第五章 平穏の綻び 7
皇帝の懺悔にも似た説明を聞き終わり、ロザリアは寝台の上のシャルローズ妃を見つめ、次いでそっと隣に立つレオンの表情を窺った。
レオンは妃をしばらく見つめていたかと思うと、皇帝に目を移し、何とも言えない複雑な顔をしていた。
同情、哀れみ、労り、羨望、嘲り、怒り、それらが入り混じったようでいて、そのどれとも違う。強いて言えば、様々に湧き上がる感情に戸惑っているような──自分の感情を持て余し、今にも泣きそうな幼子のような顔にさえ見えた。
『叔父様……?』
今までロザリアに関わること以外で、その顔にこうまで感情らしいものが浮かんだことはなかったように思う。感情が欠落しているとの自己評価が嘘のように。
『もしかして……?』
唐突に思い当たり、ロザリアは思わず教皇に目を向けた。教皇もいぶかしげにレオンを見ていたが、ロザリアの視線に気づいて微かに頷く。
『猊下も同じことを思われたみたい……』
だが、今はそれを取り沙汰している場合ではない。先ほどまでの緊迫感を失って、どこか虚脱していた感のある場を正すように、皇帝が厳しい顔で教皇に問うた。
「猊下、教えて頂きたい。先ほどのロゼ……妃に憑いていた化け物は何者なのだろうか? 何故、彼女にあんなものが……」
「さて……私にも良くは分かりませぬな。むしろ……陛下の方があの女の正体には詳しいのではありますまいか」
「私が……? 見たこともない女だったが……いや……」
眉を顰めた皇帝が考え込む。
「あの顔、言われてみれば見覚えがあるような……いや、しかし……」
しばらく考え込んでいた皇帝は、困惑を顕わに続けた。
「皇妃の叔母に当たる、父上の愛妾に面差しが似ていたような……だが、数十年前の若い頃の話だ。それに、あのような怖ろし気な顔や不遜な態度を取るような者でもなかったと思うが」
「ふむ……異教徒の国から献上された、王の異母妹とか言う美姫ですな。確かにあのように若いはずはないが、もし、その姫が呪術師であったならば……闇の民には不老の呪法があると伝え聞いたことがありまする」
そんな会話を耳にしながら、ロザリアは考え込んだ。先帝を篭絡し堕落させた愛妾が呪術師ならば、皇帝の寝所に呪具を仕掛けるのは造作もない。
あの呪具はかなり以前から、恐らくは先帝時代から設置されていたものだろう。別の場所からかき集めた呪力を、寝台に集中させているように思えた。
寝台に眠る者へ、弱い呪力を少しずつ集めて蓄積させていく。目立たぬように、誰にも気づかれぬように少しずつ。
呪力に冒された者は、精神に異常を来たして先帝のように荒淫乱行に走るか、今回の皇帝のように身体を損ない命を削られるか。
術者が何を望むかで、効果は違うのかもしれない。
だが、先帝が皇宮を追放されてから約二十年。ずっと同じ寝所を使っていたにも関わらず、現皇帝は、今まで呪力に冒されたことはないようだった。
皇妃により洗脳されていたことはあったが、それは呪術ではなく薬物による方法だと聞いている。
つまりは、二十年の間、呪具は発動していないと言うことだ。他は知らないが、寝所に仕掛けられた呪具に関しては、術者が直接発動する必要があると言うことになる。
今回は、術者が取り憑いたシャルローズ妃が発動させたと言うことで、皇帝が妃を本宮に連れて来なければ起こらなかったとも言える。
呪術師は塔に幽閉されていた妃を、意のままに自由に利用できる駒として、いつでも憑代にできるよう、何らかの手を打っていたのだろう。
恐らくは、本人の意思を無視して呪術師の手段にされている者や、呪具を仕掛けた場所が他にも沢山あるのではと思われた。
──またも、妾の邪魔をするか!!──
ふいに不気味な女の、怒りに満ちた言葉が脳裏に木霊した。
『またとは、何のことなのかしら……? あ……』
教皇に自分のせいだとからかうように言われた、皇帝と皇妃の別居の原因。全く記憶にないが、それを指しているとすれば──
媚薬や麻薬やらを駆使して皇帝を篭絡させた皇妃の所業にも、あの女が噛んでいることになる。事実なら、やはり皇妃の叔母が首謀者ということになるのか。
『他にはない……ですわよね?』
知らずに恨みを買っているというのも、中々に気持ちが悪い。今までロザリアが神聖力を使って何かをしたことは数えるほどしかなかった。
レオンの闇落ちを阻止したこと、ジュリアス皇子の偽聖印を消して皇嗣の資格がないことを明らかにしたこと──
『まさか……いくらなんでも、ねぇ? そこまではさすがに……』
心中密かに苦笑いをしていると、ブランがつんつんと袖を引いた。
「ねぇ、あれも隔離しないと、あいつ、また来るかもしれないよ」
「え……?」
ブランが指さしたのは、ずっとシャルローズ妃が抱えていたもの──新生児くらいの赤ん坊と思われる人形である。
おそらく二十年以上もの間、ずっと片時も離すことなく抱いていたのだろう。擦り切れて汚れ、ボロボロだった。よく見なければ何だか分からないほどに。
「呪具のような禍々しい気配はなさそうじゃが、何かあるのかの?」
横から教皇が覗き込み、ブランに尋ねる。
「うん……多分、憑代にする目印? 抱えてなければ取り憑けないと思うけど……あの人、あれがないとダメだよね、きっと」
「そうね……。あれに何か入っているの?」
「うん。呪術者の一部……髪の毛、かな?」