第五章 平穏の綻び 3
「まずは、陛下のところへ参りましょう。急いで案内して下さいませ」
「畏まりました」
聖騎士たちと共に追いかけて来た侍従長に向かって、ロザリアは厳しい顔のまま口早に告げる。侍従長は気圧されたように短く答えると、先に立って足早に歩き始めた。
三階にあるひときわ豪奢な扉の部屋。そこまで訓練された騎士たちと共に駆け上がってきたロザリアは、目立たぬよう深呼吸し、何とか上がった息を落ち着かせようとした。
「大丈夫か?」
「ええ、何とか……わたくしも体力を付けないといけませんわね……」
レオンに背を摩られながら顔を覗き込まれ、気恥ずかしい思いで答える。顔色一つ変えていない初老の侍従長はともかく、高齢のはずの教皇までが息一つ乱していないのには驚かされた。
その視線の意味を悟ったらしく、教皇が愉しげに笑う。
「意外そうでございますな。教皇という神から課せられた職務は過酷で過密……体力精神力が無ければやっておられませぬ。見た目通りのただの爺ではございませんぞ」
高笑いが聞こえそうな言葉に、ロザリアは今後が不安になった。聖女の務めが、果たして深窓の令嬢として育てられた自分に務まるのかと──
「ロゼ!」
現実逃避しかけていた思考を、レオンの厳しい声が引き戻す。慌てて居住まいを正し、気を引き締め直した。
扉に手をかけていた侍従長が怪訝な顔で振り返ったが、ロザリアは開扉を問われたのかと思って頷き返した。
「申し訳ございません、叔父様。参りましょう!」
皇帝の私室、そこが穢れの発生源だと思い込んで身構えていたが、開け放たれた扉から真っ黒い靄が噴き出てくる──などと言うことは無かった。
扉の外の本宮内の様子と全く変わらない。靄は確かに充満しているが、ここだけ特に濃度が濃いということもない。
三階のほとんどを占める部屋は内部で幾つかに分かれている。広大な神聖帝国を統べる皇帝の部屋らしく、贅を尽くした広い居間に面して幾つも扉がある。
おそらくは、寝室の他に書斎や食事室、ドレスルームや浴室、侍従の待機部屋など、ここだけでも住まいとしての機能を賄える設備が備わっていると思われた。
「陛下はどちらに?」
「御寝所はこちらでございます」
侍従長が隙のない動作で奥まった扉へと一行を導く。一応の声掛けをしたが返答はない。教皇に促されて、そのまま扉が開けられた。
やはり、靄が噴き出てくると言うことはなかった。むしろ──
広い寝所の中心に、ヘッドボードを壁に接する形で天蓋付きの大きな寝台が置かれている。四方のカーテンが降ろされていて中は見えないが、寝所の中にも充満している薄い靄がそこに吸い込まれていっているように見えた。
「これは……」
見えている三人が互いに顔を見合わせ、レオンが先頭に立って進み、寝台を覆う手前の布を引いた。
「……!」
息を吞んでいるレオンの後ろからそっと中を覗き込んで、ロザリアも絶句した。靄はまさしく皇帝の身体に吸い込まれていっている。
青い顔でぐったりと横たわる皇帝は、七日ほど前の卒業記念舞踏会を立ち去る時に見た、意気消沈した姿よりも遥かに生気がない。
「どう言うことなのでしょう?」
靄は強弱大小はあっても穢れである。最弱の穢れとはいえ、そんなものを常時大量に吸い込んでいたとすれば、寝込むのは当然と言えた。
だが、問題はそこではなく、何故こんな現象が起きているのかと言う点だった。
問われた教皇は、考え込む様子で周囲を見回していたかと思うと、ふいに聖騎士たちに命じた。
「陛下を、あちらにお移し申せ」
三人ほどの聖騎士が駆け寄り、寝台から皇帝を抱え上げて、居間の方へと運び出していく。侍従長が困惑を顕わにするのを完全に無視して、教皇は残った聖騎士を指揮し、寝台をひっくり返すようにして検めさせた。
「これじゃな……」
解体に近い状態で検められた寝台の中から、見たことのない紋様が刻まれた黒い石板が出てきた。
「なんでございましょう? とても禍々しい嫌な力を感じますが……」
ざわりとした悪寒を感じて、思わずレオンの背にしがみ付きながら、ロザリアが青い顔で問う。
「これとは違った形態の物しか見たことはござりませぬが……文字らしきものの様子から、恐らく呪術師が使う呪具ではなかろうかと」
「呪術師が使う呪具……でございますか?」
「耳にされたことはございませんでしたかな?」
ロザリアとの会話を続けながらも、教皇は寝所内を見回して、あれこれと示し聖騎士たちに検めさせている。寝所の四方にも、似たような石板が巧妙に隠されていた。
「古来から闇の民の中には、呪力を使って呪術を行う者がおりましてな……。このような悪さを為す輩、と言うわけですな」
「闇の民……? そのような者がこの国に?」
初めて聞く話に、ロザリアは信じられない思いで問う。神の造り給うた神聖なる国に、そんなものの存在が許されるのだろうか。
「我らが戦うべき神敵だ。本来、この国には存在しないはずのものだが……」
レオンの硬い声に、思わず身震いする思いでいると、教皇が事もなげに言った。
「まぁ、それはおいおい……とりあえずは、ここを浄めませんと」




