第四章 教皇の来訪 6
「ここに来たばかりの頃は、見えないくらいの小さくて弱いのが偶に紛れ込んでくるくらいだったんだ。そんなのは、僕が睨んだだけで消えちゃったけど……でも、いつだっけ?」
訥々と語っていたブランが、ふと考え込む。
「あっ、そうだ! ロザリアが教皇様に会ったって言ってた後だよ。それから、急に増えたんだ。前のより、ずっと大きくて強くて、真っ黒なのが」
聖獣以外の全員の顔に動揺が走る。
「紛れこんでくる鳥やネズミなんかに憑いてたり、お客に憑いてたり、外から運ばれてくる物に憑いてたり?」
「それ……どうしたの? 放っておいたの?」
心配になってロザリアが尋ねると、ブランは首を振った。
「ううん……全部食べた」
「えっ、食べた!?」
「だって、食べちゃわないと増えたら困ると思って。あれ、人間には良くないものだから」
「たっ、食べて平気なの!? 大丈夫だったの、ブラン?」
慌てたロザリアは思わずブランを感知してみたが、まるで光の塊のようだった。白銀の強い光、あの頃のレオンに匹敵するような──
とりあえずは悪しきものは一切感じられないことに安堵していると、黄金の光を纏う聖獣二人がくすりと笑う。
「大丈夫ですよ、ロザリア様。どんなに幼くても聖獣ですから」
「ええ、生き物や物に憑いた呪力程度なら、幼体でも穢されることはございません。ただ、祓えるかは別ですが」
「この公爵家に今まで何の影響も出ていなかったと言うことは……祓えていたのね?」
「そういうことです」
そう二人は肩を竦める。神が選んで聖女の守護獣にと付けた個体は、自覚のないままにかなり優秀だったらしい。
「それでね。人に憑いてくるのは、最初はお客だけだったんだけど、そのうち新しい使用人にも憑いてくるようになったんだよね」
「その……人に憑いていたのをブランは食べたのよね? それって……まさか人間ごとじゃあ……」
おそるおそる尋ねると、ブランは不満げに答えた。
「酷いよ、ロザリア。僕が人間を食べるわけないじゃないか。鳥や動物だって食べないよ」
「あ……そうなのね。じゃあ、その黒いのを食べられた後の人間はどうなったの?」
「なんか変な顔してたよ。何で自分がこんな所にいるんだって言って、みんな逃げるみたいに慌てて帰っていった」
屈託のない返答に、大人たちは皆、深刻な顔で押し黙る。やがて、厳しい顔で立ち上がったブランシュ公爵が、急用ができたと一礼して慌ただしく立ち去って行った。
次いで、朝食の差配のために女主人であるアナマリアが引き上げていく。
「そう言えば、ブラン。貴方、なんで人間の服を着ているの?」
「なんでって、レオンが用意してくれたんだ。人間の姿でいる時は、服を着なくちゃいけないって」
「だから、なんで人間が着る服なの?」
セシリアの問いに、ブランはきょとんと首を傾げた。問いの意味を理解していない様子を見てとったらしく、小さく溜め息を吐くセシリアの横で、アリステアが笑いながら言った。
「こう言うことよ」
中級貴族程度の普段着に近いドレスを着ていたアリステアが人化を解く。金色の美しい毛並みの獣姿には、ドレスどころか布の切れ端すら残っていない。
すぐに人の姿に戻ってみせたが、その体は先ほど着ていたドレスをきちんと纏っていた。
「人間の服を着ていたら、聖獣に戻った時に破けてしまうでしょう? だから、私たちは人化の時には服を纏った体に変化させるのよ」
「そうそう。服も一緒にイメージして体を変化させるの」
「ああ……そう言うことか」
「それなら時と場合を選ばず、自由自在に人から聖獣へも、聖獣から人へも変化できるでしょう?」
「そうだね!」
素直に喜んでいる様子のブランに、二人の聖獣が笑みを向けている。やがて三人の聖獣は、新たな訓練のために演武場へと連れ立って出かけて行った。
「ブランったら、セシルやアリスにすっかり懐いているようですわね。良かったですわ」
「あの二人は、無能者や怠惰な者にはことさら厳しいのですよ。ブランは見た目こそ成長していなかったものの、潜在能力は高く、それなりに使命を全うしていたことが分かって、二人も態度を軟化させたようですじゃ。ブランは精神的には幼いが、その分素直な性分のようですからのう。二人が真剣に自分に力を貸してくれることが分かって嬉しいのでしょうな」
そう教皇は好々爺然とした笑みを浮かべる。昨日のブランへの剣幕が嘘のようだった。
とりあえずは丸く収まって良かったと思う反面、気がかりなことはある。
この平穏な日常もそう長くは続かない──そんな予感めいたものがどうしても拭えない。
そうして、サロンには朝食までの間、三人だけが残っていた。まだ一時間近く時間はある。
ロザリアは気になっていたことを率直に聞いてみることにした。
「実はわたくし、一度も皇妃殿下にはお会いしたことがありませんの」
「え……? 后妃教育とかで、二年以上も皇宮に通っていたのにか?」
「ええ。皇宮には確かに足繫く通わされておりましたが、外宮までで内宮に入ったことはございませんの。皇子殿下との婚約が正式なものではなかったためと思われますが、一度も皇妃殿下からお召しはございませんでしたわ。皇帝陛下へは、何度かご挨拶させて頂いておりましたが」
レオンは怪訝な顔ながらも興味深そうに聞いている。
「お二人は、お会いになられたことがございますか?」
「ございませんな。皇妃は異教徒ゆえ、皇子殿下の十五歳の謁見式さえ、認めなかったくらいですからな」
「そう言えば、私もないな。聖騎士になる前は、帝国騎士団の近衛隊に配属されていたが……皇妃は公式行事に出席したこともなかったし」




