第四章 教皇の来訪 2
「だからこそ、余計に問題なのじゃ……」
「それは──」
おそらくは、この中で一番聡い公爵のレナートが、強く眉を顰めて苦々しく答えた。
「今後、皇室の血筋には神は恩恵を与えないと……そういうことですか」
「うむ……あれが不義の子であれば、まだ問題は無かったのじゃがな。どれほど愚かであろうと、本来ならば初代皇帝の直系の血筋なら、微弱でも神聖力は与えられる。いや、与えられてきた。それが、あの者にはない。神は、現皇室をとうに見放しておられたと言うことじゃ」
重い沈黙が訪れる。やがて、おずおずと公爵夫人のアナマリアが口を開いた。
「神が見放されたのは……先帝の乱行が原因……でしょうか?」
「そうさな……おそらくは」
そんなやり取りに、ロザリアはそっとレオンの様子を窺った。その表情は全く変わらない。
帝国で最も強い神聖力を与えられたレオンの誕生が、その乱行の結果であると考えれば、これほど皮肉なことはない。
「先帝は、神が神聖力を与えたもうた御子を誕生前に殺させたのじゃからな」
女二人は蒼褪めた顔で口元を覆い、男たちは目を見開いて教皇を見つめる。
「廃された皇太子妃……現陛下の皇太子時代の妃が宿されていた御子のことでございますな?」
レナートの問いに教皇が頷くのを待って、更に言葉を続けた。
「当時から妃の不義は、どれだけ証拠が挙がろうとも皆、疑いを持っておりました。証拠とされたものは、どれも状況証拠でしかなく、罪を確定させたとされる不義相手の自決と遺書も、真偽のほどは怪しいものでした」
ロザリアの世代では、皇太子妃の密通事件の詳細はあまり伝わっていない。せいぜいが、先帝の命により、堕胎後に妃が幽閉されたことくらいだ。
だが、次期公爵であった当時のレナートは、政権の中枢で間近で事態を知る立場にあった。
「先帝は妃の堕胎を命じられた。産み月を控えた時期であり、出産を待って検分すべきだと諫める声が大きかったにも関わらず、先帝は断固として強行された。その胎児は、やはり現陛下の御子であったということなのですね。神が神聖力を授けられ、英雄の血脈を継いだ──」
「そうじゃ」
その肯定に、宰相たる筆頭公爵家当主レナートは重い溜め息を吐く。
「それは……由々しき事態でございますな。これから混沌を迎えるであろう、まさしく聖女が必要とされるようなこの時期に……」
そう唸るように呟いた父は、傍らに座るロザリアを労しげに見つめた。愛娘のこれからに、父として不安を抱いている様子がありありと見てとれる。
辣腕宰相と恐れられるレナートも、溺愛する妻子に関してはただの夫、ただの父親だった。
公では絶対に見せないあからさまなほど心配げな様子に、教皇は苦笑しながらも隣のレオンと、ロザリアの足元に蹲るブランを見やって応える。
「そちらは心配あるまいて。聖女様には、新たな英雄と聖獣が付いておるからの。神のご采配に不足があろうはずはない」
そこまで口にして、教皇は深々と溜め息を吐いた。その目はじっとブランに向けられている。
「ご采配に不足はないものの……そやつ自体は不足だらけじゃの。全く……」
何故か身を竦ませるように小さくなっているブランを見下ろし、ロザリアは小首を傾げる。
「先ほども仰っておられましたが、この子がどうか致しましたか? 何か粗相でも?」
「粗相だらけでござりまするよ……。ブラン、でしたかな?」
「はい、さようでございますが……」
教皇は険しい目でブランに命ずる。
「ブラン、こちらへ来るのじゃ」
びくりと身を跳ねさせ、ブランは情けない顔で──少なくともロザリアにはそう見えた──助けを求めるように見上げ、次いで項垂れた様子でそろりと教皇の足元に歩み寄った。
「自覚はあるようじゃな」
上目遣いで見上げる幼獣を、教皇は厳しく責め立てた。
「何故、未だにそんななりなのじゃ。神より使命を帯びてから、既に十年は経っておろう。其方、まさか──」
その頭を右手で抑えつけ、叱りつける。
「──よもや聖女様に甘えたくて、己の使命を放棄しているのではあるまいな」
更に身を縮めるのを見ていられなくて、ロザリアは何とか諫めようと口を挟んだ。
「猊下、ブランを虐めないで下さいませ。まだ幼いのに可哀想ではありませんか」
「いえ、これはもう幼くはないのですよ。とうに成獣になっていなければならぬのです。こやつの役割は、聖女様の守護獣なのですからな。いつまでも幼獣のままでは、何の役にも立ちますまい」
「そんなことはございませんわ。ブランは可愛いですし、わたくしの癒しになってくれています。ですから──」
「こやつは、愛玩動物として授けられたのではないのですぞ……」
ロザリアの反論に、聖女を崇める立場としては強く返せないのであろう。教皇は、困ったように隣のレオンに目を向けた。
レオンは深々と溜め息を吐いて、ブランを見やる。
「確かに、成長が遅すぎるとは思っていたが……二年前に見た時と全く変わっていないしな。このままでは訓練もできず、ロゼの卒業には間に合いそうもない。公爵領に送り返して、訓練済の聖地の若い聖獣に替えてもらった方が良いかもしれないな」
その言葉を聞いて、伏せていたブランがぎょっとしたように立ち上がる。
──駄目だ! 駄目だ! 駄目だ! ロザリアの守護獣は僕なんだ……。他の奴が代わりになるなんて……絶対に嫌だ!!──
そんな悲嘆を帯びた叫びが頭に響く。ロザリアは驚いて、様子の変わったブランに目を向けた。
今まで、何となくその感情が伝わってくることはあったが、こうまで明確に理解できる思念を受け取ったのは初めてだった。