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第六章 皇宮の大掃除 7

 森の規模に差はあれど、聖樹の佇まいやその周辺の様子は、ブランシュ公爵領の精霊の森と大差ない。そう思っていた。

 そこだけ切り取られたような異質な空間、小さな湖に浮かぶ平らな島、その中央に聳える大樹。樹は遥かに巨大だが、立地や配置などは変わらないものの、その印象は全く違う。


 空間に清浄な気は感じられず、湖水の色は濁り、白いはずの島は端から黒く染まっており、聖樹の傍近くまで届くほどになっていた。

 肝心の聖樹は沈黙を保ったまま、なんの波動も感じさせない。時折り、はらりと枯れた葉が落ちてくる。


「そんな……あの日の朝、ここへ力を注ぎに来た時はこんな有様ではなかった……」


 聖樹と周辺の変貌に皇帝は驚いたらしく、蒼褪めた顔で目を瞠っている。


「あの日、とは?」


 教皇に問われ、呆然としていた皇帝は、はっとしたように我に返った。


「例の舞踏会の日だ……」

「では、それから十日も経たずに、こんなことに……?」


 辺りを見回しながらのロザリアの問いに、皇帝は強く眉を顰めて頷く。


「最後に、その守護者が来た翌日から、この森を穢れが取り囲み始め、結界の力が弱まっていった。昨日のあの呪力からは、父と母が死力を尽くして何とか結界を守り切ったはずなのに……」


 怒りを交えた声で雷獣が呟く。ロザリアは、聖樹の空間を見回して小首を傾げる。


「その二頭の雷獣はどこに……」

「ロゼッ!!」


 いきなり鬼気迫ったレオンの声が響いたと思うと、ロザリアの身体は後ろに押しのけられ、目の前に広い背中が立ち塞がった。

 いつか見たような光景──剣を抜き放ったレオンが、ロザリアを背に庇って、目の前の魔獣と思われるものに対峙している。


「ブラン、セシル、アリス! 三人を護れ!」


 そう指示して、レオンは突進してくる獣の角を剣で受け止めた。


『角……? まさか……』


 闇色を纏った獣のシルエットは、雷獣のものに酷似している。聖なる気は全く感じられない。禍々しい呪力を纏い、額の角には黒い稲光が迸っており、その目は爛々と赤く光っていた。


「父君!?」


 この場へ案内してくれた雷獣が、驚愕の声を上げる。


「な、何故、そのような姿に……それでは、まるで──」


 魔獣そのものだった。


「──母君は……」


 若い雷獣が慌てたように見回す目の前に、同じような闇色の獣がもう一体現れる。獣は棹立ちになって、前足の蹄を振り下ろそうとしていた。

 咄嗟に飛び退った雷獣は、呆気に取られて力なく呟く。


「母君……」


 番の聖獣は闇堕ちしていた。昨日、押し寄せる強力な呪力に抗って、最低限の結界の維持は果たせたものの、その身に穢れを受けたとのことだった。

 抗い続けていたが、ついには己が身を侵食する呪力に押し負けてしまったのだろう。それほど、皇妃の宮殿から一気にここへ流れ込んだ呪力は、濃密で強大だった。


 母親だったものに容赦のない敵意を向けられ、若い雷獣は戸惑っている。攻撃などできる訳もなく、防御一辺倒であった。それも徐々に押し破られつつある。

 必死な様子で避けたり防いだりしているが、そろそろ後がない。


 子である雷獣の気持ちは良く理解できる。ロザリアは、闇に堕ちて異質なものに変貌したとはいえ、母親であったものを傷つけられない者に任せてはいけないと思った。


『戻してあげられるかしら……あの頃には無理だったけれど、今のわたくしなら──』


 十年前にレオンが闇堕ちしかけた時、堕ちてしまえば終わりだと思って焦り、幼いながらに必死になっていた。

 穢れを浄化することや癒しをかけることはできても、完全に闇に堕ちた者を救えるとは思えなかったし、今思い返しても、あの頃の自分では不可能だったろう。


 だが、神に相対して誓いを捧げた後の自分は、以前とは全く違う。神から直接、己が使命をはっきりと告げられ、そのための力を与えられた。

 元々、公爵家の直系として与えられていた神聖力と、聖女として特別に与えられていた神気。それらに加え、闇を祓い、世を光で満たすための神力を──


 闇堕ちした母親の蹄が子を蹴り飛ばす、角に纏う黒い光が膨れ上がり、倒れ伏した子に向けて今まさに雷撃を放とうとしている。それを見て、ロザリアは急いで母親を神気の檻に閉じ込めた。

 嘶きながら逃れようと暴れるのを、檻を縮めることで封じる。


「はっ、母君っ……」


 よろよろと起き上がった雷獣が、囚われた母を認めて、ロザリアに抗議の目を向ける。だが、構ってはいられない。無視して、ロザリアは檻に神力を叩き付けるように流す。

 檻の中では闇と光が争い、共に駆逐し合い、その本体である雷獣は苦鳴の声を上げ続ける。


「やめてくれっ! 母を苦しめないでくれっ!!」


 哀願するように取り縋ろうとする雷獣を、ブランの結界が弾く。


「近づくな! ロザリアはお前の母親を助けようとしているのに、なんで邪魔しようとするんだ!?」

「助けようと……? いや、でも……」


 そんなやり取りも無視し、ロザリアは更に力を注ぐ。やがて悲鳴のような一際大きな嘶きを上げ、闇を祓い飛ばされた母雷獣が、崩れ落ちるようにして転がった。


「母君っ!」


 若い雷獣が慌てた様子で、母親に駆け寄る。母親を染めていた黒い穢れは消え去り、元の清純な白銀の毛並みに戻っている。

 それを見やって一息吐き、ロザリアは、父親の方と対峙しているレオンに目を向けた。


 レオンは、剣に白銀の神気を纏わせている。闇に堕ちた相手とは言え、殺気は感じられない。何とか元に戻す方策を探っているように見えた。

 黒い稲光を纏う闇色に染まった角が剣を受け止める度、幾らか闇の気は祓われている。だが、あまり効果があるとは思えない。悪戯に時間が長引くだけに思えた。


「叔父様、神気では闇堕ちを戻すことはできません。神力を使って下さいませ!」

「……神力?」


 闇色の雷獣の攻撃を剣で受け流しながら、レオンは小首を傾げている。昨日、時を戻した後に、間違いなく授けられたばかりの力を使っていたはずだが、当人は無意識だったらしい。

 さすがに英雄だけあって、戦闘のセンスは計り知れないと思えた。


「昨日、黒髪の従者たちを倒すのに使っておりましたが……お忘れですか?」

「そうだったか……?」


 二度三度と突進してくる角を弾いた後で一気に間を開けて、レオンは僅かに考える素振りを見せ、そのまま昨日と同じように全身から神力を迸らせる。

 その身には、金と銀の光が入り交じる純白の気が纏っていた。


「この力……?」

「神力でございます。神が直接授けて下さいました」

「私には覚えがないのだが……まぁ、確かにこの力を使った感覚は残っている」


 そんなことを言いながら、剣にも神力を纏わせて、レオンは闇色の雷獣に向き合って上段に構えた。そのまま神力を高め、一気に振り切る。

 相手も黒い雷光を飛ばしてきたが、剣閃が薙ぎ払い、身を穢していた闇そのものを吹き飛ばした。


 よろよろと後ずさった雷獣が膝を突き蹲った時には、番と同じように元の色を取り戻していた。横たわった母の傍でその様子を見ていた若い雷獣は、目を丸くしてレオンを凝視していた。


「神力だと……? 何故、そのような力を普通の人間が授けられているのだ?」

「叔父様は普通の人間ではありませんわ。神がこの世を救うべく遣わされた英雄なのですから」


 そうロザリアがにっこりと微笑みながら答えてやると、若い雷獣は戸惑いを顕わに目を泳がせる。


「そんなはずはない。英雄は……我が主となるはずだった者は、あの守護者によって失われたはずだ」

「いいえ、確かに一旦失われはしましたが、神の采配により復活したのです。あの方は間違いなく、聖女であるわたくしが護るべき今代の英雄ですわ」


 そんな会話を、皇帝が呆気に取られて聞いていた。

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