第四章 教皇の来訪 4
歓迎の晩餐の後、公爵家が細心の注意を払って準備した、最上等の客室へと教皇は引き上げた。
その部屋は、聖騎士たちが交代で警護をすることになっている。部屋の警護を聖騎士団長が担うことはないため、レオンは自室で休むようだった。
人化した二人の聖獣に連れ去られて以降、ブランは一度も戻って来ていない。侍女が退出し、ロザリアは自分の寝室で、一人寂しく溜め息を吐いた。
「ブラン、大丈夫かしら……」
なんとなく気が晴れない。こんな気分の時には、ブランを膝に乗せて抱き締め、柔らかい毛並みに顔を埋めていれば、いつの間にか癒されているのが常だったのだが。
先ほど、教皇の神聖力によって本来あるべき姿へと変えられた後、その大きくなった体を抱き締めた。
あれも悪くない──幼獣の可愛らしさは確かに捨てがたいが、大きな獣というのも安心感があって抱き心地は良かった。
成獣になって見た目が変わろうと、ロザリアのブランへの認識は、相変わらず愛玩動物なのである。
「大きくなったら、ますます叔父様っぽくなったような……」
ふと、頭の中に浮かぶものがブランからレオンに切り替わる。あの遠い日の聖樹の前での誓い以降、ずっとレオンのロザリアに対する態度は変わらない。
愛し気に見つめる目、優しい声、常に自分を第一に配慮してくれる言動。その全てが、あの告白の後でも一切変化がない。
「本当に、そういう対象として意識されていないのね、わたくし……」
道は険しい。だが、レオンにとっての特別で唯一が自分なのだと言うことは疑っていない。あの目や声、言動が他に向けられることがないだろうことも。
そのことに関しての不安は無かった。ロザリアの恋は、他との争いではないのだ。
「どうしたら叔父様は、わたくしを女性として意識して下さるようになるかしら……」
口付けでは駄目だった。口付け程度では──
「わたくしったら、何を……」
一瞬頭を過ったのは純然たる色仕掛け。ロザリアは慌てて自らの想像を否定した。まだ十七歳の未成年の淑女が考えていいことではない。
何より、そういうことではないことも良く分かっている。
「ブラン……早く戻ってきて……」
自己嫌悪が入り混じり、更に滅入った気分になってしまい、癒しの存在を心から求めて消え入りそうな声が漏れた。
落ち込んだまま寝入った翌朝、ロザリアは目覚め前の微睡みの中、無意識のうちにブランを求めて、いつものように寝具の中の温もりにしがみ付いた。
「ん……ブラン……?」
夢現ながらも違和感を感じて、自分が抱きついている存在を確かめるように撫でまわし、やがて唐突に覚醒した。
「えっ、ええっ!?」
淑女にあるまじき驚愕の声を上げて、ロザリアは飛び起き、今まで抱きついていたものから大慌てで身を引いた。
「な……なに……? なにが……? どういう……」
完全にパニック状態と化したロザリアは混乱のあまり、次いで我を忘れて絶叫していた。
「いやぁーーーーーーーーっ!!」
羽枕を抱えて身を縮めている一方で、同じ寝台の上にいたものがのっそりと起き上がる。
その気配を感じて恐怖のあまり、更に悲鳴を上げようとしたところで勢いよく扉が開かれ、寝衣のまま抜き身の剣を手にしたレオンが駆け込んできた。
「ロゼ!? 何が──」
その声を聞いた途端、ロザリアは腰が抜けかけていたことも忘れ、寝台から飛び降りてレオンの胸に飛び込んでいた。
「叔父様っ、叔父様ぁっ」
「何者だ、貴様っ!!」
しがみついて泣きじゃくるロザリアを片手で抱き締めながら、レオンは剣を寝台の上のものに向け、鬼のような形相で誰何する。
「ふぁ~あ」
寝台の上のもの──こちらに背を向け、あくびをしている様子の男は何も身に着けていない。
銀髪の後頭部と裸の背を晒したまま、ゆっくりと伸びをしている。
「何者かと聞いているっ!」
ロザリアを背後に押しやり、レオンは凍るような冷たい声を放ちながら、寝台へと近づいた。ゆっくりと振り向いた男は──
「何っ……!?」
男の顔を認めて驚愕するレオンの背後で、やっと少し冷静になったロザリアが寝台に目を向けて、同じように驚きに目を瞠る。
「……叔父様?」
寝台の上で振り返ったのは、レオンだった。レオンの姿形には間違いない。
ただ、今現在のレオンよりもかなり若い。ロザリアが初めて出会った頃のレオンの姿そのものだった。
「一体、なにが……」
それだけ言うのがやっとだった。だが、年若いレオンの姿をした者は、ロザリアを認めてぱぁっと顔を輝かせる。
「ロザリアッ!」
異常なくらいに俊敏な動きで寝台から飛び降り、飛びつくようにロザリアに駆け寄ってくる。
だが、その者が触れる寸前で、レオンが立ち塞がった。
「何なのだ、お前……」
ロザリアを護ることを第一義に動いてはいるが、そんなレオンも戸惑いを隠せていない。
「なんで邪魔するんだよ、レオン? 今まで、そんな意地悪しなかったのに」
「だから、お前は何だと──」
「待って、叔父様……」
レオンの背に庇われたまま、ロザリアはおそるおそる少年の顔をのぞき込む。姿形も色合いも少年時代のレオンそのものだが、目は全く違う。
その瞳にあるのは、従属と甘え──
「ブラン?」
「何だって……?」
呆気に取られるレオンの向こうで、ブランが名を呼ばれて嬉しそうに笑み崩れた。