必要殺人事件
親愛なる読者諸氏に問う。今、ピンチか?
ピンチなら共感しよう。俺も今大ピンチだ。
なんでかって?
そうだな……。まず、自分が小説家であると想像してくれ。
次に、珍しく小中学生向けのライトなミステリを書いたと想像してくれ。
3番目に、子どもの教育によくないとPTAからの批判が殺到したと想像してくれ。
4番目に、「読者からの挑戦状コーナー」に暗号が届いて、からくも打ち切りを脱したと想像してくれ。
最後に、「お前は殺人事件を書くな」「両親は犯人枠から外せ」の、編集部命令さえ知ってくれれば完璧だ。
まったくご理解その通り。
犯人からの逃走劇を書くしかない。
当然。犯人から隠れる体験をしておこうと考える。
おあつらえ向き。治安がよろしくないところに住んでいる。
合わさっての当然。クローゼットに潜み、鍵を開けっぱなしにする。
これまた当然、泥棒が入ってくる。
置きっぱなしの生活費を持って逃げる。息を潜めて逃げるのを待つ。
ここまでは普通だろ?
少なくとも俺は普通だったはずだ。
普通じゃない泥棒が来やがったんだ。
信じられるか? 本棚をひっくり返して行きやがった。
ピンチに陥った。本棚と本でクローゼットが開かなくなった。
我が家は地下室。通信はWi-Fi頼み。なのにルーターのコンセントが抜けたらしい。地上に声など届かない。助けを呼ぶ手段がまったくない。
ピンチだ。クローゼットに入ってから3日も経った。
食料なし、水なし、手がかりなし。
非常にまずい。大ピンチ。
「先生ー、いるー?」
ピンチ終了。
「助けてくれ七竈ちゃん! 開きっぱなしの本を閉じて、折れたページを直してくれ!」
「収穫ゼロだ。いたずらに本と体を痛めつけただけに終わった。収穫ゼロと口に出したら、心まで傷ついてしまった」
4リットル目のアクエリアスを飲み干しうめく。固形物を受けつけられる状態じゃない。手足背足腰が固まっている。
七竈ちゃんが「向いてないんだよ」とほざく。
助けてくれたことには感謝する。
それはそれとして腹が立つ。
俺がプロであるのを伏せているため、ことの次第も大いに伏せたせいだろう。
しかたない。貴重なネタ元だ。許してやる。
「そんなのより、「燃えよ剣」みたいなの書いてよぅ」
許されざる暴言である。
誰でも司馬遼太郎になれてたまるか。
と、いうか、それを言いに来たのか。
いや、返しに来たのか「燃えよ剣」を。
で、すぐ書いてくれか。すぐに影響されちゃうのか。まったくミーハーだな。愛いやつめ。
肩甲骨をごきりと伸ばす。
「やれやれ、七竈ちゃんは土方歳三の十戒も知らないのか」
ぱっと目がこちらに向けられる。興味津々の顔である。
「歴史小説ファンなら基本なんだけどな。
土方歳三を主人公に書くなら、守るべき十戒というものが存在するんだ。
壬生寺に取材に行かねばならないとか、五稜郭の地図をそらで描けないといけないとかね。
で、最後にして絶対の戒めが厳しいんだよ。
執筆時は司馬遼太郎の没年齢を超えていなくてはならない。
こればっかりはいかんともしがたいね。俺はまだ18なんだからさ」
……また、無意味に嘘をついてしまったな。
「え、厳しすぎるよ。先生は絶対に書けないじゃない」
絶対72歳までに死ぬみたいに言うな。
「先生は明日をも知れぬ身なのに」
助けた命を明日死なすな。
あっさり興味が消える。本のページ直し作業に戻られる。いや助かるよ? 助かるけどさ。
「いや、ミステリだよ? 一番売れるジャンルだ。しかも読者の期待がすごいんだぞ」
「ふーん」
視線すらこない。
「七竈ちゃん、もっと俺自身にもに興味を持とう。俺を愛そう。俺も君を愛してるから」
「僕が先生を愛さなくちゃいけないんなら、先生は僕を愛さなくていいよ」
ふむ。このイケメン16歳が言うと様になる。
本棚を軽々どかす恵まれた体躯。左目を医療用眼帯で隠し、その上にさらに眼鏡をかけても際立つ華やかな美貌。今日もスーツ姿だ。私服ほぼないらしい。
様になる。なるからそういう趣味の人に言ってくれ。傷心の俺に言うな。
「読者からの挑戦状がきてるんだぞ」
固まった体をそろそろ動かし、別の本棚の引き出しを開ける。
地下室の利点。すべての壁際に本棚が置ける。
「ほら」
一枚の茶封筒。
宛名面の「読者からの挑戦状コーナー様」を隠して開く。
コピー用紙に鉛筆書き。
『わたしをさがしにきてください
洗濯物とゴジラのすきま
いきをひそめてまっています』
「なにこれ」
七竈ちゃんが、眉をひそめる。
「暗号だよ。小学2年生の女の子から届いた暗号。急ぎ解読しなくちゃいけない」
「どこを解読するのこれ」
眉をひそめたままである。
「いや、どこって……。どこかわかったらもう解けてるよ。クローゼットで3日考えた。なのに丸きりわからない。送り主を説明すると」
胃袋が痛みを訴えた。
明治の板チョコを冷蔵庫から取り出す。
「小学二年生の女の子。学校図書館に置いてあった俺の作品を読んで、暗号を投稿」
銀紙を剥がす。シャリシャリと鳴る。
「そのせいか差出人欄も学校。学年クラス名前が書いてあったよ。学校にどんな生徒か聞いてみたら――。ああ、そりゃあヒントがほしくて聞いた。聞いたけどズルじゃない」
かじる。パキッと硬質な物が割れる音。
「普通の子だってさ。校内でも校外でも、特に問題は見られない。以上」
チョコレートが口内を塗りつぶす。
べたべたとした背徳的甘さ。
まっすぐな隻眼がこちらを見ている。
「だからさ、先生」
七竈納は
「だから、これ、暗号じゃないよ」
真実を放った。
「え、ああ……。なんだ、そういうことか」
直感的に、俺は真実と理解した。
「助けに行かなくちゃ。先生、一緒に来てよ」
俺は植民地支配菓子を食べ続ける。
「断る。俺は小説家で殺し屋じゃない。こんなありふれたことに、いちいちかまっちゃいられない」
七竈納は食い下がる。
「この子が信じられるのは先生だけなんだよ」
チョコレートをかみ砕く。
「彼女が勝手に信じただけだろ。何か出向くに値するメリットでも用意してくれるってのかい?」
七竈納はしばし沈黙し。考え。
「人の首が刎ね飛ばされる瞬間、見せてあげる」
チョコレートを一気にかみ砕く。パーカーを手に取る。
「ネタになりそうだ。行こう」
PTAの激怒に敗北。連載打ち切り。ふてくされてしかるべきだ。
せっかくふてくされているのに、七竈ちゃんは俺を慰めない。「次は何を読もうかなぁ」とか、ウキウキ本棚を物色している。
もうこんな話やめたいところだが、説明不足が多すぎる。不親切だ。よろしくない。説明しよう。ああいやだ。
要するに、あれは暗号でもなんでもなかった。
ミステリの基本。登場人物の発言に虚偽がある。。
現実。学校からの説明なんて虚偽に決まっている。
断言しなくていいヤツは運がいい。失せろ。俺はふてくされてるんだ。
生徒に問題があるのを見ている、と言ってしまったら、学校は介入しなくちゃいけない。
学校は介入したくない。
深刻であればあるほど介入したくない。
仕事が増えてしまうからだ。
だから「問題」は「見られない」と見ていないフリをし続けた。
で、家庭に深刻な問題がある小2の少女は、見ていないフリをしなさそうな相手に助けを求めた。
「読者からの挑戦状コーナー」に送ったのは、唯一の連絡先だったから。
深刻な問題の内容――。「暗号でなかった」だけで説明は完了した気もするけど。一応補足。
彼女は自分が自宅でどのようにしているかを、ありのまま書いて送ってきたのだ。
姿が隠れるほどにうずたかく積まれた洗濯物と、弟妹が遊びっぱなしで放置したゴジラのおもちゃの隙間で。
息を潜めて両親から身を守っている。
無視され続けた少女の、最後のSOS。
俺たちも無視してしまえば、彼女は二度とSOSを発しはしなかったろう。
俺が信用を得られたのは、「救われる手段を書いた人」だったから。
つまり、「両親」の登場人物が逮捕される小説。
自分の両親が逮捕されれば、助かる。
賢明な子だ。そういう風に生きている子どもは、通常は助けなんてもとめない。助からない状態しか知らないからだ。
しかし俺たちの方は、逮捕なんてされないと知っていた。
七竈ちゃんは正義感が強い。知っているから彼女の自宅に駆けつけ、両親の首を刎ね飛ばした。
詳細は省く。とかく、七竈納は人を殺せる。
別の問題は増えたろうが、助けることには成功したわけだ。
「けどさあ七竈ちゃん。やっぱり暴力はよくないぜ」
七竈納は首をかしげる。
「殺すのが一番早くて、抜本的解決じゃない」
正しい意見だ。息を潜めて待っている間に、人間はどんどんすり減っていく。
泥棒が部屋を荒らしている間隠れていても、まったく平静でいてしまうほどに。
見知らぬ子どものSOSをチラリと見て、殺人を決行してしまうほどに。
「そうさ。だからだよ、七竈ちゃん。暴力ってのは万能なんだ」
届いたメールの文字列を眺める。
『おもしろくはあったんですけどね。最初にお伝えした通り、あの作品を掲載するのは賭けだったんですよ。賭けに負けたんです、逃げるしかありません』
視線を七竈ちゃんに向ける。白刃一閃で首を刎ねる少年に向ける。
「万能なもので解決する物語しかないの、つまらないだろ」
理解できない顔をされる。
予想通り。
ふいに電子音。
着信一通。
『差し替え原稿が至急必要になりました。土方歳三に関する短編、お願いできませんか?』
がぶりつくように返信する。
さて、書き始める前に。
「やっぱり資料は大切だよな、七竈ちゃん。紅茶を淹れるよ。砂糖もミルクもないけどね」
了
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