第一章 解放への道 10
拒否し続けていた皇室との縁談が、勅命で無理矢理決定されてしまった日の絶望は、今でも生々しくロザリアの胸を締め付ける。
どんなに嫌がっても勅命である以上、撤回されることはないと思い、部屋に閉じ籠って泣き続けた。
そんな話を聞きつけて飛んできたヴァネッサが、こっそりと教えてくれた事実で、ようやく泣き止むことができたのだった。
――兄様から聞いたんだけど、皇子は努力が苦手で出来が悪いくせして、プライドだけはやたら高いんですって。周りが自分を持ち上げるのや、言いなりになるのが当然だと思ってるみたい。
そんなろくでなしだもの、聖女の威光でも無ければ立太子も覚束ないんだわ。婚約は皇子の卒業までは仮になったって聞いたわよ? ブランシュ公爵が相当頑張って無理を通したみたい。
だから――
そう言って、自称性格の悪いヴァネッサは、婚約回避のための作戦を親身になっていろいろと考えてくれた。
一、出来の悪い皇子とは違い、元々優秀で真面目なロザリアが目いっぱい努力し、更に優秀になったところを散々見せつけて、プライドを徹底的にへし折る。
一、ロザリアの評判が上がれば上がるほど、皇子は惨めな想いをするはずだから、敢えて毛嫌いされるように誘導し、蔑ろにするように仕向ける。
一、公の場で聖女を貶めるようなことを一度でもすれば、神聖教会の不興を買い、国中からも批判される。皇帝以外の聖卓会議の面々が、そんな皇子の立太子を認めるわけがない。
――だから、婚約はいずれ無かったことにできるはずよ。気に病む必要はないわ。リアはただ、皇子の卒業までの間、皇子には一切甘い顔をせずに、嫌かもしれないけど后妃教育を必死に頑張って、ひたすら立派な聖女として努力すれば良いのよ。
大丈夫、後は私たちに任せて。皇子をうまく誘導してみせるから――
そんな風に、ヴァネッサ発案、全四大公爵家門による婚約阻止のための計画が始動したのだった。
それから二年と数ヶ月、ロザリアは頑張った。生来の真面目さが全面に出てしまい、必要以上に頑張ってしまった。
そして……少々皇子が気の毒になるくらいに、目いっぱい格差を広げてしまった。
とにもかくにも頑張った甲斐があって、元々捻くれていた皇子は、矯正のしようがないほど見事に捻くれて今に至る――
『ちょっと気の毒だったかしら……。でも、まぁ……自業自得よね。わたくしだって、ずっと嫌な思いをさせられてきたんだし――』
そんな風に多少は痛む良心を、ロザリアは無理やり納得させた。
『それに……あの頃、叔父様が聖騎士団に入ってしまって、わたくしも寂しかったし……』
レオンと会えなくなってしまった寂しさを紛らわすために、更に必要以上に頑張っていた感がないでもない。いや、ほとんどの原因はそれかも知れなかった。
サロンで寛いでいる者たちを、ロザリアはそっと見やる。ここに顔を出すのは、四大公爵家に連なる聖印を有する者。今日は、その中でも未婚者ばかりが集まっている。
聖騎士になってしまったレオンは、当然のことながら顔を出せなくなってしまったが、屋敷にいた頃は普通に参加していた。
研究者肌の者が多いヴィオレ家は、二十歳のレベッカと十六歳の弟ダミアン。
時々、研究優先で結婚に興味のない当主の弟、三十六歳のトリスタンが加わる。舞踏会への出席が強制されていたため、その流れで今日は珍しく参加していた。
帝国騎士団や兵団を統率するルージュ家はヴァネッサと、兄のミカエル。
ミカエルは学生時代からのレオンの自称悪友で一つ上。子供の頃から悪戯好きで、どこかお調子者ではあるが、有能と評判の帝国騎士団近衛騎士隊の副隊長である。
経済と外交に強いブリュイエ家は、現当主の弟で、近々婚礼を控えている二十八歳の高級官僚ヴィクトル。
他に当主の息子である十歳のリシャールと五歳のラファエルがいるが、子供二人はまだここへ来たことがない。
本日の参加者は八名、傍系皇族の直系ばかりとあって、ほぼ色合いは同じ。白に近いかグレーに近いかの差はあるものの全員が銀髪で、瞳の色も青寄りか赤寄りかの違いはあるが紫系であった。
血が近いせいもあるのか皆、どことなく面差しが似ている。
『でも……』
際立った容姿の五人の男たちの中でも、ロザリアの目には、やはりレオンが格別に見えてしまう。ついつい目を惹かれてしまっているのを、ヴァネッサに小声で揶揄われては、頬を染めていた。
やっと本来受けるべきでは無かったはずの重責から解放され、心の自由を取り戻すことができた。
そんなどこか浮かれた様子に、レベッカは黙ってロザリアの頭を撫で、ヴァネッサは揶揄いながらも抱き締めてくれる。
ロザリアはずっと、無意識のうちに満面の笑みを浮かべていた。
「あれって、やっぱり不義の子なのかね……」
「まだ確定ではないが、どちらにしても聖印がない以上、皇太子になるのは不可能だな」
ミカエルの呟きに、レオンが眉を顰めて応える。
「皇帝陛下には他に御子はいないのに、どうするんだろう?」
一番年若のダミアンの素直な疑問に、最年長のトリスタンが肩を竦めて言った。
「どうって、こんな時のために四大公爵家があるんだよ。陛下が新しく皇后を迎えて、今から子作りに励む気になれば良いが……まぁ、今更だろうな。そのうち、ここにいる誰かにお鉢が回ってくるんじゃないか」
「私には来ないな。どう考えても相応しくない」
「それを言うなら、私だって器じゃあない」
ミカエルがおどけると、心底嫌そうにヴィクトルが返す。それを受けて、ミカエルはそこそこ付き合いの長い悪友に振った。
「普通に考えたら、帝国最強の聖騎士団長様だろう? 何せ、二つ名は、初代皇帝と同じ“英雄”だ」
「やめてくれ。私は、聖女認定されたロゼを護るために聖騎士になったんだ。学院を卒業したら、ロゼは聖女として国中を回らなくてはならない。皇帝になどなっていられるか」
「相変わらずレオンは姪命だねぇ。気持ちは分からないでもないけどさ」
揶揄い半分、呆れ半分でのミカエルの返しに、トリスタンが腕を組んで考え込み、しばらくして口を開いた。
「……女帝って線もあるかも知れないな。あの出来の悪い皇子を立てる気なんて、元々陛下には無かったのやも知れんぞ。聖女を引っ張り出すための口実だったのかも」
「それって……皇子と結婚させて皇族にして、その上で帝位は聖女のリアにってことかい?」
「あり得ないことではないだろう? それであれば、無能な皇子でも女帝の夫として、それなりの扱いはできるからな。まぁ……さすがにもう、そんな訳にはいかないだろうけども」
「確かに。でも……今回のことで、皇子との婚姻は無くなったが、女帝の線はまだあり得る話ではあるよな」
トリスタンとミカエルの会話を、レオンは苦い顔で黙って聞いていた。
そして、そんな密やかな令息たちの会話も知らず、令嬢たちはひたすら、ロザリアの解放を純粋に喜び合っていた。




