第六章 皇宮の大掃除 1
「母上っ、母上っ!! どこにおられますかっ!?」
昏倒したままの皇妃をソファに横たえ、“大掃除”のために一行が部屋を出ようとしていたところへ、大声で呼ばわりながらバタバタと廊下を駆けてくる者がいた。
十名ほどの騎士や侍従たちが慌ただしい様子で従っている。
「一体何がっ!! ご無事ですかっ、母上っ!!」
扉へ向かおうとしてレオンや教皇と共に先頭に立っていたロザリアは、そう叫びながら部屋へと飛び込んできた者と、正面から相対することになってしまった、
血相を変えて入ってきたのは皇子ジュリアスだった。
「ロッ、ロザリアッ!?」
ジュリアスはロザリアを認めて、びくりと肩を震わせながら目を瞠る。
「殿下? 謹慎されていると伺っておりましたが?」
あの日の夜、帰宅した父ブランシュ公爵が、皇帝が倒れて聖卓会議が中止になったと困惑顔で告げた後、そのようなことを言っていた気がする。
もう無関係となった相手のことなので、まるで興味はなかったが。
「昨日で謹慎は……そっ、そんなことよりっ! 外の侍従たちは、どういうことなんだっ!! まさか、また其方が──」
思い出したように食ってかかろうとするのを、レオンと教皇と一瞬で転移してきたブランが阻む。
「それ以上、ロゼに近づかないで頂きたい」
「聖女様への無体は、例え皇子殿下と言えど許されませんぞ!」
二人に凄まれ、大型の獣に牙を剥いて唸られ、ジュリアスは青くなって後ずさる。
だが、聖騎士たちが捕らえている三人の従者と、部屋中に倒れ伏している宮殿の者たちに気づいたらしく、慌てたように押し入ってきた。
「は、母上っ、どちらに……!!」
ソファに横たわる皇妃を見つけて、ジュリアスは大きく目を見開き、聖騎士たちを突き飛ばさんばかりの勢いで駆け寄る。
「母上っ、母上っ!!」
肩を掴んで強く揺さぶりながら大声で呼びかけられ、皇妃がぴくりと反応し、やがてうっすらと目を開いた。
「母上、良かった……。まさか母上も、他の者たちと同じように息がないかと心配致しました」
「……ジュリアス……」
抱き起された皇妃は、ぼうっとしたまま我が子の顔を見つめ、次いで部屋を見回した。
ここに勤める多くの者が倒れ伏し、また長年付き従ってきた黒髪の従者たちが血を流して転がり、更には見慣れない者たちが大勢いると言う常にない状態に、ようやく気付いたらしい。
「え……何なの……? これは……どういうこと? 皆、死んで……?」
驚愕と恐怖の入り混じった色をありありと顔に浮かべ、息子にしがみ付く。その顔は真っ青で、がくがくと身を震わせていた。
とても演技には見えない。皇妃は本気で怯えているようだった。
つい先ほど、初めて人の死に遭遇し、全く同じように怯えて震えていたロザリアには、皇妃の態度はごく一般的な貴婦人の反応にしか見えない。
皇帝を惑わし、薬漬けにして洗脳した悪女とは到底思えなかった。
「叔父様、あの方……」
「ああ、皇妃もただの憑代だったようだ。あの女……取り憑いて皇帝を誑し込んだと自ら言っていたしな」
「そうなのですか?」
レオンが不快そうに頷く。
『やはり、あの者が諸悪の根源……と言うことですわね。絶対許しませんわ……叔父様にしたことの報いは、必ず!』
そう強く心に誓っていると、腹の辺りも熱くなったような気がした。
宮殿の有様に戸惑い、説明を求めて食い下がる皇子や騎士、侍従たちをそんな暇はないと教皇が一喝し、納得させるために聖騎士を一人残して、一行は宮殿の外へと出た。
外に出てみて、結界が失われてしまっていることに気づく。聖騎士でもないジュリアスや供の者たちが中に入れたのは、そのせいだったらしい。
周囲一帯に濃密な黒い靄が漂っていた。日は傾き、空が赤く染まりかける時間だが、辺りは薄暗い。
英雄であるレオンがかけた神気の籠った結界が、そんなに簡単に解けるはずはない。だが──あの時、やはりレオンは生死の境を一瞬と言えど踏み越えたのだとロザリアは痛感した。
それを思うと、あれほど恐れた死の気配にも気は取られない。相変わらず数えきれないほどの躯が転がっているが、ロザリアは目を向けることなく、内宮の中心にある聖樹の方向を見やった。
「ブラン、アリスに結界を解くよう伝えて」
「分かった」
ややしばらくして、塔の方向から禍々しい気が一気に噴き出したのが感じられた。
「解いたって」
「ええ……では、大掃除を始めると致しましょう」
きっと顔を上げ、ロザリアは宣言する。結界に阻まれて目には見えない聖樹をじっと見据え、両手を高く差し伸べる。
『本来ここは、清浄であるべき聖なる地──この地に穢れなど要りませんわ。神の恩寵たる聖なる光で、闇を祓いましょう!』
ロザリアの身体から閃光が迸り、黒く穢れたあらゆるものを呑み込み、白銀の光が勢いよく広がっていく。
やがて、皇宮全体に光の環が広がり、しばらく光り続けていたかと思うと、無数の光の粒が地から天に向かって吸い上げられるように昇っていき、何ごともなかったように消えていった。
聖地に次いで清浄であるべき地が、ようやくにして本来の姿を取り戻し始めた──




