第四章 教皇の来訪 3
ブランの思念を受け取ったのは、ロザリアだけではない。教皇とレオンにもその叫びは聞こえていたらしい。
強い神聖力を持つとはいえ、父レナートには聞こえていないようだ。当然ながら、一般貴族家から嫁いできた母アナマリアも同様である。
いきなり吠え始めたブランに驚いている両親とは違い、他の二人は呆れ返った様子で深々と溜め息を吐いている。
自分が庇護すべき幼獣という意識にまだ捉われているロザリアは、ブランを宥めようと腰を浮かしかけた。
「いい加減にせぬか! 駄々をこねるでない!!」
教皇は手にしていた聖杖をどんと床に突き、厳しく一喝する。その剣幕にロザリアが驚いていると、聖杖が白く光り始めた。
やがて、一喝されて押し黙ったブランを光の渦が取り巻き、繭のように覆いつくしていく。
「ブラン!」
慌てて駆け寄ろうとしたロザリアを、レオンが押しとどめる。
「ロゼ、もう甘やかすな。ここに居た時は生態を良く知らなかったが、聖地では幼獣の成長や訓練を見てきた。どんなに劣る個体でも、三年もあれば立派な聖獣になって役目を果たしている。十年も幼体のままというのはあり得ないんだ。このままでは、あいつは存在意義を失う」
「存在意義って……ブランが側に居てくれるだけで、わたくしは……」
「神は、身勝手な我が儘で使命を放棄する者には、決して寛容ではないよ」
「で、でも──」
そんなやり取りをしている間に、事は済んでしまったらしい。真っ白な繭が強く光ったかと思うと、一気に霧散した。
そうして、そこには三倍くらいの体格の聖獣が現れた。
「え……!」
ロザリアは愕然として、真っ青になった。
「猊下、あんまりでございます。ブランを返して下さいませ! 他の子に交代させるなんて……」
泣きそうになりながら、そう教皇に食ってかかっていると、聖獣がドレスの袖を咥えて引いた。
──違う……。僕はブランだよ……わからないの?──
そんな悲しげな声が頭に響き、見下ろした聖獣の瞳が見る間に潤む。
「え……ブラン……なの?」
虚を突かれて絞り出すように尋ねると、潤み切った目でこくんと頷く。色合いは同じだが、先ほどまでの幼獣のなりとは全く違う。
だが、他の聖獣ではないと分かって、安堵のあまりロザリアは力が抜けてしまい、跪いてブランを強く抱き締めた。
「良かった……。あんまり見た目が変わったから、猊下が違う子を呼ばれたのかと思ってしまったの。ごめんなさいね、気づいてあげられなくて……」
──ロザリアは、この姿でも良いの? 嫌いにならない?──
不安げに問われて、安心させようと更に強く抱き締める。
「なるわけないでしょう? ブランはブランだもの。小さくても大きくても関係ないわ。わたくしの大事な家族なんだから」
──そう……なの? なんだ……そうなのか──
そんなほっとしたような呟きが聞こえた直後、教皇の低い声が割って入った。
「さて……ブラン。其方への説教はまだ終わっておらん」
ロザリアの腕の中で、ブランの体がぶるりと震えた。
「じゃが、儂より適任がおるな……」
じろりと身を竦めている若い聖獣を見やって、教皇は再び聖杖をどん、どんと二度床に突いた。先ほどのように聖杖が光り始めて光の渦が現れたかと思うと、先ほどよりも大きな白い繭になった。
繭が霧散して現れたのは、学院での護衛として教会から派遣されていた、クラスメイトの女生徒二人。セシリアとアリステアである。
「セシルにアリス……?」
二人は畏まるように膝を突き、深々と頭を下げた。
「二人とも、元の姿に戻るがよい」
教皇に命じられて、二人の体が白く光ったかと思うと、一瞬で聖獣の姿に変わる。ブランの色合いとは違って、柔らかい金色の毛並みと碧の瞳だった。
「え……!? 二人は聖獣でしたの!?」
二年近く側にいてくれていたのに、気づきすらしなかった。ロザリアは口元に手を当てて、目を丸くする。
それもそうだが、聖獣が人型になれるということ自体、今まで全く知らなかった。
「そうまで驚かれるということは、こやつは当然、人化の気配すら無かったということですな……」
何度目かの深い溜め息を吐いた教皇が、ブランの頭に軽く拳骨を落とす。またも深い溜め息を吐いて、二頭の聖獣に向き直った。
「アリステア、セシリア! 其方らは儂がここに滞在する間、そやつを扱いてやりなさい。徹底的にな」
「畏まりました」
二頭は再び人の姿を取るや教皇に一礼して、ロザリアから離れようとしないブランを力づくで引き離し、そのまま連行していった。
「二人とも、あまりブランを──」
ブランを引きずるようにして部屋を出ていこうとする二人に、ロザリアはおろおろしながら声をかけるが、レオンに遮られた。
「だから……甘やかしてはダメだと言っただろう? このままでは守護獣失格とされて、強制送還になるぞ」
「そっ、それは困ります!」
「なら、心を鬼にして我慢しなさい。そもそもの原因は、ロゼが甘やかしすぎたことのようだしな」
「……はい」
しゅんとして項垂れるロザリアの頭を軽く撫で、レオンが笑みを浮かべる。
あの唐突な告白や口付けへの気まずさが一切感じられないのは良かったが、レオンの態度に以前と変わった様子は見うけられない。
それもどうなのかと、恋する乙女としてはかなり複雑だった。
昨日、時間切れになってしまい、慌てて投稿したために、最後の方が抜けてしまっていました。
……ので、こそっと追記……