第四章 教皇の来訪 11
「何故……でございましょう?」
レオンの心の裡にあった孤独と哀しみを明かし、その心を慰めるため“神の采配”について一刻も早く伝えたいと願うロザリアに、教皇は固い表情で首を振った。
「叔父が今まで、どれほど苦しんで来たか……」
「だからこそ、でございまするよ」
小さく息を吐き、教皇は諭すように続けた。
「レオンは表面上はそんな素振りすら見せなかったとは思いますが、騎士団にいた頃はかなり複雑な思いでいたようでしてな。入団当初から、近衛隊への配属の話は何度もあったそうなのですよ。彼が本気で拒否したために、最高位の貴族子弟でありながら、しばらくは一般騎士として所属していたのですが、結局皇帝の命には逆らえず……」
聖騎士になった後、己の出自を知る教皇に心を開いたレオンは、その頃のことを話していたらしい。
出生の秘密を知らされた時から、先帝に対して強烈な怒りを抱き、アナマリアと同じく、皇族と言うものに嫌悪感を持っていた。
神に課せられた使命を拒否するつもりはなく、騎士になることについては全く迷いはなかったが、帝国を護る騎士であることと、皇室を護る近衛騎士になることは同義ではない。
帝国騎士団の中で近衛騎士隊は、精鋭が集められたエリート部隊である。誰もが所属を望んで切磋琢磨していたが、当然レオンにとっては違う。
身分も高く、騎士としても指揮官としても実力は十二分にあったがため、再三再四に渡って近衛への異動を打診されたが悉く跳ねのけた。
打診が上層部の命令に代わりそうな気配を察するや、躊躇うことなく辣腕宰相と恐れられていた兄の政治力に頼った。
しばらくは、それで通っていたものの、皇帝自身がレオンに関心を抱いてしまい、抵抗も空しくほぼ強制的に異動させられたのが、聖騎士になる半年ほど前のことである。
皇帝の意向で本宮に配属され、しかも皇帝自身の身辺警護に抜擢されてしまった。最初こそ苦々しい思いで勤めていたが、意外にも皇帝の人となりは悪くなく、誠実で生真面目な性格は好感が持てた。
先帝の所業を許す気には絶対になれないが、他の皇族、とりわけ皇帝に対しての気負いは消えていったと言う。
その先帝はとうに皇宮にはいない。
先代のブランシュ公爵は、引退と同時に五歳のレオンを伴って領地へ移ったが、それまでに地歩固めをしていたレナートは爵位を継承するや、本性を顕わにして十全にその力を発揮した。
長年の荒淫や乱行により神聖力を失いつつあった先帝を、緻密に準備してきた証拠を駆使して徹底的に追い詰め、孤立させ、権力を剥ぎ取り、一切の抵抗をさせることなく強制的に譲位させた。
完全に無力化された先帝は愛妾と共に皇宮から追放され、帝国の国土内ではあるものの、大陸の最東端にある海沿いの古びた離宮へと移されている。現在、八十を超える高齢ではあるが、一応はまだ存命だった。
一方で皇位を継承した皇帝は、レナートの力を借りて厭世感漂う荒れた皇宮の綱紀粛正を図り、活力の落ちた国の立て直しに尽力した。
妻子を失った痛みを紛らわすかのように、必死に治世に取り組んだ。
人心が安定し国力が持ち直した頃、私生活の寂しさに付け込むように、当時は愛妾ですらなかった皇妃が皇帝との交流を深めていった。
そうして、皇帝を篭絡して愛妾となり、皇子を産み、皇妃と称されるに至った。
それが今は、公にはされていないものの、寵を失って子からも引き離され、皇宮の外れで栄華とは無縁の隠居に近い扱いを受けている。
そんな皇妃よりも厳格な処遇を受けているのが、廃された皇太子妃であった。堕胎後に発狂したとされる妃は、今も幽閉されている。
皇太子妃が無実であったことを知っているのは、堕胎した医師と、その医師から懺悔を受けた教皇以外にいない。
何も知らない皇帝が、かつての皇太子妃を赦免するはずがなかった。
「皇帝陛下は、今も皇太子妃を許してはおりませぬ。本来の母が狂ったまま、無実の罪で未だに囚われているとレオンが知ったなら……どれだけ苦しむことか。また、陛下に対し、どんな感情を抱くのか……。これから荒れることが予想される時勢に、皇室との間に軋轢が生じるのは好ましくありませんからな」
十分理解できる話であった。だが──
「皇太子妃殿下の無実を知っておられながら、猊下は何故、今まで陛下にお話しされなかったのでございますか?」
「証拠がないからでございますよ。殺された赤子の遺体は焼却されており、立ち会った他の刑吏は全て行方知れずですからな」
「医師を保護されているのでございましょう?」
「あれから二十五年余り……もう亡くなっておりまする。それに……彼は皇宮から逃げ出すために、薬品で自ら顔を焼いたのでございますよ。名乗り出たところで、証人としては認められなかったことでしょうな」
「…………」
しゅんと項垂れるロザリアに、教皇は慰めるように言う。
「まぁ、急ぐこともありますまい。様子を見て、機会があればと言うことで良いのではないですかな?」
「……分かりました」
残念だが仕方がない。それでも気落ちした気分でいると、教皇が場の空気を変えるように軽く咳をしてみせて、楽しげな笑みを浮かべて見つめてきた。




