18-ライオネルside-
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「シェルゼン侯爵。今から少し時間をもらってもいいだろうか」
城内で見かけた侯爵を呼び止める。
「は。わ、私でございますか。ええ、そ、そうですね。次の会議まで少し時間はございますが。ええ、ほんの少しですが」
普段は人の好さそうな穏やかな顔が今は引き攣っていて、大量の冷や汗と忙しなく目が動いている。
別に虐めている訳ではないのに、やけに周りからの視線が突き刺さるのは侯爵の人柄ゆえなのだろう。
話の内容に検討が付いているからか侯爵は出来ることなら断りたいというオーラを控えめに発して、おそらく無意識に一歩後ろに下がった。
だが、ここで引くわけにはいかない。
「では私の執務室へ移動しよう」
「は、はい……」
前を私に、左右と後ろを近衛騎士に挟まれ逃げ道を失った侯爵は項垂れて後に続いた。
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「時間がないのにすまない。侯爵とはあの顔合わせ以来だろうか」
「そ、そう、でしたかね」
執務室の皮張りのソファーに侯爵と向かい合って座る。
まじまじと見るとレフィーリアとは目元が少し似ているが、癖のない赤茶色の髪にグレーの瞳をしていてあまり面影は見当たらない。
「ふむ、侯爵はレフィーリア嬢とあまり似ていないな」
「む、娘は妻に似ておりまして……」
「そうなのか。奥方もさぞかし美しいのだろうな」
「え、ええ……まあ、は、はは」
ただ片頬を引き攣らせただけの愛想笑いと呼ぶのも烏滸がましく感じる顔で、居心地悪そうに何度も座り直している。
侯爵の気持ちを汲み取り早速本題に入ることにした。
居住まいを正して、真っ直ぐに見据える。
「レフィーリア嬢との婚約の件だ」
名前を口にした瞬間に「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げて青褪める侯爵。
悲鳴をあげるほど反対なのかと内心気分が沈みながらも笑みを維持する。
「あー……侯爵があまり賛成していないのは理解しているが、私はレフィーリア嬢と婚約、そして出来るだけ早く結婚したいと思っている」
「そんなっ! ですが娘はっ」
「もしかしてレフィーリア嬢に他に好いている者でもいるのか⁉︎」
「いえいえ、まさか! うちの娘はそんな普通の令嬢みたいな感性持ち合わせておりません! ただ……」
即座に否定されて安堵するが、侯爵は心苦しそうに言葉を続ける。
「……大変言いづらいのですが、はっきり申し上げます。
娘は完璧令嬢と呼ばれておりますが情緒は子供のままです。貴族としての義務や政略結婚は理解していても恋を知らない娘です。
殿下と同じ思いを返せる保証もありません。そんな娘を理解して守ってくださる方にしか嫁がせられないと妻と話しておりました」
「私では彼女の相手に相応しくないと?」
「いえ、殿下は娘には過ぎたお方です。ですので、これはただの娘を思う親心です。きっと殿下も娘を選んだことで深く苦悩されることが出てくるでしょう。その時に殿下も娘も傷つくことになるのではないかと……」
なるほど、それで侯爵は最初から反対していたのか。
眉尻を下げて、酷く辛そうに言葉を搾り出す侯爵を労わるように、前に乗り出してその肩に触れる。
「彼女から与えられる苦しみなら喜んで受け入れよう。レフィーリア嬢がまだ私を好いていないことは理解している。だが、共に気持ちを育んでいくことはできるだろう」
侯爵は涙を溜めた瞳をゆっくり上げると私と視線を合わせると、一度、二度と瞬きを繰り返して、苦しげに歪ませていた口元を緩める。
「それを聞けて安心しました。もう反対は致しません。娘の気持ち次第です。レフィーリアが頷いた時には私も侯爵家当主として婚約を認めましょう」
「ありがとう。良い結果を持って、今度は侯爵家に挨拶に伺おう」
右手を差し出し、固く握手を交わすと「楽しみにしております」と本来の侯爵らしい柔らかな笑みを浮かべた。
その顔はどこかレフィーリアに似ていた。
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「わあっ、騎士様だ!」「カッコいいっ」「その剣本物っ?」「お城行ったことある⁉︎」
孤児院の門を潜った途端、子供達に取り囲まれて身動きが取れない。
矢継ぎ早に質問され、曖昧な笑みで頷いてオロオロしていると、レフィーリアがパンッと手のひらを鳴らして子供達の気を引く。
「こんにちは。みんな元気ね。今日はこのお兄さんも一緒に遊んでくれるけど初めてだから挨拶からしないといけないわ。みんなは挨拶できるかしら?」
「できるよー!」「僕も! 僕カインだよ!」「わ、わたしラフィーですっ」「ギルだよっ」
「ライオネルだ。よろしくな」
「ライにいちゃん?」「ライお兄ちゃんっ!」「ライ兄ちゃん!」
名前を呼ぶだけで楽しそうに走り回る姿に笑みが溢れる。
邪気のない子供の純粋な姿に心が洗われるようだ。
「殿下、全く王子様と思われておりませんわ。風格が足りないのでは?」
「いや、子供たちと遊ぶなら王族としてよりも親しみやすい騎士の方がいいだろう。それからレフィーリア嬢」
言葉を区切ると、気合を入れるように息を吸い込む。
「今日は『殿下』ではなく、ら、らら……」
「まあまあっ、いきなり歌い出すなんてご機嫌ですわね」
「そうではなく! きょ、今日はただの騎士として過ごしたいと思っている。だから、その、ら、ライオネル、と呼んでくれないか……」
「殿下を?」
「……今日だけで、いいんだ。駄目、だろうか?」
「ええ、わかりましたわ。ライオネル様ですね」
全く何も気にする素振りもなくあっさりと名前を呼ばれ、嬉しいやら少し残念な気持ちやら複雑な気持ちで頷いた。
「ああ、せっかく殿下が勇気を振り絞ったのに何の気負いもなく平然と呼ばれてますね。照れた姿でも見たかったのでしょうに」
「相手がお嬢様ですので。期待するだけ無駄というものでございます」
こちらを観察していた侍従と侍女に顰めっ面を向け、リックに子供達をけしかける。
「あっちにいるお兄さんも遊んでくれるぞ。誘っておいで」
「はーい!」と元気よく返事をしてリックの周りに子供が群がる。
「ねーねー、チャンバラしよー!」「おにーさんも騎士さま?」「剣強い?」
「ちょっ! で、でんーー」
「リックも遊んでもらってこい」
「いやぁ、子供は手加減ないから苦手なんですけどーーって、あぁっ引っ張らないで!」
早速揉みくちゃにされ始めたリックを見て胸がスッとした。
傍にいるレフィーリアを見下ろし、微笑みかける。
「私たちーーいや、俺たちも遊んでもらおうか。レフィーリア嬢」
「ええ!」
手を差し出すとぎゅっと躊躇いなく握り返してくれる。
これは少しは期待しても良いのだろうか。
彼女の気持ちが少しでも自分に向いてくれないだろうかと願わずにはいられない。