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第一章 解放への道 9

 がっくりと座り込んでしまった皇子は、しばらく呆然としていた。

 やがて、今現在この場を混乱に陥れている、新たに判明した事実を心が拒否しているのか、虚ろな目でぼそぼそとロザリアへの恨み言を言い出した。


「……まさか、其方が本物の聖女だなどと夢にも思わなかった……。其方が聖女、聖女と讃えられる度に……私は、周りから自分と其方の出来が違うと……其方に比べて自分が出来損ないであると、誰もが糾弾しているような気がして、辛くて苦しくて……其方を憎むようになっていた……。何故、私の婚約者が其方なのかと、筆頭公爵家が威光を傘にきて婚約などと言い出さなければと……」


 ぽつりぽつりと言い募る皇子に、ロザリアは淑女らしくないとは思いながらも、つい心の底から溢れるような思いで盛大な溜め息を吐いた。


「本当に……貴方は何も見ようとせず、何も聞こうとせず、何も識ろうともしない方でしたのね。そもそも婚約を言い出したのは、我がブランシュ家ではございませんのに」

「え……」

「皇室からのお申し出でございます。父はその場でお断り申し上げました。にも関わらず、再三再四にわたってお申し出は続き、父が断固として受け入れないと判るや、陛下は勅命を出されてまで婚約を強行されようとなさいました。流石に勅命を拒否はできませんでしたので、父は聖卓会議にかけ、殿下のご卒業――つまりは今日までの猶予をもぎ取り、あくまで“仮”婚約としたのです」

「な、何故……そこまでして父上は……」

「それこそ何で分からない? ロザリアが十五歳を迎えた時の猊下への謁見で、聖女と神託を受けたからに決まっている」


 露骨に不快げな顔で、レオンが切って捨てるように言う。


「勉学も武勇も劣り、かと言って何一つ努力すらしない。更には異教徒である妃所生。臣下からあまりにも不適格と看做されていた皇子には、聖女を伴侶として当てがいでもしない限り、立太子は不可能だったからだ」

「そ、そんな……」

「ですから、この場に教皇猊下まで含めた聖卓会議の資格者が全て揃っておられたのです。聖卓会議で決められた、婚約を正式なものとする条件は、学院卒業時に殿下が皇太子として立つに相応しいお方であると認められること――でございましたので」


 にっこりと微笑む聖女に、レオンは呆れたように首を振る。


「全く兄上も人が悪い……どうにもならない無能だから聖女との婚約が必要なのに、聖女と婚約したければ出来損ないでないことを二年で証明しろとは」

「それは、まぁ……お父様ですもの」


 ロザリアはようやく、屈託なく笑うことができていた。だが、聖女といえども人間である。二年もの間、ずっと不愉快な思いをさせられてきたことへ、ささやかでも意趣返しをしたい気持ちを抑えることは出来なかった。

 そっと皇子に近づき、声を顰めて本音を告げる。


「殿下はわたくしを嫌っておられたようですが、わたくしも殿下のことを好もしいと思うことは、どんなに頑張っても無理でございました。ですから、わたくし……それはもう物凄く努力しましたの。あらゆることを完璧以上に熟せるように、それこそ寝る間も惜しむくらいに」

「……何故だ……?」

「殿下との差が誰の目にも明らかになるように、でございますわ。そうすることで、殿下はますますわたくしを厭うようになりましたでしょう? まさか、さすがにこの肝心肝要な場で別の女性をエスコートされるような、愚かな真似までなさるとは思ってもみませんでしたけれど。わたくし、この日を心待ちにしておりましたのよ。やっと……苦痛でしかなかったお役目から解放されるのですもの」


 身を引いて、詰めた距離を元に戻したロザリアは、心からの笑みを浮かべ、優雅に淑女の礼を取る。


「ごきげんよう、ジュリアス皇子殿下。どうぞ、お好きな方とお幸せに」


 そのシャロンの姿は、とうに大ホールから消えていた。




 皇帝の血脈の正当性が疑われる事態に、当然の如く舞踏会どころではなくなった。筆頭のブランシュ公爵が、直ちに皇宮へ移って正式な聖卓会議を開くことを宣言。

 教皇をはじめとする資格者たちは、呆然としたままの皇帝と皇子を伴い、大ホールを後にした。


 残された貴族たちの動揺は激しく、一向に騒めきは収まるところを知らない。ようやく動き始めた学院の運営側が散会を宣言したが、国を揺るがす事態にほとんどの者が立ち去ろうとはしなかった。




 「せっかくの記念舞踏会があんなことになってしまって……卒業生の皆様には、本当に申し訳なかったですわ」


 四大公爵家の令息令嬢たちは、騒ぎの収まらない大ホールをさっさと抜け出し、ブランシュ公爵家のサロンに集まっていた。

 ソファに座している面々に茶や菓子を勧めながら、ロザリアは深々と溜め息を吐く。それを見遣って、筋向かいに座るレオンが苦笑を浮かべた。


「仕方ないな……。全てあの皇子が悪い」

「そうね、本当にあの方は愚かだこと。聖卓会議の面々が参列されているような場で、リアを論おうとなんてするから」


 渋い顔でレベッカが応えるのに頷いて、ヴァネッサが心底呆れた顔で辛辣に続けた。


「煙たい婚約者を排除して、お気に入りの令嬢を後釜に据えるのに絶好の機会だと思ったんでしょうけどね……。よくもまぁ、あんな身持ちの悪い娘に簡単に騙されたものよね。あのお馬鹿加減には全く呆れるわ」

「ヴィーったら……言い過ぎよ」

「何よ、リアだって少しくらいはそう思ってたでしょ?」


 帝国の貴族たちの間では、四大公爵家はそれぞれ敵対とまではいかずとも、派閥争い的な対立があるものと思われているが、実際は完全な一枚岩だった。


 どの家も傍系皇族であるため、代々親戚付き合いのようなもので、令息令嬢たちもまた従兄弟や兄弟姉妹のように仲が良い。

 それを敢えて公にしないのは、貴族たちの動向や相関関係を多方面から掌握するのに都合が良いからである。


 一人娘のロザリアにとって、レベッカは姉のような存在であり、ヴァネッサは姉妹というよりは親友と言った方が近い存在だった。


「でも……良かったわね、これでようやく自由になれるんだから」

「ええ、やっと……」


 思わず目が潤みそうになるほどに感慨深い。ロザリアは、心の底からしみじみと呟いた。

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