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第五章 平穏の綻び 6

 「陛下、ご事情をお聞かせ願えますかな?」


 床に座り込んだまま、気を失っている女性を抱き締めている皇帝に、教皇が遠慮する気配も見せずに硬い声で問う。

 ロザリアはレオンと目を見合わせ、そのまま様子を見守ることにした。


 ゆっくりと顔を上げた皇帝は、腕の中の女性の頬をそっと撫でる。徐に立ち上がって寝台に女性を横たわらせた後、厳しい表情で三人に振り返った。

 扉の外で控えていた侍従長が静かに入室し、寝台に近づいて女性に上掛けをかける。


「彼女は……私の、たった一人の妻だ」

「ご即位前の陛下に添われておられた、シャルローズ妃殿下でいらっしゃいます」


 呟くような皇帝の言葉に、侍従長が恭しく一礼して補足した。


「え……?」


 大きく目を見開く教皇とレオンの傍らで、ロザリアもまた目を瞠り、思わず声を漏らしてしまって慌てて両手で口を抑える。


「外れの塔に幽閉されていたはずではなかったですかな?」

「私が寝込む前……内宮に戻ってすぐ、内々にここへ移させた」

「何故、そのようなことを?」


 訝しげに教皇が問うや、皇帝は強く拳を握り締め、ギリと音が出そうなほど強く歯を嚙み締めた。


「……猊下が……」


 やがて絞り出すように一言呟き、激情を抑えようとしてか深く息を吐く。そして、強く眉を顰めて言った。


「学院から中央宮に戻った後、私が貴方に尋ねたことを覚えておられますか?」

「……ジュリアス皇子のことですかな」

「そうです。聖印が刺青だったことで、あれが私の子ではないのかと衝撃を受けておりましたが……神の代理人たる貴方が、あれは私の子だと断言された。それ自体は喜ばしいことではあったが……では何故、私の子である者に聖印が与えられなかったのか。そう考え続け……真実に辿り着いた……」


 皇帝が辿り着いたと言う真実。それは、ブランシュ公爵家のサロンで教皇が口にし、レナートが推測した内容とほぼ同じだった。

 皇帝の子孫が今後、神の恩寵を賜ることはない。何故なら、神が聖印を与えた子を殺してしまったから──だが、視点が違った。




 溺愛していた皇太子妃の無実を信じて庇っていた皇帝は、不義相手の自決と遺書と言う決定的とされた証拠を突き付けられて、最後まで信じ切ることができなかった。

 もともと幼馴染だった不義相手と妃の仲が良いことに、婚約した当初から、僅かながらも嫉妬心を抱き続けていたからだった。


 結局、先帝の命で腹の子は殺され、狂った妃は塔へと幽閉された。残された皇帝は、心の痛みを紛らわすように公務に没頭したが、外交の一環として異国の王女と接するうちに篭絡されていく。


 いつしか夢中になってしまい、王女を愛妾としたのち子を為すに至る。子のために皇妃と名目を立て、かつての妃に裏切られた分、余計に母子ともども大切にしていた。そうしなければと思っていた。


 そうして──ある日、いたいけな三歳の幼女に現実に引き戻された。


 我に返ると、皇妃への愛情など全く抱いておらず、そう思い込まされていただけだった。本来は生真面目で潔癖な皇帝は、皇妃を許せずに外れの宮殿へと追いやった。

 それ以来、一度も顔を合わせていない。最初の頃は、皇妃から何度も面会を請う使者が訪れていたが一切拒否した。


 だが、我が子である皇子ジュリアスに対しては、我に返った後も愛情が失われることはなかった。だから、皇子のために皇妃を罪に問うことはせず内々の処分で済ませた。

 表向きは尊重しているようにも見せてきたし、皇子に関わることだけは、皇妃が口を出すことを許してもいたのである。


 その皇子までが我が子ではないという疑いを抱いた時、どれだけ愕然としたか。だが、我が子に間違いないことは神の代理人が保証してくれた。

 一人の父親としては大きく安堵したが、長い時を紡ぐ広大な神聖帝国の皇帝としての立場ではそうはいかない。


 初代皇帝から連綿と引き継がれてきた英雄の血を継いでいるはずの皇子が、神聖力を持たない。聖印もまやかしだった。

 もう自分の子孫には、神が恩寵を授けることはない。その理由はと考え、聖印を授けられた子を殺してしまったからだとの結論に至った。


 堕胎された子に聖印があったならば、我が子に間違いない。愛していた妃は、自分を裏切ってなどいなかった。

 あれほど無実を訴え、子を守ろうとしていた妃を、自分は信じ切ることができずに見捨ててしまった。


 懐妊を知った時には感泣し、腹が少しずつ大きくなるのを愛しげに撫でさすりながら喜び、生まれる日を指折り数えて楽しみにしていた妃の蕩けそうな笑顔がまざまざと蘇る。

 激しい自責の念にかられ、心労続きだった皇帝は耐えられずに、そのまま卒倒してしまった。


 聖卓会議は中止され、皇帝は内宮の寝所に運び込まれた。意識を取り戻したのは、日が変わってからのこと。

 ずっと側に控えていてくれた、最も信頼できる侍従長に皇帝は事情を話した。


 妃の幽閉を公的に解くには有力な証拠もなく、恩赦なり名目を付けるにしても、正式な手続きを踏んでいてはいつになるかも分からない。

 だが、皇帝の自責は凄まじく、悠長に構える余裕は全くなかった。


 皇太子時代から仕えていた侍従長は、皇帝の意を酌み、同じように古くから仕え、皇太子妃を慕っていた古参の騎士や侍従、侍女たちを選び、密かに呼んで手配した。

 そうして妃は、夜の闇に紛れて密かに、塔から皇帝の私室へと連れて来られた。


 対面するなり皇帝は涙ながらに謝罪し、手を取って赦しを請うた。だが、正気を失っている妃は時折、抱えた人形を撫でたり、抱き締めて何やら囁きかけることを繰り返すだけで、皇帝には何の反応も見せなかった。


 それを自分の罪として受け入れるつもりで、皇帝は寝所の続き部屋となる皇后のための部屋へ、秘密裏に妃を住まわせることにした。


 その日から、皇帝は体調を崩して徐々に弱っていき、そのまま寝込むことになってしまった。

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