第五章 平穏の綻び 11
何故、一緒に行かなかったのか。何故、自分は無関係の他人の死などに怯えて、最も大切な人の傍を離れてしまったのか。
これは単なる日常の延長ではなく、間違いなく非常事態だったと言うのに。
自分の甘さを痛感しながら、開け放たれたままの扉から聖獣と共に飛び込んだ途端に、直にロザリアの目に飛び込んできた光景──
教皇が聖杖を掲げて祈る。人化を解いたブランが皇妃に取り憑いた女に飛び掛かり、首元に食らいつく。聖騎士たちは自分の戦闘に手いっぱいで、他を気にする余裕もない。
セシリアの背から飛び降りたロザリアが手を伸ばした先で、レオンの左胸に剣が突き立てられる。その身から力が抜けて崩れ落ち、大量の血を迸らせながら床に膝を突く。
そんな光景がスローモーションのように、ロザリアの目に映った。
「叔父様ーーーっ!!!」
絶叫と共に純白の光が迸り、部屋を埋め尽くす──
──真っ白になった世界の中で、時が止まっていた。
全てが制止している中でロザリアは、膝を突いて崩れ落ちかけたまま留まっているレオンから目を離さずに、力が抜けそうになる足を叱咤して近づく。
動かないレオンの身体から、金色の光が立ち上り、光の塊が抜け出そうとしていた。
「……神様、お願いでございます……。叔父様を、その方を連れて行かないで下さいませ……」
ロザリアはレオンの前で膝まづいて、必死に祈る。
「わたくしには覚悟がございませんでした……。聖女であると、いつかは聖女の使命を果たさなければならないと……そう漠然と思っていただけで、いつも、いつも、いつも、その方に護られているだけでございました。わたくしが、その方を護らなければいけなかったのに……」
『ならば、どうする──』
頭上から、厳かな人ならざる声が響く。ロザリアは、はっとして見上げた。
「今度こそ! 今度こそ、聖女の役目を全う致します! 貴方様がお与えになった、この世を救う魂……英雄の魂を宿すその方を、何がなんでもお護り致します! わたくしの命と心と、この身に代えましても──」
しばしの沈黙の後、またも声が響いた。
『闇を祓え。共に世を光で満たせ──』
ロザリアとレオンに向けて、金と銀と白の入り混じった光が注ぎ、白い世界が再び静寂に包まれる。
隔絶された静かな世界の中で、レオンの身体から抜けかけていた光の塊が、ゆっくりと広がってその全身を覆っていく。
ロザリアはいざり寄って、胸に突き立てられたままの剣に手をかけた。神気を籠めて剣を引き抜く。
金色にうっすらと光るレオンの胸に左手を押し当て、神力を流し込む。
「……ここから離れて。その魂はもう、貴方のものではないわ。その魂を取り戻したとしても、貴方はこの世に生まれ出ることはできないの。共に消えていくことが望みではないでしょう?」
そう問いかけるが、魂に執着した微弱な心は応えない。ロザリアは慈愛の笑みを浮かべた。
「わたくしの中にいらっしゃい。いつか必ず、貴方をこの世に産み出してあげるから」
その言葉に、レオンの身体に纏わりついていた灰が離れていく。離れた灰は一つにまとまり、赤ん坊の形となった。
赤ん坊はゆっくりと手を伸ばし、そのままロザリアに抱きついてくる。
『約束だよ……』
「ええ、必ず……」
ロザリアが抱き締め返すと、赤ん坊を形作っていた灰はすうっと消えていった。自分の腹の辺りにそれが吸い込まれていくのを感じながら、再びレオンに向き直る。
「叔父様、申し訳ありませんでした。もう二度と、あんな無様はお見せ致しません。わたくしは、必ず貴方をお護り致します。貴方と共に闇を祓い、この世を光で満たしてみせますわ。ですから──」
薄い金の光に包まれたレオンの身体を抱き締め、ロザリアは神から授けられた力を解き放った。
止まっていた時が再び動き始める──
膝を突き、崩れ落ちかけていたレオンの身体に重みが戻る。抱き留めていた身体から力強い鼓動が伝わってくる。ロザリアは、ほっと安堵して、強く抱き締めた。
「ロゼ……?」
「叔父様、良かった……」
ロザリアの華奢な身体から身を起こし、レオンが目を瞠る。自分の左胸に手を当て、次いで転がっている剣に目を向け、更に怪訝な顔になった。
「一体、何が……私は……」
「神の御業……でございますわ」
目元に浮かんだ涙を拭って、ロザリアはきっと顔を引き締め、皇妃に取り憑いた女へ目を向ける。
聖獣姿のブランの牙にかかった皇妃の身体から、残っていた半分の霊体が消えかけていた。その昏い、どろりとした目が自分に向けられる。
「またしても貴様か……聖女!! 妾の全力を持って呪おうぞ! 必ず! 必ず、貴様を闇に引きずり込んでやる!!」
そんな呪詛を残して、取り憑いていた女は消え去った。
「やって御覧なさいませ。わたくし、貴女などに負けませんから」
あの女だけは、絶対に許さない。レオンを危うく喪う寸前だったことを思い、そう仕向けた存在を必ず祓い切ってみせる。
魂の奥底に刻み付けるように、強く強く心に誓うロザリアだった。




