21
「殿下、お待たせいたしました」
「……何かあったのか?」
私の後ろにいるマリアに気付いたのか、心配そうに顔を覗き込まれる。
「問題ありませんわ。マリアがおりますもの。何か起きてもすぐに解決しますわ」
「そうか、無事なら構わない。後で詳しく聞こう。マリア、いや今日はマリア嬢と呼んだら良いか?」
普段の制服ではなく、淡いラベンダー色のドレスを身に纏うマリアに殿下は悪戯な笑みを向けた。
それとは対象的にマリアはピクリとも表情を動かさずにカーテシーをする。
「お嬢様の侍女に変わりありませんのでお好きなように」
「では、マリア嬢。ここまでレフィーリア嬢を連れてきてくれて感謝する。
大変申し訳ないが後で呼ぶので少しの間でいいので外してもらえるか?」
「元よりそのつもりでございます。お嬢様、ご所望のケーキは確保しておきますのでご安心くださいませ」
「さすがマリアだわっ」
「なんだか一生マリア嬢には敵わない気がするな」
殿下が苦笑を浮かべて去っていくマリアの背を見送った。
二人きりのバルコニー。
2階の高さから下を覗き込むと庭園が広がっている。
所々にランプが灯され、恋人達が愛を囁き合っているのが見える。
「殿下、殿下。あちらを見てくださいな。あの薔薇のアーチの所ですわ」
バルコニーの手摺に掴まり、片手でくいくいっと殿下の袖口を引っ張る。
「どうかしたのか?」
どこか嬉しそうに私に顔を寄せる。
「あのお二人、今から絶対口付けしますわよ。見ててくださいまし」
二人の重なった姿に殿下の袖を強く握る。
「まあっ、ご、ご覧になりまして⁉︎ い、今あんなっ、あんな強引に……!」
もっとロマンティックな口付けが見れると思っていたのになんてこと⁉︎
想像してよりも激しい口付けに顔を赤くして唇を震わせると、殿下がくっと笑いを噛み殺す。
「レフィーリア嬢は強引な口付けは好きでは無いのか?」
「しょ、小説では好みますが、実際だと……戸惑ってしまいますでしょう?」
「なるほど?」
殿下は一瞬思案するように黙り込むと口元を隠して独りごちる。
「ふむ、それはそれでアリだな」
「何がですの?」
「ああ、レフィーリア嬢は気にしなくて構わない」
楽しげに口の端を釣り上げた殿下は、誤魔化すように手を振って話を終わらせようとする。
それを訝しんで見上げると、殿下のラピスラズリの様な藍色の瞳に月の光が映り込みキラキラと輝く。
途端に吸い込まれる様に見入ってしまう。
目をまん丸にして食い入るように見つめると、その藍色の瞳が柔らかくて細められた。
「私の瞳をよく見つめるが、その……好きなのか?」
「ええ、それはもう! ラピスラズリみたいでとても好きですわ。幼い頃に買ってもらったラピスラズリのブレスレットがあるのですが、大切すぎて家の中でしか使えないくらい大事にしてますのよ」
「幼い頃から? もっと幼い子が好む宝石もあっただろうに」
「私、小さな頃から『ラピス』が好きでしたの」
ふふっと小さく笑ってバルコニーの柵に背を預ける。
「ああ、先日見た劇の。恥ずかしながら詳しい内容は知らなくてな。あの題名はなぜ『ラピスラズリの恋人』なんだ?」
「身分違いの恋ですもの。周りにバレないように夜に逢瀬を重ねますの。その時に見上げた夜空を表しているのですわ。それとフェルナンド様の瞳の色がラピスラズリの色ですの。殿下とお揃いですわね」
「……だから、好きなのか?」
フェルナンド様の名前を出すと途端にムスッと不満げな顔になった。
それを見てくすくすと口に手を当てて笑う。
「初めはそうでしたわ。でも、ラピスラズリって素敵じゃありませんか。手のひらに乗せるとこの手に星を捕まえた様な、夜を閉じ込めたような、そんな気持ちになりますの。
決して手に入らないものを仮初にでも手にした妙な高揚感、とでも言いましょうか」
「レフィーリア嬢には……そう見えるのか」
「ええ。殿下の瞳は私が見てきた中で一番美しいですわ。その黒髪も瞳も私は好きですわ」
素直に喜べず笑顔を作るのに失敗した殿下は私から顔を逸らす。
空に浮かぶ三日月を見上げる殿下の横顔に妙に胸が締め付けられた。
「私は兄上達の様な美しいブロンドと鮮やかな青い瞳に憧れていた。父上と同じブロンドは正当な王子なのだと証明されているようでいつも横に並ぶ時に劣等感を感じていた。
母上の色彩を受け継いだことに不満はない、つもりだ。母上は美しい方で髪色も瞳も似ていると言われて嬉しかったのも覚えている。
だが幼い頃から私は自分の立場を理解していた。所詮引き立て役なのだと。スペアにもなれない、ただの余りものなんだと。月を輝かせるためにこの色なのだと早々に理解した」
幼い頃にそんな声を聞いたのだろう。
少なくとも子供が自分でたどり着く結論ではない。
直接的にしろ間接的にしろ耐え難い言葉だっただろう。
諦念を帯びた乾いた笑いをあげて目を伏せる殿下の手にそっと指先を添えてーー抓りあげた。
「いった!」
「光が何なのです。そんなに気なさるのなら殿下だけが目立つように周りを全て白一色で取り囲んで差し上げますわ。そうすれば殿下が一番目立ちますわよ。全く、ジメジメ長々と陰気臭いことこの上ありませんわね。誰を輝かせるだとか引き立て役だとか考えるだけ無意味ですわ。他者に自身の存在意義を決めさせてどうするのです。殿下がどう在るべきかは殿下が決めることでしょう?」
「それに」と続ける。
「髪如きで王の資質を決められては王太子殿下もさぞや腹立たしいことでしょう。殿下は何を見てこられたのです? 王太子殿下も第二王子殿下も王族に相応しい素晴らしい方々でいらっしゃいます。それは髪色で決まることでございましょうか?」
殿下はハッとした顔をして首を横に振る。
「……いや、違うな。兄上達は日々遅くまで民のためにと政務に勤しんでおられる」
「でしょう?」
「すまない。理解していると言うのに、酒に酔ったのか心に閊えていたものを吐き出してしまったのかもしれんな」
眉尻を下げて困ったような顔で頬をかく殿下が普段より幼く見える。
「お気になさらず。そういうのは吐き出してしまった方が楽になれますわ。頭で理解しても心が納得しないことなんてこれからも山程起こりますわよ。口にできる時にしてしまえば良いのです」
「ああ、今日レフィーリア嬢にこの情けない気持ちを切り捨ててもらえてよかったよ」
明るい声音でそう話す殿下に、いつもと変わらぬ穏やかな笑みに、知らず私も笑みを返していた。
「ああ、やはり私にはレフィーリア嬢しかいない。貴女とでなければこれから先を生きていくのは困難だ。他の誰かとなんて考えたくもない。貴女以外と幸せになれそうもない」
殿下の瞳に薄い水の膜が張り、キラキラと光を反射する。
「私は貴女がーーレフィーリア嬢が好きだ。侯爵には、許可をいただいた。どうかこの手を取ってもらえないだろうか?」
片膝をつき手を差し出されるのを妙に落ち着いた気持ちで見つめていた。
「君が望むものは可能な限り全て叶えてみせよう。君が愛するもの全てを守ってみせよう。だから……共に生きてほしい」
静かに息を吐き、瞳を伏せる。
答えは、決まっていた。
殿下をひた、と見据え完璧令嬢の微笑みを浮かべる。
「嬉しいですわ。ですが、まだ私は恋が何かを知りませんわ。それでも殿下は私で良いと仰ってくださいますの?」
「私と恋をしよう。少しずつ。私が教えよう。私の瞳を好きだと言ってくれるなら未来では私を好きだと言わせてみせる」
「まあっ、自信家ですわね。楽しみですわ」
殿下の手にそっと指先を乗せる。
途端に嬉しそうに顔を蕩けさせた殿下は素早く立ち上がると勢いのまま私を腕の中に閉じ込めた。
腰に回された腕と後頭部に添えられた手が、あまりにも優しくて。
かくれんぼの時とは違う、その手つきに込められた意味を感じて思わず息を呑んだ。
「本当に殿下はあの時我慢されてましたのね」
「今もだ。本当はこのまま口付けをしたい」
「っ⁉︎」
「ははっ、でも今はまだ我慢するさ。来月婚約式をする時には許してくれると嬉しい」
そう言って私の額に口付けをする。
「ひゃっ」
「なんだその声は。かわいいな」
そう言って右頬、左頬と更に口付けを落としていく。
「待ってくださいませ、殿下っ」
慌てて殿下から離れようと肩を押すがびくともしない。
さすが騎士でもあるわね。
令嬢の細腕では抵抗もできないとは。
「殿下っ……!」
恥ずかしさで打ち震える私に気づいた殿下は顔中にする勢いだったのを止めて、愛おしそうに抱きしめる力を強める。
「ああ、レフィーリア嬢。すまない。つい可愛くて止まらなかった」
「まだお父様にも陛下にも報告していませんのにっ!」
頬を私の頭に擦り付けてぎゅうぎゅうと腕に力を込めてくる。
「すまない」と謝りながらも全く反省していないのが丸わかりだ。
「今から父上と侯爵に報告に行こう。それから会場中に貴女を私の婚約者として触れ回りたい」
返事をしようと口を開こうとした時、会場で宰相が声を張り上げる。
「ご来臨の皆様方、陛下から皆様に報告がございます。まず、私の手が示す方をご覧ください」
あら、私たちがいる方向のようだわ。
殿下と抱き合ったまま顔を見合わせる。
バルコニーにいる私達に数多の好奇心と嫉妬に満ちた視線が突き刺さる。
そこに陛下の声が届く。
「この度、我が息子の第3王子ライオネルが婚約する運びとなった。お相手は皆も勘づいているだろうが、レフィーリア・シェルゼン侯爵令嬢だ。王家から再三打診をしては断られ、侯爵にようやく見合いをさせてもらい、ライオネルたっての希望で婚約することと相なった。皆もライオネルの遅い初恋の成就を祝ってやってくれ」
会場が割れんばかりの拍手の音に包まれる。
「なっ⁉︎ まさか監視されていたのかっ⁉︎」
「ふふっ、そのようですわね。陛下も心配性ですわね。だから頭髪が寂しいことになりますのよ」
「しーっ! しーっ! 陛下気にされてるんですから!」
リックが物陰から慌てて出てくる。
「リック様、出歯亀ですの?」
「いやぁ、刺客がいつ来るか分かりませんからねー。殿下のそばを離れるわけにもいかないじゃないですか」
そう言うと、その後ろから近衛騎士とマリアが続いて姿を現した。
「お、お前達……まさかまたずっと聞いて……⁉︎」
「はあ、ほんと甘酸っぱすぎて胸焼けしましたよ、殿下」
「ええ、砂糖を吐くかと思いました」
「殿下、おめでとうございます!」
「素直に祝福してくれるのが騎士だけとはどう言うことだ!」
顔を赤くして照れ隠しに喚く殿下を見て大きな声をあげて笑った。