先に力が入る。回廊を歩きながら、どうしたものかとレオンを見上げると、いつもの優しげな笑みを向けられた。
それでつい、笑みを返すついでに、軽い気持ちで広場に向けても微笑んでしまった。
民衆が一斉にどよめく。
「聖女様が俺に笑ってくれた!」
「何言ってんだ、俺だろ!!」
「いいえ、私よ!」
「俺だよ、俺!!」
一部の妙な騒ぎに、レオンが渋い顔で言った。
「ロゼ……葬儀なんだが」
「え……いけませんでしたか?」
「いえいえ、構いませんですよ。聖女様を崇める者が増える分には、一向に」
先に立っていた教皇が振り返りつつ、口の端を上げて機嫌よさげに言う。相変わらず聖女崇拝は全くぶれない。
そんなことを思いながら大聖堂の程近くまで行くと、正面扉口前、広場の最前列辺りに無数の棺が並べられているのが見えた。
「棺……? 何故あんなところに?」
「あそこに置かれているのは、下級貴族や平民の使用人たちの棺だ。上級貴族たちの棺は聖堂内に安置されている。皇妃の宮殿は使用人の数は少ない方だったが、それでも二百人程度はいたからな。さすがに入りきらない」
「そんなに……」
あの時、ロザリアが見たのは、エントランス前から皇妃の部屋まで進む間に横たわっていた遺体のみである。実際に目にしたのは数十体程度だったように思う。考えてみれば当然だった、宮殿全体で人が死に絶えたのだから。
「ですので、大聖堂の扉は全て開け放ったまま葬礼を行います。聖女様が祝福を授けて下さるのであれば、誰一人として迷う者はありますまい」
この期に及んで自分にできることは、もう祈ることくらいしかない。犠牲になった者の魂が、闇に堕ちることなく、迷わず神の下へ逝けるように。
ロザリアは頷き、大聖堂へと足を踏み入れた。
ふと思い起こすと、ここへ来たのは十五歳の謁見式以来だった。あの時、祭壇の前で初めて教皇に会い、父と共に跪く自分に、徐に跪いたと思うや手を取られたのを覚えている。
『聖女様』と感極まった様子で手の甲に口づけ、滂沱の涙を流されてしまい、父と目を見合わせて驚いたのだった。
教皇を先頭に、レオンに導かれて外陣から内陣に向け聖騎士を従え、側廊に居並ぶ貴族たちが最拝礼し聖歌が流れる中をゆっくりと進む。内陣の手前で聖騎士団長であるレオンも含め、聖騎士たちは左右に分かれて整列し、教皇とロザリアだけが奥の祭壇の前へ足を進めた。
事前に葬礼の流れと自分の役割を簡単に説明されたが、することはほとんどない。教皇の傍らで優雅に佇んで葬礼を見届け、追悼式に移る前に、内陣の手前に並べられた棺へ祝福をかけてほしいと言われただけだった。
『猊下は、ここでと仰られたけれど、でも……』
教皇の行う儀式を横目に、先ほど歩いてきた目の前の身廊のその先、大きく開け放たれた扉の向こうを見やる。眩しい光が差し込んでいて、外の光景は良く見えないが、数えきれないほどの棺が並べられていた場所を。
やがて長い祈祷が終わり、葬礼の終盤、教皇に目で合図された。
「では、闇に倒れた光の使徒の魂が誰一人欠けることなく、無事に神の下へ参れるよう、聖女様のお力添えを──」
ロザリアは小さく頷き、その場で神力を身に纏わせ神に祈る。大聖堂の広い空間に金と銀が混じった白い光が満ちていく。
『どうぞ、この方々の魂を救い、お迎え下さいませ。そして──』
神力を纏ったまま、ロザリアは前へと踏み出した。すぐにレオンが反応して傍らに並び、手を差し出す。それに手を添えて扉へ向かうのを、祭壇の前の教皇はいかにも計画通りと言った体で満足げに眺めている。
神話の体現──神力の神々しい光にその身が包まれたまま現れた聖女に、棺に寄り添う遺族も、詰めかけていた群衆も、それぞれが目を瞠って言葉を失った。
しんと静まり返った広場に並べられた数多の棺に、金と銀の入り混じった白い光が小雨のように降り注ぎ、次いで三々五々空へと昇っていく。
無数の光が立ち上る様を人々が見送って、扉の方へ目を戻した時、収束していく光が、あたかも翼のように聖女の背できらめいていた。
どっと沸く歓声、涙を流す者、跪いて祈りを捧げる者、その場の全ての崇拝が目に見えて聖女に集中する。
「聖女扱いを嫌がっているくせに、自ら聖女伝説を作り上げてどうする……」
苦笑するようなレオンの呟きに、神力を解いたロザリアが小首を傾げた。
「叔父様? 何か仰いました?」
「いいえ、なんでもございません。聖女様」
悪戯っぽい笑みが口の端に浮かぶのを認めて、ロザリアは拗ねながら文句を言った。
「もう……やめて下さいませ。そういうのは、猊下だけで十分でございます」
教皇のあれは、もうどうしようもない。この十日ほどの間に諦めた。だが、ふざけているのだろうが、レオンにまで聖女と呼ばれるのは絶対に嫌だ。
そう思って、更に言い募ろうとすると、ロザリアの手を取ってレオンが跪く。
「え……」
そうして、その手の甲に恭しく口づけた。観衆が更にどっと沸く。主に若い女性たちの黄色い歓声が。
「なになに? あの麗しい騎士様……」
「聖騎士様よ」
「聖騎士団長じゃないか? 他の聖騎士より立派な衣装だし」
「まぁ、聖女様をお護りする聖騎士団長様? なんて素敵……」
「まるで恋物語の挿絵のよう……」
「けど、お二人とも髪の色が同じね」
「あれは、皇族の色って聞いたことがあるわ」
女性たちの目が食い気味にレオンに向けられているのに気づいて、ロザリアは半目になって責める。
「叔父様、少しはご自分の容姿を自覚して下さいませ。女性たちが……」
そんな苦情を遮るように、徐に立ち上がったレオンが身を屈め、顔を近づけて耳元で囁く。
「わざとだよ」
そう言って意味ありげに微笑み、身を起こして姿勢を正した。女性たちの歓声が、更に黄色く響き渡ったのは言うまでもない。




