第五章 平穏の綻び 10
レオンの一閃を合図とするように、聖騎士たちと黒髪の従者たちとの戦闘が始まった。広い室内のあちこちで切り結び、鮮血が迸る。
絶え間なく金属音が鳴り響く中、レオンと皇妃に取り憑いた女が静かに対峙していた。
「貴様……何者じゃ? ただの聖騎士ではないのか!?」
皇妃の生気のない顔の上に、左側の半分を失い、驚愕の色をありありと浮かべた別の顔が貼り付いてる様は、至極異様で不気味であった。
取り憑いた女は激しく動揺した様子で、隙なく白く輝く刀身を突き付けてくるレオンを凝視している。やがて──
「剣に纏わりついておるその力……神気か? 本宮やここを隔離した結界は、聖女が張ったと思い込んでおったが……もしや、貴様が?」
女の独り言めいた問いにも、レオンは応えない。ただ、凍り付くような視線だけを向けている。
「神気での結界を張れるのは聖女だけのはずじゃ……何故、貴様などに……」
呟くように疑問を口にしていた女は、突然はっと目を見開いた。
「まさか……貴様? いや、そんなはずは……」
口を開かぬレオンから目を離し、そのどろりとした目が、教皇に向けられる。
教皇は戦闘状態の聖騎士たちから離れ、ブランを従えて杖を構えたまま、二人の対峙を黙って見守っていた。その口元に微かな笑みが浮かぶ。
それを見咎めたらしい女は、叫ぶように言った。
「馬鹿なっ! 英雄の芽は、間違いなく摘んだはずじゃ! 産まれる前に毒で殺し、母親の胎内から引きずり出したのじゃぞ!」
更に動揺を顕わに、女の言葉が続く。
「……印のある赤子の躯は、妾がこの手で焼いて灰にした……。他に英雄が存在するはずは……」
しばし考え込んだ後、きっと顔を上げた女が、手のひらを上に向けて右手を上げ、何やら唱える。
手の上に現れた黒い靄が、渦を巻いて立ち上る。黒い渦が霧散すると、その後には陶製の壺のようなものがあった。
「何じゃ……?」
怪訝な顔で注視する教皇の横で、ブランが小さく鼻を鳴らして、壺とレオンを見比べる。
「なんだろう……何か、すごく嫌な感じがする」
女が壺の蓋を開けた。中から煙のようなものが一筋上がったかと思うと、それは風に流されるようにレオンの方へ向かう。
「……?」
警戒の色を顕わにしたまま、レオンは訝しげに目を眇める。そのレオンに纏いつくように、煙はぐるりと一周して宙に留まった。
「やはりのう、そういうことか……」
憎々しげに呟いた女は、ゆっくりと息を吐きだして顔を上げる。やがて、その半分だけ残った顔に邪悪な笑みが広がっていく。
「神気は確かに侮れぬが……貴様があの英雄ならば、いくらでもやりようはあろうよ」
甲高い哄笑を上げた後で、女は壺の中を覗き込んで語り掛ける。
「ほれ、そこにおるのは、お前の中にあったものじゃ。仮の器に奪われたままで良いのか? あれはお前のものじゃろう? さぁ、遠慮なく取り戻すが良い!」
そう言うなり、手にした壺をレオンに向けて投げつけた。それをレオンは一刀のもとに切り捨て、真っ二つになった壺が床に落ちて砕け散る。
その中身もまた、レオンの周りに飛び散った。
「灰……?」
「そうじゃ。其の方の、元の器の成れの果てじゃ」
ちらりと見やって怪訝な顔をするレオンに、女は愉しげに笑う。
「いかんっ!」
「レオンッ、離れてっ!!」
教皇とブランが血相を変えて、同時に警戒を呼び掛けた。レオンが見せた隙はほんの一瞬だったが、致命的となった。
飛び散った灰が一斉に巻き上がり、渦を巻いてレオンに纏わりつく。その身を覆うように貼り付いたと思うと、容赦なく強く締め付け自由を奪う。
「ぐぅっ……」
締め上げられて、苦しげに呻くレオンの口の端から血が滴る。抵抗のためか、何度も白銀の光を身から迸らせていたが、灰にはまるで効果がない。
教皇が聖杖を向けて力を放つも、やはり何の効果もなかった。
「無駄じゃ、無駄じゃ! その灰は、そやつの元の器なのじゃからな。穢れではないものを、神聖力とやらでは祓えぬであろう? 神気でも、そやつ自身のものなら同じことじゃ」
嘲笑うような女の声が愉しげに、高らかに響く。
『ロザリアッ!!』
聖獣姿のセシリアにしがみついて泣き続け、やっと少し気持ちが収まりかけて来たところで、ブランの絶叫が聞こえた。
一気に涙が引っ込んだ。ブランの五感で得ているものが、そのままロザリアの脳内に流れ込んでくる。
──レオンに纏いつくものが、その身を締め上げ、激しく咳き込ませる。咳き込む度に、レオンの口から血が飛び散った。
苦しげに顔を歪ませながらも、その目は眼光鋭く、ひたすら目の前の女を睨み付けている。
女は嗜虐的な笑みを浮かべながら、愉しそうにレオンの口から滴る血を指先ですくい、ぺろりと舐めて言った。
「さぁ、疾く諦めて元の器と共に眠るが良いぞ。どうせ、その器は借り物じゃろうが」
「ぬかせっ……ぐふっ……」
更に大量の血を吐き出しながら、レオンが咳き込む──
次々と脳内に流れていく光景を、順を追って眺めてなどいられない。最初にレオンの姿が頭に浮かんだ時点で、ロザリアは馬車を飛び出していた。
心を占め尽くしていた死の恐怖など思い起こす余裕もなく、向かう先に数多転がる躯すら目に入らない。
もどかしい思いで宮殿の入り口へと向かっていると、追ってきたセシリアがロザリアを背に乗せて、猛然と駆け出した。
結界を抜け、エントランスから宮殿に駆け込み、廊下を駆け抜け、階段を駆け上がる。その間も、次々と脳内にレオンの様子が流れ込んでくる。
「叔父様っ!!」
血を吐きながら徐々に力が抜けていっているようで、纏わりついているものが、レオンの身体の制御を奪いつつあった。
手にしていた剣が逆手に持ち替えられ、その胸へと向けられる。
「急いで、セシル!!」




