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第六章 皇宮の大掃除 4

 皇帝の私室、その居間に当たる広い部屋で、まずはその主から二人は話を聞いた。


「ロゼの様子が、あれから少し変わったのだ……」


 そう皇帝が切り出した。その愛称をレオン以外の者が口にすることに、やはり違和感を覚える。だが、それを向ける相手は自分ではないのだから仕方がない。

 レオンが自分を同じ愛称で呼んでいることなど、皇帝は夢にも思わないに違いなかった。


「目が虚ろではなくなったと言うか……ずっと焦点の合わない目をしていたのが、対象をじっと見つめて感情らしきものを顔に浮かべるようになったのだ」


 ロザリアは思わずレオンと目を見合わせ、ついで妃に与えられた部屋の方を見やった。昼間、初めて見た時のシャルローズ妃の様子を思い浮かべる。

 皇帝が触れたことで豹変する直前まで、妃はまるで幽霊のように存在が希薄だった。


 寝台に座り込んで、抱えた人形に力なく目を落とし、小さな声でぼそぼそと何やら呟く。ロザリアには全く聞き取れなかったが、レオンには聞こえており、その内容は先ほど教えられていた。


『お腹の子にかけていたのと同じ言葉……きっと、堕胎の前まで何度も何度も同じ言葉を繰り返して……狂われてしまった後も無意識に紡がれるくらいに何度も……』


 確かに、あの時の妃の目は焦点が合っていなかったように思う。きっかけは何だったのだろうか。あの女呪術師が取り憑いたのは初めてではなかったはずだが、レオンを傷つけられた怒りで我を失い、神聖力を叩き付けて祓い飛ばしたせいだろうか。

 そんなことを思いながら、皇帝の話に耳を傾ける。


「ロザリア嬢……彼女に、貴女の癒しをかけては貰えまいか」

「え……」


 縋るような真剣な目を向けられ、ロザリアは面食らう。


「あの、でも……身の病や傷とは違って、その……」

「……分かっている。あれは心の病で、そうさせたのは私だ。夫である私こそが、最後まで彼女を護る盾であるべきだったのに、私自身が彼女の心に刃を突き立てた。しかも私は、自分の罪にも気づかぬまま、長いことずっと放置してきてしまった。その結果だと言うことは重々承知している。そんな私が請うのは烏滸がましいと思われるかも知れないが……」

「いえ、そんなことは……」


 そんな風には思わない。確かに皇帝は誤った。その結果は重大である。だが、皇帝と言えど人であり、神ではない。感情に左右されて道を誤ることは誰にでもある。

 それを顧み悔い、真摯に正そうとするならば、神とて赦しを与えないわけはない。神と直接相対したロザリアはそう思った。


「身体の傷と違って、心の傷を癒すのは難しいかも知れない。だが、貴女は私を正気に戻させたではないか。あのような……頑是ない幼子だった頃でさえ」


 あまりにも真剣に請われて、そうそう無下にできる性格ではなかった。


「……期待はしないで下さいませ」


 仕方なく、そう答える。全く自信はない。皇帝が苦渋に満ちた顔を一気に明るく輝かせる。余計に重圧を感じて、ロザリアは救いを求める気分で隣のレオンを見やる。

 レオンもまた皇帝と同じ顔をしていた。


「期待はしないで下さいませ……」


 つい、同じことを二度言ってしまった。


「では、こちらへ──」


 性急に立ち上がり、皇帝はそう踵を返す。足早に続き部屋の扉へ向かっていく。仕方なくロザリアは、レオンと共にそれに従った。


「ロゼ、起きているかい?」


 そう声をかける皇帝の後に続いて、続き部屋へと足を踏み入れる。シャルローズ妃は、ソファに座って人形を抱いていた。あやすように声をかけながら。

 だが、確かに皇帝の言う通り、最初に見た時の印象とはまるで違って見えた。


 何より違ったことは──足を踏み入れた三人に、妃が関心を示したことだった。顔を上げてこちらを見た妃は、目を瞠って立ち上がり、そのままふらふらと近づいてきた。


「ロゼ……私が分かるのかい?」


 感極まった様子で皇帝は声をかけているが、妃が見ているのは皇帝ではない。その目はレオンに向いている。

 皇帝の脇をすり抜け、レオンの前まで来た妃は、震える手をその顔に伸ばした。


 目を丸くして見下ろしているレオンには委細構わず、ぺたぺたと頬に触れ、髪を撫でていたかと思うと、不思議そうに抱えていたままの人形に目を落とす。

 小首を傾げて再び頬に触れ、髪を撫で、やがて嬉しそうに微笑んだ。


「坊や……」

「……!」


 息を呑むレオンをそっと抱き締め、背を軽く撫で、優しく囁く。


「良い子ね、良い子……わたくしの坊や……」


 満足したように微笑むと、妃はそっと離れた。そうして、ロザリアの方にも目を向ける。だが見ているのは、顔ではなく腹の辺りだった。

 また小首を傾げ、抱えた人形を抱き締めて頬ずりし、ソファへと戻っていく。


「……ロゼ?」


 今回もまた目にすら入れられていない様子の皇帝は、愕然とした様子でレオンと妃を代わる代わる見ている。

 それがおかしくて、笑いそうになるのを堪えながら、ロザリアは尋ねた。


「妃殿下は、お腹の子が男の子だと思っていらっしゃったのですか?」

「あ、ああ……夢でお告げを受けたと言っていた」

「さようでございましたか……」


 ソファに座って人形をあやしている妃をじっと見つめているレオンの顔は、今にも泣きそうに見える。ロザリアはそっと身を寄せて、その背を妃と同じように優しく撫でた。


 それから皇帝の求めに応じて癒しをかけたが、すぐには効果は見られなかった。やはり心の病には効かないのか。今はまだ分からない。

 だが、聖女の癒しなどより、もっと効き目があるものが存在する──そんな気がした。

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