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「マリア、お弁当を出して頂戴」
「かしこまりました」
マリアはひとつ頷くと、事前に借りていた丸テーブルと椅子を侯爵家の護衛騎士に持ってくるよう指示を出す。
テーブルの上に手際よく広げられるお弁当の中身はサンドイッチや唐揚げなどの定番メニューだ。
向かい合う形で座り直してサンドイッチの入っている容器を殿下に寄せる。
「どうぞ、お召し上がりになって。このサンドイッチは私が作りましたのよ」
気落ちしていた殿下が目を輝かせてサンドイッチに視線を向ける。
「これをレフィーリア嬢が? 美味しそうだな。頂こう」
「うっ、で、でんか……ど、どくみを……」
ようやく笑いがおさまったらしいリックがよろよろと立ち上がり殿下に手を伸ばす。
「リック様ご安心ください。貴方が笑い転げている間に王宮の毒味役の方にお願いして済んでおります」
副音声で「この役立たずが」と罵る声が聞こえそうなほど冷たい声だ。
「具やタレは侯爵家の料理長が用意いたしました。お嬢様は具材を挟んだだけでございますので味も保証いたします。王子殿下も安心してお召し上がりくださいませ」
「もう、マリアったらどうしてそんな余計なことを言うのかしら。完成させたのには違いないじゃないのっ」
殿下に向けて恭しく頭を下げるマリアを横目に口を尖らせて不満を口にする。
「いえ、一般的な侯爵令嬢がまともに料理ができるはずがないではありませんか」
「まあまあ、レフィーリア嬢が手ずから食材を挟んでくれたのだ。それだけでもとても嬉しい。有り難く頂戴する」
そう言って手近にあったサンドイッチを口に運ぶと「うまい」と一言もらして黙々と食べ進める。
訓練でお腹も空いていたのもあるだろうが、その食べるスピードに思わず笑みが浮かんだ。
このままでは殿下一人に食べ尽くされてしまうと若干の危機感を抱くほどの早さに私も唐揚げに手を伸ばして一口で頬張る。
口をリスの頬袋のように膨らませて咀嚼していると、マリアが何か言いたそうな目で見てきたが素知らぬふりをしてゆっくりと味わう。
冷めても柔らかさを維持している。シンプルな味でいてしっかりと舌に残る旨み。
また腕を上げたわね、料理長。
心の内で称賛しながら、サンドイッチへと手を伸ばす。
どれも出来立てを味見したとはいえ、お弁当に詰めたからこそ出る味わいと香りに手が止まらない。
お弁当の7割は殿下のお腹に消えたが、ほどほどに私のお腹も満たされてきたところで口元を拭う。
食後の紅茶で口直しをすると満足気な吐息をもれた。
殿下も寛いだ様子で椅子に背を預けている。
「そう言えば殿下。週末は孤児院に来てくださると伺いましたけれど」
「ああ、レフィーリア嬢は毎週末顔を出しているのだろう? 私も子供達に顔を覚えてもらえるように通おうと思う」
「それは子供達も喜びますわ。ですが、意外とお暇なのですね。もっとお忙しいのかと思ってましたわ。王族でも第3王子ですとそこまで仕事は割り振られないものなのですね」
「いや、そんなことはーー」
「でもそのおかげで週末も殿下にお会いできますのね。とても嬉しいですわ」
「っ! そ、そうか。私も……嬉しい」
ふわりと笑みを浮かべて殿下を見つめると、赤らめた頬を隠すように片手で顔半分を覆い隠してしまう。
それを少し可愛らしく感じて眺めていると「見ないでくれ……」と顔を背けられ、小さく声を上げて笑った。
その後、午後も訓練があると言う殿下に別れを告げ、まだ日も高いうちに邸に戻った。
*****
昼を過ぎたとは言え、まだお茶をするにも早い中途半端な時間。
ソファーで適当な恋愛小説を流し読みしながらも脳裏に思い返される今日の殿下の姿。
つい思い出し笑いをしてマリアに怪訝な目を向けられる。
「ねえ、マリア。殿下ったら可愛いと思わない?」
「いえ、ちっとも」
あまりの即答に思わず動きが止まった。
「え?」
「ちっとも。とお答えしました」
「…………あ、あー、そうね。マリアに聞いた私がバカだったわね」
二度もはっきり言われて反論する気も失せた。緩く頭を振って肩をすくめると苦い笑みを浮かべる。
ふと疑問を思い出して、開いていた本を閉じてマリアに顔を向ける。
「ねえ」
「何でしょうか」
「どうして殿下はあんなに私に想いを寄せてくれるのかしらね」
「ああ、モテる女ムーブですか。鬱陶しいですね。調子に乗っていらっしゃいますか」
「ちっがうわよ! どうしてそう捻くれてるのかしらっ。だって不思議じゃない?」
「お嬢様が理解できないことが不思議ですが」
出来の悪い生徒を見るような目で淡々と当然のように言われて怯んでしまう。
「な、何でよ」
「私の台本通り動いているのです。当然の結果では? 何をモジモジと乙女ぶっていらっしゃるのか」
「でもマリア恋人いないじゃないの!」
「いないといつ言いましたでしょうか?」
「えっ! いるの⁉︎」
「さあ?」
マリアの口元が緩く弧を描き、瞳を微かに細めた。笑みを浮かべているとは言い難い微かな表情の変化だと言うのに随分と妖艶な雰囲気を醸し出す。
侍女の制服だと言うのにこれなのだ。それなりのドレスでも身につければ夜会でも持て囃されるだろう。
じっと見ているのも気恥ずかしくなり、視線をうろうろと彷徨わせる。
「あ、そ、そうよね。マリアもいい大人だもの。恋人の1人や2人、1ダースに3ダースくらいいてもおかしくないわよね」
自分でも何を言ってるのかよくわからなくなっているが、マリアがそれを指摘する事はなく代わりに別の問いかけをされる。
「お嬢様は殿下に恋心はないのですか?」
「恋心? 胸がときめくとかは全くないわ。そもそも人を好きになる感覚がよくわからないもの」
「無自覚、と」
「何が?」
心底呆れたような声にムッとして問い詰める。
「いえ、何も。ただこのままでもお嬢様は幸せになれそうなので安心しました」
思いもよらない言葉に戸惑い幾度か目を瞬かせる。
「貴女……意外と私のこと好きだったのね」
「いえ。別に。大して。自惚れないでくださいませ」
「いいのよ、隠さなくても」
「なら勝手に勘違いしててください」
「ええ、マリアの許可も出たことだしそうするわ。幸せな勘違いならしてた方がいいもの!」
「本当に呆れるほど能天気でいらっしゃいますね」
「そうでなければ、こんな人間になってないわ」
「おっしゃる通りで」
いつもの無表情が崩れて苦虫を噛み潰したかのような顔でマリアが言うのを見て吹き出してしまった。