第五章 平穏の綻び 13
「猊下はいかがでございますか? 本宮でもそうでしたが、猊下も呪具を見つけられていらっしゃいますよね。どうして、お分かりになるのでございましょう?」
「やはり、臭いでございますな」
「えっ?」
目を丸くするロザリアを見やって、教皇はからからと笑う。
「冗談でござりますよ」
「猊下……」
思わずじっとりとした目で睨むと、教皇は慌てたように顔を引き締めた。
「呪具は、呪力の塊りですからな……。私は呪力には敏感なのでござりますよ。ただ、こうも呪力が充満していると、側に近づかなくては分かりませぬが」
「では……浄化をかけてしまえば、やはり分からなくなってしまいますでしょうか?」
「いや。呪具には呪力が籠められているのではなく、呪文が刻まれておりましてな……それ自体が呪力を発しておるのです。成り立ちが違うので、普通の浄化ならば影響は受けないでございましょうな」
「普通の浄化? 普通でない浄化がございますの?」
きょとんと問うと、周りを囲んでいた者たちが皆一斉に目を瞠り、困惑を顕わに溜め息を吐く。
「え……?」
その反応の意味が分からず戸惑っていると、レオンがロザリアの頭に手を載せ、軽くぽんぽんと叩いた。
「さっき、奴の呪具を破壊しただろう」
拘束された呪術師を示して言われ、ロザリアはやっと思い至った。あの時は、神気の檻に閉じ込めたことで、全く意図はしていなかったが、結果的に呪具は砕け散っていた。
「神気を籠めた浄化ならば、呪具を無力化できるのでございますね……」
「おそらくは」
「それでは、陛下の寝所にあった呪具はまた、発動させられると言うことでは?」
「ああ、ご心配には及びませぬ。既に封印して、運び出させてございますのでな」
ほっとして緩んだ顔を引き締め、ロザリアは教皇とレオンに目を向け、きっぱりと言った。
「では、皇宮の大掃除を致しましょう」
「大掃除……ですかな?」
「はい。まずは、皇宮全体を浄化致します。普通の浄化で……」
「そうだな。いくら聖女でも、神気を籠めた浄化を皇宮全体に施すのは、さすがに無理だろうからな」
「はい……残念ながら」
「いやいやいやいや、普通の浄化でも、皇宮全体はさすがに無理でございましょう……」
ロザリアとレオンのやり取りに、教皇が目を剥いて口を挟んだ。
「いえ、普通の浄化でございますよね? 問題ございませんわ」
「確かに、ただの浄化なら問題ないでしょう」
神気を宿す二人の事もなげな反論に、教皇は引きつった顔で押し黙る。そんな様子に、レオンがさも不思議そうに問う。
「以前、ロザリアが七歳の時に森を浄化したことを、猊下にはお話ししたはずですが……?」
「その話は確かに覚えておるが、ある程度神聖力を有する者であれば、誰でも──」
「いえ……うちの“精霊の森”のほぼ半分を一度に浄めて、ついでに癒しまで施すのは、さすがに誰でもは無理かと」
苦笑混じりに返され、教皇はぽかんと口を開け、慌てたように問い質す。
「待て待て! 森としか聞いておらんぞ?」
「……そうでしたか?」
「そうじゃ! ブランシュ公爵領の精霊の森と言えば、皇宮の二十倍はある広大な森のはずじゃ。その半分を一度に癒したじゃと? 僅か七歳で!?」
「そう申し上げたつもりでしたが……」
「じゃあから! 森としか聞いておらんわいっ!」
どうでも良さそうに苦笑いしつつ、レオンは自分の腹の高さ辺りを示しながら続けた。
「まぁ、そういうわけで、闇落ちしかけた私が死滅寸前まで穢した精霊の森を、こんな小さな頃に一気に浄めて癒したのですから、皇宮程度の範囲なら造作もないかと」
「皇宮程度……」
周りで聞いていた誰しもが、呆気に取られて呟いていた。
シャルローズ妃が二十五年以上もの長きに渡って幽閉されていた塔。そこには、へどろのように澱み切った闇の力が充満していた。
哀しみ、嘆き、恐怖、絶望──幽閉された当初、妃は正気を失って虚ろとなる状態と、ふいに我に返って自身の身に起きたことを思い出し、悲嘆と恐怖にかられて泣き叫ぶ状態が交互にあった。
だが、当の妃はどんなに嘆いても絶望しても、自分を見捨てた夫を恨んだり憎んだりする様子は無かった。
当時は皇太子だった皇帝の仕打ちに激怒し、激しく憎悪し、血の涙を流さんばかりに呪詛し続けてきたのは、妃を我が子よりも大事に大事に育ててきた乳母である。
乳母は自ら志願して幽閉される妃に付き添い、塔から出ることなくずっと世話を続けて来た。
老衰のため寝込んだ後は、乳姉妹となる娘の一人が母の懇願を受けて、代わりに妃の世話を担った。半年ほど前に息を引き取る寸前まで、乳母は皇帝を恨み、憎み、呪い続けた。
そんな数十年分ものどす黒い呪力が、塔の中には澱んで溜め込まれていた──
その塔からも幾つも呪具が見つかった。やはり発動されたのは最近のようだが、内部の呪力を少しずつ外へ、決められた方向へと流すような仕掛けがされていたようだった。
今はアリステアが結界で封じ込めているため、外への影響はない。レオンに斬られて力のほとんどを失くした様子の呪術師の女が、今の時点で何かできるはずはなかった。
長いことかけて入念に準備されていたであろう呪具の設置や呪術。七日前、シャルローズ妃が本宮へ移されたことによって始動した。
妃に取り憑いた女が寝所の呪具を発動し、塔から流した呪力を寝台の上の皇帝に集めさせ、同時に本宮に少しずつ穢れを蔓延させる。
皇妃にも取り憑き、その宮殿で呪術を行って呪力を高め、そこからも誰も気づかぬよう呪力を少しずつ外へ流していった。
妃が連れ出された後に無人となった塔は、誰に邪魔されることなく好きなように活用できたことだろう。
そうして、三方から中心にある聖樹を呪力で徐々に穢していく。聖樹の結界も、神聖力を注ぐべき皇帝が病んで寝込んでいれば、いずれは弱まっていく。
結界が解け、聖樹が完全に穢れれば、大地を護る力は失われ、呪力での支配が容易になる──
だからこその大掃除だった。




