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まず第一になぜこの体勢なのかと私は問いたい。
殿下の腕の中に前からすっぽりと包まれ、布越しに殿下の温度を感じる。
少し顔を上げようとすると「こっちを見ないでくれ」と私の髪に顔を埋められた。
熱い息が伝わってきて落ち着かない気持ちで身じろぎすると、それを封じるように今度は腕に力を込められた。
状況が悪化したわ。
こ、困ったわね。誰か早く見つけてくれないかしら。
あぁ、マリア助けてちょうだい。
遡ること10分前。
子供達とかくれんぼをすることになり、私のお気に入り隠れポイント、大木のウロの中に身を潜めるため移動していた。
「じゅーきゅー、にーじゅ、にーじゅいち……」
少し遠くで聞こえる鬼役の子が数える数字がそろそろ30に近づいてきているが、この分なら問題なく目的地に到着できるだろう。
足早にその場所に向かい、身を潜めようと屈むとーー先客がいた。
「ライオネル様、そこは私の場所ですわ! 場所をお譲りくださいませ!」
「れ、レフィーリア嬢⁉︎ ちょっと待ってくれ。今引っ張り出されたら鬼に捕まるっ」
1人くらいは余裕で入れる大きさだが2人だと流石に窮屈だ。
殿下の腕を両手でぐいぐい引き、入れ替わろうとするとーー
「シェリルみっけた! うーん。ライ兄ちゃんとリア姉ちゃんどこかなー?」
鬼の声が思ったよりも近くでした。
びくり、と2人して身を強張らせる。
「すまないっ」
殿下は小さく一言謝ると腕を掴んでいた私をそのまま強く引き寄せる。
ぽすんっ、と優しく受け止められ痛みは特にないが驚きで目を見開いた。
私を腕に閉じ込めたまま殿下は手早く草木で入口を塞いでいく。
これでは子供達が見つけるのは相当困難になるだろう。大変大人気ない。本気すぎる。
そして殿下の鼓動の音がとてつもなく早い。
こんなに人の心臓って早く脈打つものなのかしら。
心配になり、殿下の胸に耳を当てたままじっとしていると、耳元に息を感じた。
「今動けば鬼に見つかってしまう。少しだけ辛抱してくれ……」
小声で殿下に囁かれて肩を揺らす。
改めて今の体勢に気づいて、何も言えずそのままコクコク頷いた。
ど、どうしましょう? こんなところ誰かに見られたらあらぬ疑いを……!
でもだからと言ってわざと見つかるのは私のポリシーに反するわ。
遊びは全力を尽くすものよ。
息を殺して鬼が立ち去るのを殿下の服にしがみつきながら待つ。
殿下より落ち着いてるとは言え、普段よりも心拍数が高くなっているのは追われているからか異性との近すぎる距離のせいか。
答えの出ない思考の渦にぐるぐると飲み込まれるようだ。
そうして、冒頭に戻る。
「……良い匂いだな」
私の髪に顔を埋めたまま殿下が小さく呟く。
私に話しかけたというよりもうっかり口を滑らせたかのような言い方だった。
「っ!? な、なにを」
「はは、つい口に出た」
いつもより軽い口調で笑う。その息がまたぞわりと私の身を震わせる。
「殿下、顔をあげてくださいませ!」
「ライオネル」
「ライオネル様っ! く、くすぐったいのですっ」
いちいち呼び方を訂正してくる殿下の腕をパシパシと軽く叩きながら首を振って無理矢理距離を取らせる。
腕の力は緩まないので離れられないが、どうにか頭を殿下から引き離すことには成功した。
「そ、そんな可愛らしい声で名を呼ぶなんて君は私をどうしたいんだ……っ」
「どうもしたくありませんわ」
唇を尖らせて不満気に至近距離で見上げると、すぐに殿下はぐいんと天を仰いで顔を背ける。
「あのう……」
声をかけると何度か深呼吸をしてから左手で私の頭に触れ、顔の位置を確認するかのように何度か髪を撫でられた。
「いや、すまない。少々取り乱した。君が腕の中にいるだけでこんなに余裕がなくなるとは思わなかった」
「そのようですわね。先ほどからとても鼓動の音が早いですもの」
「……そこは気づかないふりをしてほしい」
軽く咳払いをした後、殿下が徐に口を開いた。
「今度王家主催の夜会が開かれるだろう?」
「確かマリアが言ってましたわね」
「俺のパートナーとして出てくれないか?」
「え、それだと婚約内定みたいに思われますわよ」
「い、嫌か?」
「嫌というより面倒ですわね。ライオネル様の服に合わせるとなるとドレスもそれなりのものを用意しないといけませんし」
頬に手をあててため息混じりに答えると、殿下は私を抱き上げ右腿に乗せる。
慌てて殿下に掴まると片手で私の肩を抱いたまま、恭しい態度で私の左手をとる。
「もちろんドレスから装飾品までこちらで全て用意しよう」
「最初に王族のダンスが行われますでしょ? 今でもこんなに動揺なさっているんだもの。絶対にライオネル様は私の足踏みますわよ」
「死んでも踏まない。踏むくらいなら後ろに倒れる!」
「それに何よりもライオネル様のパートナーだと食事が満足にできませんわ」
「安心してくれ。最低限の挨拶だけでその後の食事の時間は必ず確保しよう!」
「それにーー」
「何でも言ってくれ!」
「夜会がめんどくさいので正直行きたくありませんの」
「王家主催の夜会を欠席するわけにはいかないだろう。
必ず誰かを同伴しなければならないんだ。なら俺にしてくれ。頼むから。君の隣に他の男がいるのを見たくない」
必死の形相で頼み込まれ、暫し見つめ合う。
折れる気配のない強い意志を感じる。
抵抗して見つめ返してみるが、全く逸らされることはない。
私が折れるしかないのだろう。
相手は王族だ。最終的には願いが叶うとわかっているのだ。
勝ち目のない攻防に諦めて小さく息をついて頷く。
「仕方ありませんわね。よろしくお願いいたしますわ」
「ありがとう、レフィーリア嬢」
握られていた左手を持ち上げられ、その薬指に口付けられる。
「な、何をなさいますの! 破廉恥ですわ!」
「は、破廉恥⁉︎ 君の基準がわからないんだが」
戸惑う殿下の声と被さってガサガサと草木をかき分ける音がする。
「お嬢様に何をなさいました?」
「殿下! さすがに手を出したらダメですよ! 折角認めてもらったのに侯爵に怒られますよー!」
こちらを覗き込む2人とその向こうに子供たちの姿が見える。
「なっ……なっ、なななな」
「あら、いつの間に?」
マリアが殿下が我に返る前にしれっと私の手を取り、立たせてくれた。
「私は常にお嬢様についておりますので」
「殿下の『良い匂いだな』からですね」
「ほぼ最初からじゃないか!」
殿下が叫びながら頭を抱える。
そこに子供たちからも非難の声が口々に上がる。
「リア姉ちゃんはみんなのなんだよ!」「ひとりじめはだめなの!」「わけっこしないとおやつ抜きなんだよ!」
「あはは、殿下怒られちゃいましたねー。まあレフィーリア様のパートナーになれましたし、このくらいは甘んじて受けてくださいね」
リックの差し出した手を掴み、殿下も立ち上がる。
「それで? 口付けのひとつでもしちゃったんですかー?」
「ち、違う! 断じてそのような真似はしていない!」
「えー、でも破廉恥なことしたんでしょう?」
「していない、していないぞ! 私は紳士だった。そうだろう? レフィーリア嬢!」
「えっ……」
否定してほしそうにこちらを見てくるが、髪の匂いを嗅がれたり、抱きしめられたり、耳元で囁かれたり、膝の上に乗せられたり、左手の薬指にキスされたり……
「いえ、破廉恥でしたわね。無理矢理押さえつけられて恥ずかしかったですわ」
「処しますか」
「うわー。ちょっと殿下自制心どこに置いてきたんですー?」
軽蔑するような冷たい目するマリアと面白がるリックにからかわれて、殿下はその後も必死に弁解を続けた。