第二章 聖女の初恋 7
ずっと上機嫌なレオンと共に、持たされてきた弁当を食べ始めた頃には、ようやくロザリアも落ち着いていた。
「あれだけ力を使ったんだから、もっと食べないと」
食の細い少女に、レオンは世話を焼きながら心配げに言う。
「元々わたくし、そんなにたくさん食べられないんです。これでも、帝都にいた頃よりはたくさん食べられるようになったんですよ」
「そうなのか?」
成長期真っ只中の少年は、ロザリアの十倍は食べているのではと思うほど食欲旺盛だった。訝しげに問われて苦笑しながら、ロザリアは食後のデザートを手に取る。
「帝都と違って、ここは空気も綺麗だし、食べ物もとても美味しいですから」
「帝都には、五歳くらいまでしか居なかったから、あまり良く覚えていないんだ。屋敷から出ることもまず無かったからね」
「わたくしも同じです。ここへは、いつもお父様だけが来ていて、わたくしもお母様もお留守番だったし……他の公爵家の子供たちは、うちのサロンにしょっ中来るけど、こちらから行ったことはないし」
「他の公爵家か……そう言えば、私が帝都にいた頃、ミカエルって奴がよく遊びに来ていたな」
「そうなんですか?」
言われてみれば、仲良しのヴァネッサの兄ミカエルは、レオンと同じ年頃だった。歳が離れていることもあって、ブランシュ家のサロンにはよく来ているが、あまり話したことはない。
ヴァネッサによると、やんちゃなミカエルは女の子であろうと質の悪い悪戯を仕掛けるために、母のルージュ公爵夫人から絶対にロザリアの傍に寄らぬよう、それはそれは厳しく言い含められているらしかった。
『お母様ったら、酷いと思わない? わたくしと違ってリアは品の良い大人しい子だから、兄様の悪戯には卒倒してしまうかも知れないって言うのよ』
確かに、ヴァネッサから聞いた悪戯の数々は、幼い少女には卒倒ものの所業だった。蜘蛛を頭に載せたり、犬の糞を投げつけたり、狩で獲ってきた血塗れの獲物を目の前に置いてみたり。
さすがに最近は、そこまでのことはしなくなったらしいが、あまり近づきたいとは思わない。
ヴァネッサは差別だと怒っていたが、公爵夫人の言い分も分からないでもなかった。頭に載せられた蜘蛛を平気で掴んで兄の服の中に突っ込んだり、投げつけられた糞をそのまま投げ返したり、血塗れの獲物を見るなり、こんな小さな獲物で得意になっているのかと鼻で笑って返したりと。
とにかく同い年の少女とは思えぬほど逞しい。思わず思い出し笑いをしていると、レオンが不思議そうに首を傾げた。
「どうかした?」
「いえ……ミカエル兄様には、わたくしと同じ年の妹がいて……ヴィー、ヴァネッサって言うんですけど」
「へぇ、ミカエルに妹が出来たのか」
「ミカエル兄様とはあまり話したことはないけど、ヴィーはわたくしと仲良しで、とっても強いんです。兄様の酷い悪戯にも負けずにやり返すんですよ」
「あいつ、女の子にまで悪戯してるのか……困った奴だな」
溜め息を吐かれて、その顔を見やる。
「もしかして、叔父様も悪戯されたんですか?」
「ああ……虫や泥を投げつけてきたり、犬をけしかけて来たり、ネズミをサロンに持ち込んで来たりね。水をかけられたこともあったな……。よく喧嘩したよ」
懐かしそうに苦笑するのを見て、ロザリアは少し安心した。なんとなくレオンは、人嫌いなのではと思ってしまっていた。
喧嘩ができると言うことは、他人ときちんと向き合えて、それなりの関係が築けると言うことだ。
考えてみればロザリアも、ヴァネッサとは偶に喧嘩をしている。周りの大人たちには大人しい子と思われているが、決して気が弱い訳ではない。
もともとが鷹揚な性格で、大抵のことは気にせず流せるが、理不尽なことに対して無理に我慢することまではしなかった。
『ヴィー、元気かしら?』
「ロザリア?」
友人のことを思い出していると、レオンが顔を覗き込んできた。その顔を見上げているうち、そう言えばと気になっていたことを思い出した。
「わたくし、叔父様にも愛称で呼んで欲しいと思ってたんですけど……」
「愛称?」
「家族も仲良しの人たちも、わたくしのことをみんな、リアって呼んでくれます。だから……叔父様にロザリアって呼ばれるの、なんだか寂しいなって思って」
「ああ……そう言えば。みんな、そう呼んでたな」
しばし考え込んでいたレオンは、眉を顰めて小さく首を振る。
「でも、私は嫌だ。リアとは呼びたくない」
「どうして?」
「……他の人と同じは嫌なんだ」
言いにくそうに答えて目を逸す。ロザリアは、思わず笑ってしまいそうになった。八つも年上のレオンが可愛く見えてしまった──
「じゃあ、叔父様だけ違う愛称にすれば良いと思います。どうですか?」
「そうだな……私だけの呼び名か、良いね」
しばらく考えていたレオンが笑って言った。
「じゃあ、ロゼ。ロゼが良い」
「ロゼ……わかりました。うふふ……叔父様だけの特別な呼び名ですね」
ロザリアも笑って答えた。特別な相手に、特別な呼び方をしてもらえるのは、何となくくすぐったい。でも、自分がレオンにとって特別な存在だという事実がとても嬉しかった。




