第一章 解放への道 7
『わたくし、幼い頃から叔父様と一緒に、何度か魔物狩りに参加したことがありますのよ。癒しと浄化が専門ではありますが……獲物の追い詰め方は、叔父様からきちんとご教授頂いております。ああ……政敵の追い詰め方は、お父様からも教えて頂いておりましたわね。ただの教養のつもりでしたけれど……』
思わずくすりと笑みが溢れる。皇子があからさまに怯む様子を見せたので、つい嗜虐的な気持ちが浮かんでしまった。
『殿下とは全くかけらも望まないご縁ではありましたけれど、お陰様でただ周りに大事にされている生活では気づけないことや、知らなかった感情を知ることができました。人として、得難い経験ではありましたわね。でも……もう、これ以上は結構ですわ。二年も費やしたのですもの……。もう十分でございましょう? わたくしは自由になりたいのです。夢を叶えるために……』
改めて決意を新たにし、ロザリアは自由と夢への障害を取り除くべく、更に皇子を追い詰める。
「――わたくしの思い違いだったようでございます。先ほど、ヴィオレ公爵令嬢にも確かめましたところ、令嬢も殿下のお力を感じたことが一度もないと仰っておりました」
ちらりと目を向けた先のレベッカが頷くのに笑みを返してから、ゆっくりとホールを見回した。
「それで、わたくし……このホール全体を感知してみましたの。本日、ここに出席している四大公爵家に連なる方々、全ての力を感じられましたわ。もちろん、皇帝陛下や教皇猊下のお力も、でございます。けれど……」
壇上にもちらりと目を向けた後で、最後に皇子へと目を戻す。
「やはり殿下からは、今この瞬間も神聖力を全く感じられませんの。何故なのでございましょう?」
「なっ、何を訳の分からないことを……」
「お分かりになっていらっしゃらないのは、殿下お一人のようですけれど?」
そう小首を傾げながらロザリアは、困惑をありありと浮かべて見せる。そうしてから、戸惑いがちに貴族達の顔を見回しているシャロンへと目を向けた。
「いえ、違いましたわ。そちらの方もお分かりではないようですわね。他にも何人かいらっしゃるようですが……皆様、世襲貴族の方ではないようですので仕方ございませんね」
「ロザリア! 其方はまた、そうやってシャロンを貶めるようなことを!!」
「また、と仰いますか。先ほど、わたくしがその方と相対したことは一度もないと証言がありましたのに……」
心の底から呆れて溜め息を吐きたい気分に襲われるも、本題はそこではない。ロザリアは、気を取り直して続ける。
「一代貴族だからと差別しているのでありませんわ。世襲貴族は誰もそんなことを思ってはいないでしょう? わたくしが殿下に問わせて頂いたことは、この国の成り立ちや皇室、四大公爵家の存在理由に関わることでございます。一代貴族ならばご存じなくても仕方ないことかも知れませんが、世襲貴族であれば常識……むしろ、殿下がお分かりにならないことの方があり得ないことではございませんか?」
「わっ、私まで愚弄するか! この悪女めが! 訳の分からぬ詭弁を弄するような、こんな女のどこが聖女だと言うのだ!!」
興奮した皇子がまたもやロザリアに掴み掛かろうとするのを、レオンが立ちはだかって阻み、左手を突き出して声を張り上げた。
「猊下! 神敵を征伐する御許可を!!」
「まっ、待て! 待ってくれ、聖騎士団長!!」
慌てたように壇上から駆け降りてきた皇帝が、青褪めた顔でレオンの左腕を抑えて制止を求める。
「おどき下さい、陛下。聖女への不敬は神聖教会を蔑ろにする所業、ひいては神を貶めるもの。これ以上の聖女への不敬は見逃せません」
丁寧な口調ではあるものの冷酷な目で見下ろし、冷ややかに断ずるレオンに、皇帝は取り縋るように腕を掴んだまま、必死な様子で言葉を紡ぐ。
「頼む、出来の悪い皇子ではあるが、私にとってはたった一人の子なのだ。せめて聖卓会議に……」
「陛下は、本気でこの者が継嗣であると?」
「なっ、何を言っておる?」
「私は本日、初めてこの者と相対しましたが、ロザリアの言う通り、微かな神聖力さえも感じられません。本当に陛下の御血を引いているのですか?」
表情一つ変えずに衝撃的なことを言われて皇帝は絶句し、庇われていた皇子は激昂した。
「きっ、貴様っ!! 何という無礼をっ!!」
顔を真っ赤にして目を剥く皇子を見据え、レオンは淡々と続ける。
「神聖力を有していても、他人の力を感じられる者はそう多くない。教皇猊下と私、ロザリア、そしてヴィオレ家の直系くらいだろう。ヴィオレ家は代々、そういう能力に秀でているからな。猊下は如何でしょうか?」
聖騎士に囲まれて近くまで来ていた教皇が、白く長い髭を撫でながら、仕方なさそうに目を閉じる。ややしばらくして、ゆっくりと首を振った。
次いで、共に壇上から降りてきていた四人の公爵の中から、ヴィオレ公爵が進み出てきた。
「私にも感じられませんな。これは一体どう言うことなのか……」
「三歳の披露目の折、事前に我々が皇子の聖印を確認したはずだ」
二人の判定に、ブランシュ公爵が眉を顰めて厳しい顔を他の公爵に向ける。
「三歳ではまだ力の発現は無い場合が多いが、聖印自体は間違いなくあったな」
それぞれが頷くのをみて、鼻白んでいた皇子が再び勢いを取り戻して自分の左胸を叩いて見せた。
「聖印とは、私の胸にある印のことだろう? 間違いなく、ここにあるぞ!」
我が意を得たりとばかりに、皇帝に同意を求める。
「私は間違いなく、皇帝の血を引く皇子だ! 此奴の無礼な発言は極刑に値する不敬だ!! 父上、違いますか!?」
調子を取り戻した皇子が勢い込んで訴えたのを、全く意に介した風もなく、レオンは淡々と続けた。
「聖印がある者に、神聖力が顕れないことはあり得ない。かつて、神に神聖力を与えられた英雄が大陸を平定してこの国を建て皇帝となった。以降、皇帝の直系子孫には聖印が刻まれ、成長後に神聖力が発現する……この国の世襲貴族ならば誰でも知っている歴史だ」
「歴史だと? ただの神話ではないか!」
周りが一斉に眉を顰めていることにも気づかず、皇子のみが一人、本気で反論している。
傍らに寄り添っていたはずのシャロンは、流石に空気を読んだらしく、いつの間にかそこから離れて観衆に紛れようとしていた。
「呆れたな……。仮にも皇族の立場にありながら、自国の正史を神話と思い込んでいるとは……」
「う、煩いっ!! 頭がおかしいのは、貴様の方だ!」
皇子は唾を飛ばさんばかりの勢いで喚くと、必死な様子で回りを見回した。