第一章 解放への道 1
神聖帝国アーカンシェル――千年以上も昔、民への慈悲に溢れ敬虔な神の僕であった英雄が、神によって強大な神聖力を授けられ、闇に打ち勝ち、魔を退け、度重なる戦乱で荒れた大陸を統合し建てた国と伝えられている。
以後、皇帝となった英雄の子孫には神聖力が引き継がれ、力を宿す者にはその身のどこかに、神の紋章と言われる聖印が刻まれることになった。
魔を払い、断ち切り、浄め、癒し、護り、導き、識り、悟り、様々な権能がそれぞれに顕れた。聖印の他には特徴として、白に近い銀髪で紫系統の瞳の者が多い。
また、皇帝の継嗣が双子だった場合に、皇帝とならなかった子を公爵として分家が立てられたが、その直系一族もまた、直系皇族と同様の特徴を引き継いでいた。
現在までに興った公爵家はブランシュ、ヴィオレ、ルージュ、ブリュィエの四家。その中でもブランシュ家は最も古く、筆頭公爵家と呼ばれている。
そのブランシュ公爵家の一人娘ロザリアは、政権を掌握する現当主の父レナートと、辺境伯の次女だった母アナマリアとの間に生まれた。
貴族学院入学前の十五歳になった直後、勅命で帝国唯一の皇子であるジュリアスの婚約者に指名され、現在は二学年の終わりを迎えつつある十七歳である。
公爵家直系の特徴を正しく受け継いだロザリアは、緩やかな巻き毛の白に近い銀髪と鮮やかな赤紫の瞳を持ち、その白皙の美貌や、おっとりとした寛容な性格から帝国の白薔薇、神の愛し子、聖女などと方々から讃えられている。
ロザリアが叔父と呼ぶレオンは父の義弟であった。強大な神聖力を持つために、生まれてすぐ先代当主の養子とされた。
学院卒業後は帝国騎士団に所属していたが、皇室と同等の権威を持ち国教でもある神聖教会の求めに応じ、二十三になった歳に聖騎士となった。
それから二年を経て、現在は聖騎士団長の位に就いている。
レオンもまた神聖力を持つ者に多い特色を継ぎ、その性格と良く似た真っ直ぐな白銀の髪と青紫の瞳を持つ美丈夫で、帝国の貴婦人たちの熱い注目を集め、白銀の獅子と密かに称えられていた。
帝国唯一の貴族学院での卒業記念舞踏会――卒業する令息令嬢たちの親兄弟や、これが事実上の社交界デビューとなる新入生の一族などが祝賀のために数多く出席する。
通常は皇帝が臨席することなどあり得ない。せいぜいが皇族か傍系皇族たる公爵家の当主の一人が皇帝の名代となり、来賓として出席するのが通例である。
だが、本日の会場となる大ホールの最奥に設けられたひな壇の、その最上段の中央には玉座が二脚並べられ、近衛騎士に護られた皇帝だけではなく、神聖教会最高位たる教皇までもが聖騎士を従えて座している。
更に、その一段下の両脇にも二脚ずつ豪奢な椅子が並べられ、四大公爵家の当主がそれぞれ座っていた。
帝国の最高意志決定機関とも言える聖卓会議への出席を許された、現在の有資格者六名が全てこの場に揃っているのである。
たかだか学院の卒業記念舞踏会に、ありうべからざる事態と言えた。
「皇帝陛下に加え、教皇猊下までもがご臨席なさるとは……」
「やはり皇子殿下のご卒業ですもの」
「ああ……唯一の皇子なのだ。卒業を期にいよいよ立太子ということではないか」
「そうですな。いろいろと障りがあるとはいえ、皇子お一人しかおられぬにも関わらず、今まで立太子されていなかったことの方がおかしな事態でしたからな」
「もしや、この場で公表を?」
「いやいや、それどころではないかも知れませんぞ。何せ、猊下がいらっしゃっておるのだ。立太子の儀式までも行われるおつもりなのでは……」
貴族たちが面食らいながらもひそひそと推測を述べ合う。
「それでは、卒業生の入場となります! 帝国第一皇子ジュリアス・アーカンシェル殿下!」
大ホールの大扉が開き、卒業生の中で最上位身分となる皇子の名が呼ばれて入場が始まる。騒めいていた会場が一瞬で静まった。だが――
「――並びにシャロン・サルティ男爵令嬢……」
続いて呼ばれたパートナーの名に、静まり返っていた場内が大きく騒めく。参列していた貴族たちだけではなく、壇上でも動揺が走った。
「なっ……!?」
短く驚きの声を発したまま、青褪めて絶句する皇帝。普段は柔和な相貌を強く顰め、不快感を顕にする教皇。抜け落ちた表情に、冷たい怒りを目に宿す三人の公爵たち。
そして、本来ならば皇子がエスコートすべきロザリアの父であるブランシュ公爵だけが、嘲るような笑みを浮かべて、意気揚々と入場してくる二人を見据えていた。
一向に収まらない騒めきの中でも、次々に卒業生とパートナーが入場してくる。最初に入場した皇子と男爵令嬢は得意げに花道を進み、玉座のあるひな壇の前に立って恭しく皇帝と教皇に礼を取る。
この舞踏会での主役は当然、卒業生でもあり、帝国唯一の皇子であるジュリアスだ。そのパートナーもまた同様。得意満面の二人は、自分たちが注目を一身に集めていることに酔っているのかもしれない。
壇上の只ならぬ様子には全く気付いた様子もなく、手を取り合って花道の左脇の上座に陣取った。
皇子の後、卒業生が身分順に続き、次々と壇上に礼を取っては脇に並んでいく。卒業生が挨拶を終えた後は、在校生が到着順に入場し、同じように壇上に礼を取って右脇へと並んだ。
卒業生も在校生も上座を見遣って目を瞠り、更には祝いの場だと言うのに誰一人笑っておらず、凍りついたような冷たい空気を漂わせる壇上の貴賓と見比べて、それぞれ困惑顔を見合わせている。
居合わせた成人貴族たちもまた、壇上の首脳陣の様子をちらちら見遣って戸惑うしかない。
「……殿下は何を考えておられるのだ……あのような一代貴族の娘などと」
「あの令嬢の衣装、殿下と意匠を合わせておりますわね。前々からこうされるおつもりだったと言うことですわ」
「婚約者である殿下のエスコートもなく、このような場にロザリア様がおいでになれるわけもございませんし……なんて酷いことをなさるのでしょう」
「なぜ殿下はあのように得意げでいらっしゃるのか……筆頭公爵家を敵に回されるおつもりなのか?」
「いや、他の公爵方とて、お許しになるまいよ」
場の批判的な空気に全く気付いた様子もなく、皇子とそのパートナーはひたすら機嫌よく、必要以上に身を寄せ合って笑い合っていた。