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「まだ開演まで時間がある。いい場所に移動しよう。少し混んできたな。逸れぬようもう少し側に」
繋いだ手を更に引き寄せられ、肩が殿下に当たってしまいびくりと体が強張る。
ち、近すぎないかしら?
婚約者でもないのにダンス以外でこんなに近い距離になるのはいけないことだわ。
ああ、でももう手を繋いでいるからそもそもそんなこと気にするのは遅いのかしら。
悶々と考える私に気づいていないのか殿下は後ろを振り返る。
「リックはマリアを頼む」
「いえ、問題ございません。何年もお嬢様についておりますのでこの程度の人混みで見失うことはありません。お気遣いなく」
「そ、そうか」
「うーん。まだまだガード固いなぁー」
とりつく島のないマリアに、リックは苦笑を浮かべて肩をすくめる。
そんな2人に自信満々な笑みで顎をツンと上げて腕を組む。
「うちのマリアは優秀ですもの。心配いりませんわ。私の急な行動も全て把握したかのように先回りしますのよ。それに護身術も使えますの。先日なんて街で暴れていた暴漢を一撃で仕留めましたのよ」
「ほう。それはそれは」
「大したものだな」
2人は感心したようにマリアを見遣る。
情報収集・分析能力とその強さを疑問に思い、一度冗談で侯爵家の暗部に所属しているのではないかと聞いたら、にたりと不気味な笑みで返されたのは若干トラウマになっている。
私は知らない方がいい事なのだろう。触らぬ神に祟りなしだ。
平民の服を着ても貴族とわかるのか私たちを避けてくれる人が多く、そこまで苦労することなくいい場所を取ることができた。
椅子はなく立ち見だ。
殿下が椅子を用意すると言ったが断った。せっかく平民になりきっているのにそんなことしたら楽しめないでしょうに。
そわそわして開演を待っていると劇に集中している間に攫われては困るからと私の右手は殿下に握られてしまった。
程なくして開演を告げるアナウンスが流れる。
今回は終盤の別れのシーンからラストまでを上演するようだ。
*****
隣国に城が攻め落とされ、騎士フェルナンドが囮となって姫を逃そうとする。
「一緒に逃げられないなら貴方と共に死なせてください」
「いけません。姫だけでも生きてほしいのです」
「嫌よ! 貴方と離れて生きて何になると言うのです! 最期の瞬間までそばにいてくれたらそれで……それだけでいいのに……」
愛する者と離れて生きていくことの虚しさを切々と訴えるがフェルナンドは決して首を縦に振らない。
「どうしても姫に生きてほしいのです。何年かかってもいいから自分を忘れて幸せになってください」
そう言って姫の涙を振り切るように背を向ける。
死を覚悟した悲壮感など一切感じない、自分の取るべき行動を決めた者の穏やかな声だった。
それがもう戻ってくるつもりはないのだと感じさせ、更に姫の不安を煽る。
「この臆病者! 自分で幸せにして見せるという気概もないのですか⁉︎ 貴方にはほとほと愛想が尽きました! こんな騎士こちらから願い下げよ。貴方なんていなくても生きていけるわ! 貴方みたいな弱い男が囮になんてなったところで何の意味もないわ! さっさと逃げなさいよ! 目障りだわ! 私のためにとか言われても迷惑よ!」
姫は涙ながらにありったけの暴言を吐き、自分を見限るように突き放そうとするが、結局フェルナンドを引き止められず、姫は少数の侍女と落ち延び事になる。
フェルナンドの生死は不明のまま。
辺境の村で失意のうちに暮らしていると1年後に革命軍が立ち上がる。
その筆頭にフェルナンドの姿があった。
侵略してきた隣国の王子を退けて、奪われた王国の王位を姫に取り戻す。
夜更けにひとり城から抜け出そうとするフェルナンドの背に声がかかる。
「フェルナンド、いかないで。私は貴方と国を治めたいのです」
「私にはできません。王太子様亡き後、国を治めるにはそれに相応しい地位がある方でなければなりません。私は下位貴族の騎士です。王配になどなれません」
「フェルナンド。貴方は誰に剣を捧げたのか忘れたのですか?」
「いいえ。姫をお守りする気持ちは変わりません。貴女様が女王となったこの国を陰ながら支えていきたく思います」
フェルナンドは振り向けずにいた。ただあまりに強く握りしめた拳が震えている。
「私の心は貴方が持っているのです。
心なくして、国を愛することなどできません。
私を王だと言うのなら、命令しましょう。どんなに理不尽だと横暴だと言われても。貴方を繋ぎ止めることができるなら。
騎士フェルナンド。死ぬまで私のそばにいなさい」
毅然と告げる言葉には既に女王としての風格の片鱗が見られた。
が、すぐにその空気が揺れる。
「……だって、私の独りよがりではないでしょう? 貴方も……私を愛してくれているのでしょう?
ねえ、フェルナンド。私の手をとってちょうだいっ……もう離れるなんて嫌よ……」
続く声は震えていた。涙で滲んだ声がフェルナンドの背を震わす。
フェルナンドが頑なに姫を振り向かなかったのは、振り向けば想いが溢れるとわかっていたからだ。
それでも、愛しい姫の頼りない涙ながらの懇願を振り切ることなど、もうできなかった。
あの囮となった夜。姫の必死に縋り付く声が。自分を引き止めるために放たれた慣れぬ強い言葉が。彼女のしゃくり上げる声が。息遣いが。その全てがずっと耳にこびりついて離れなかった。
姫のために身を引こうと思った。
思っていたのに。
泣き崩れようとしている姫の体を強く抱きしめる。
「……私などを選んでどうするのです……」
「……フェルナンド、貴方と幸せになりたいだけよ。そばにいてくれるだけでいいの」
そう言って、フェルナンドの胸に顔を埋めた。
「仰せのままに。私の幸せも姫のそばにあります」
腕の力を強め、更にきつく姫の細い体を抱きしめる。
こうして2人の幼い頃からの淡い初恋は長い年月をかけて実った。
唯一の王族の生き残りとして姫は王国初の女王となり、国を取り戻した英雄を王配に据え、王国は末長く繁栄する。
*****
壇上で役者が挨拶をすると割れんばかりの拍手に広場が沸く。片手を上げて拍手に応えている役者達の姿をどこか焦点の合わない目で見つめる。
拍手する事もできず、ただ前を見つめたまま頬を滑り落ちる涙に気付かないでいた。
舞台から役者が降りると細波が引くように歓声が落ち着いていき、人々は劇の感想を話しながら広場から離れていく。
殿下の視線を感じるが片手で胸元を強く握りしめたまま、高鳴る胸がおさまらないことに自分が一番戸惑っていた。
握られたままの右手は微かに震えて、キュッと縋るように握る力を込めた。
間違いなく今まで見てきた中で一番の劇だった。
席もない立ち見で、背景も小道具も王立劇場と比べる事もできないほどチープだろう。
それでも。
一言に。姫を見つめる瞳に。必死にフェルナンドを突き放す悲鳴じみた声に。姫に伝えたかった言葉を飲み込んだ苦しげな表情に。誰よりもお互いが愛しいと込められていた。
恋することを知らない私が、これが恋なのかと目で、耳で、空気で感じた。
あまりの衝撃に呼吸が浅くなり、頬は上気したまま。もう劇は終わったというのにまだ私の瞳には2人の姿が映っているようで劇の余韻から抜け出せないでいた。
「レフィーリア嬢……」
ライオネル殿下の気遣う声に小さく頷く。
遠く鳴り響く夕刻を告げる教会の鐘の音。
胸を震わせた劇の名残で目は潤んだまま、殿下に手を引かれて馬車に乗せられる。
一言も話せず、殿下も他の2人も何も口にしない。
緩く握られた手の温もりをそのままに、馬車に揺られていく内に意識が微睡んでいった。