第二章 聖女の初恋 2
――心優しく清らかで、とても美しい姫君がいました。
姫君は歌が大好きで、森へと遊びに行っては美しい声で歌っていました。
そんな楽しそうな歌声を、恐ろしい魔物が聞きつけました。
魔物は姫君を気に入り、そのまま浚って城に連れ帰ってしまいます。
姫君は大きな鳥かごに閉じ込められてしまいました。
そうして、魔物のために歌うように命じられました。
無理やり歌わされても、ちっとも楽しくありません。
来る日も来る日も鳥かごの中で歌うことしか許されないのです。
姫君は辛くて悲しくて帰りたいと泣きました。
ある日、噂を聞いた隣国の王子様が魔物の城にやってきました。
王子様は鳥かごの中の姫君に一目で恋をします。
勇敢な王子様は命がけで魔物と戦って、姫君を助け出しました。
姫君も自分のために戦ってくれた王子様に恋をします。
やがて二人は国中の祝福を受けて結婚し、末長く幸せに暮らしました――
三歳くらいの小さな頃、ロザリアは母が読み聞かせてくれた童話の絵本が好きだった。
王子様は強くて格好よく、お姫様は綺麗で可愛くて、怖い魔物から助けられたお姫様の、王子様に向ける笑顔がとても嬉しそうで、絵を見るたび胸がどきどきした。
「ねぇ、おかあさま……リアにもおうじさまきてくれる?」
「そうね……リアが素敵なレディになったら、きっと来てくれるわよ」
「すてきなれでぃ?」
「ええ、王子様が大好きになっちゃうような、お作法やお勉強なんかもちゃんと頑張る、綺麗で優しいお姫様みたいな女の子のことよ」
「おうじさまがきてくれるなら、リアがんばる」
「うふふ、リアはお利巧ねぇ」
そう言って母にぎゅっと抱き締められ、優しく頭を撫でられて、幼いロザリアはとても幸せだった――
深窓の令嬢として大切に育てられ、七歳になったばかりのロザリアは、年齢よりも格段に大人びていた。
まだまだ幼い年齢ながらも奥ゆかしく物静かな質だったが、生まれて初めての旅で珍しく浮かれていた。
それまで、帝都を出るどころか、公爵邸から出ることすらほとんどなかった。
だから、帝都の遥か北方、帝国の外縁に近い領地へと家族で向かうのが楽しみで、嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
広大なブランシュ公爵領、その領都にある壮大な城。
到着して早々、自室として決められた瀟洒な部屋で旅装を解いたロザリアは、テラスにお茶の用意をしてもらい、そこから外の景色を一人眺めて楽しんでいた。
室内では、侍女たちが慌ただしく荷物の整理や部屋を整えるために動き回っており、普段から大人しく聞き分けの良い幼い令嬢の動向を気にする者はいない。
高い塀に囲まれた城の背後には深い森があり、それがテラスからは左手に望め、正面には美しく造成された庭園。その先の塀の彼方には、湖がきらきらと陽を反射して輝いているのが見える。
帝都では見ることのない景色に、用意された茶や菓子には見向きもせず、ずっと取り憑かれたように眺めていた。
「なんて綺麗なのかしら……こんな素敵な場所ならきっと、精霊にも会えるに違いないわ」
塀が巡らされていて城の外へ出られないのは分かっているが、ロザリアは夢見る気分で森の方を眺めた。
「え……?」
森と城を隔てる頑丈な塀に造られた扉が開いている――
「お嬢様! どちらにいらっしゃいますか!? ロザリアお嬢様!!」
城の中では大騒ぎになっていたが、外に出てしまったロザリアの耳には届かない。勝手に抜け出すつもりなど全くなかった。
森への扉が気になってテラスの端に寄り、乗り出して良く見ようとしたが背が足りない。仕方なく柵に手をついて必死に背伸びをしていたら――
必死になるあまり我知らず、最近になって強まってきていた神聖力が溢れ出し、偶々テラスの端にあった仕掛けが反応してしまったらしい。
気づいたら庭園の一角にいた。
「あれって、何かあった時のための脱出用の仕掛けなのかしら」
周りの者に心配をかけるかもと一瞬躊躇いはしたが、これを逃せば森を見る機会はないのではとつい思ってしまった。
「だって……以前、お祖父様が帝都にいらした時にお話しして下さった精霊の森って、あの森のことかもしれないんだもの……。精霊は、聖印のある者の前にしか現れないって仰ってたわ。それなら……」
自分だけならば出会えるかも知れない。だが、侍女や護衛が一緒では会えないはずだ、そう思った。広大な庭園を抜け、森へと続く扉のあった方へと向かう。
かなりの時間を要してようやく辿り着いた時には、息も絶え絶えになっていた。何とか息を整え、逸る心と高鳴る胸を抑えて、そっと扉の向こうへと踏み出す。
森の中とはいえ、それなりに整えられた小道があった。初めて見る森の様子に目を奪われながら進んでいくうち、かなり先に東屋のようなものが見えた。
「森の中の東屋なんて……精霊が遊びに来てたら素敵ね」
嬉しくなって、浮かれた気分で東屋へと足を向ける。
「……歌?」
向かう方向から、そよ風に乗って微かな歌声が聞こえてきた。華やいだ声や楽しげな声も混じっている気がする。
不思議に思って足を進めると、東屋のベンチに誰かが座っており、その周りを人ではない者たちが取り囲むように侍っているのが遠目に見えた。
とても、とても美しい光景だった――僅かな木漏れ日しか差さない森の中で、東屋の一角だけに燦々と陽が注ぎ、精霊たちが歌い、乱舞している。
合わせるように色とりどりの小鳥たちが囀り、周りには様々な動物たちが集っていた。
そんな輪の中心にいるのは、人離れして見えるほどの美しい少年だった。
『誰かしら……? 見たことのない人だけど、うちの一族……?』
精霊に愛されているとしか思えない少年には、間違いなく聖印があるはずだ。だが、ブランシュ公爵家に、自分の他に未成年の者がいるなど聞いたことがない。
不思議に思って、ずっと少年の方を見ていた。
年は自分よりかなり上に見えた。自分と違って癖のないサラサラとした、だが、自分と同じ白に近い銀髪が緩やかな風になびいている。
降り注ぐ陽がきらきらと反射して、先ほど見た湖のように輝いていた。
『綺麗……』
うっとりと魅入っていたロザリアは気づかない。自分を目指し、禍々しいものが近づいて来ていたことに――