第四章 教皇の来訪 9
朝食の準備が整ったと執事が呼びに来て、サロンに残っていた三人は、ようやくにして話を切り上げた。
執事に導かれて扉へと向かう教皇に従おうとしていたレオンが、ふと足を止めてロザリアに振り返る。
「ロゼ……ブランの人化なんだが、私に似せるのはやめさせてくれないか」
「わたくしは、とても喜ばしかったのですけれど……やはり、お嫌でしたか?」
「当たり前だろう? 若い頃とはいえ私の姿で、あれは……」
「あれ、とは?」
なんのことだろうと小首を傾げて見上げると、とても苦りきった顔で目を逸らす。
「……君への態度だ。幼獣の時と同じことを、あの姿でされるのは、さすがに……」
とても言いにくそうに言われ、ロザリアはよくよく思い返してみた。レオンの少年時代の姿そのものとはいえ、中身はブランである。
甘えたな言動はブランそのものだったから、特に気にしてはいなかった。
先ほど、サロンにいた時は、立ち去る前までずっとロザリアに寄り添っていた。寄り添うと言うより、ぴったり貼り付いていたと言う方が正しい。
いつものことなので全く意識せずに、自分も今までと同じように接していた──ように思う。
よくよく考えてみる。客観的に見ればどうなのか、自分とブランのその時の様子を思い描いてみて、途端に顔から火が出そうになった。
「理解……してくれただろうか」
ちらりと頬を染めたロザリアを見下ろし、再び目を逸らしてレオンが言いにくそうに言う。
「確かに問題……ですわよね、さすがに……」
どうにかそう返し、ロザリアは考え込む。中身がブランである以上、自分が違う態度を取れるとは思えない。
すり寄られれば間違いなく甘やかして、頭を撫でたり抱き締めたり。無意識でしているのだから、自制できるはずもなかった。
「ブランに別の姿に代えるよう言いますね。ただ、あの子は屋敷から出たことがないので、セシルたちと違って知り合いが少ないですから……」
誰なら良いのだろう。ブランが見知っている姿といえば、レオンの他には父に祖父。サロンに来たことのある四大公爵家の直系。
後は執事たちくらいなものだろうか。さすがに使用人の姿を取られるのは自分が嫌だ。
そんな呟きが声になって漏れてしまっていたらしく、レオンが慌てたように制する。
「待て! ロゼ……他の者って」
「叔父様のあの頃の姿を取っていたと言うことは、今のブランは人間にしたら十五歳くらいなのですよね? そうすると、そのくらいの姿を見知っているのは……トリスタン大兄様はかなりお年が上ですし、ミカエル兄様にヴィクトル兄様、後はダミアンくらいでしょうか」
「いや、だから……」
「兄様方の姿をしたブランを撫でたり抱き締めたりは、ちょっと……ダミアンなら何とか?」
真剣に悩んでいると、レオンが深々と溜め息を吐いた。
「……わかった。私の姿で良い……」
「宜しいのですか?」
思わず、ぱあっと顔を輝かせて食い気味に問うと、苦々しく、本当に心の底から苦々しい様子で、レオンが唸るように言った。
「ただ、これだけは厳守させてくれ。君の部屋では、絶対に人化しないように」
「はい?」
きょとんとして見返すと、さっと身を翻したレオンは、サロンから出ようとしている教皇の後を追っていく。
去り際に強烈な一言を残して。
「特に寝台の上は──」
扉の向こうに消える寸前、教皇が小さく吹き出していたが、ロザリアに気づく余裕はなかった。
目が覚めた時の、あの衝撃を思い出してしまったからである。
動揺のあまり、ロザリアはずっと挙動不審だった。明け方の寝台の上で、当然ながら本物ではなく、少年時代の姿とはいえ、裸のレオンを抱き締め、撫で回してしまったのだから。
その後に深刻な話し合いが続いたために、すっかり頭から飛んでいたが、一旦思い出してしまえば羞恥しか感じられない。
朝食に何を食べたかすら分からないくらいに、ずっと羞恥と自責の念が頭の中をぐるぐると回り続け、気づけばロザリアは溜め息ばかり吐いていた。
「まだ落ち着かれませんかな、聖女様?」
そう声をかけられて、やっと無意味なループから抜け出し、ロザリアは顔を上げた。気づくと、サロンには他に誰もいない。
教皇と二人きりで、テーブルを挟んで相対していた。
「あ……え……? わたくし……?」
「ずっと心ここにあらず、と言ったご様相でございましたな」
からかうように言って、教皇は執事が用意していったらしいお茶を口にする。見回して、壁際の柱時計に目を止めると、朝食から随分と時間が経っていた。
「叔父は……いえ、どうして誰もいないのでしょう?」
「扉の外には、聖騎士が二人付いておりまする。この屋敷全体には、強化されたブランの結界が張られておりますし、聖女様の御身に何かあれば一大事ですので、一応この部屋には私も張っておりますから、ご心配には及びませぬよ」
「あ、いえ……そんなこと、今まで気にしたこともございませんでしたので。ただ、猊下の身辺警護に誰も付かないなんて宜しいのかと」
「私が不要だと申しましたところ、それで構わないだろうとの、聖騎士団長の判断がありましたのでな」
「はぁ、さようでございますか……」
その聖騎士団長はどこにと思っていると、教皇が悪戯っぽく笑った。
「聖女様は、レオンを随分と慕っておられるのですな」
唐突な指摘に、ロザリアの白い顔が朱に染まる。
「……はい」
「どうも、身内に対する想いではないように見受けられますが」
「はい……」
「あれは、いわゆる朴念仁ですからな。なかなかに大変でしょう」
「はい」
つい、きっぱりと答えてしまった。そうしてから、不思議に思って尋ねてみた。
「姪のわたくしが、叔父に恋愛感情を抱いていると認めましたのに、猊下は驚かれませんのね?」
「レオンの生まれについては、私もよく知っておりますのでな。おそらくはブランシュ家の者以上に」
「え……?」
レオンの出生について一番詳しいのは、母のアナマリアだと思っていた。
他にも何かあるのだろうかと、ロザリアは小首を傾げながら、思考の全く読めない一見好々爺然とした教皇を見つめる。




