4 人間になってみた
エリカから聞いた話によると、今はグロウが死んでから500年は経っていることが分かった。
まさか知人に出会って死因を聞かれると恥ずかしくてまた死にたくなりそうだったから、万が一にも知人へ接触しないために100年もの歳月をこの谷周辺で過ごしていたら、その必要が全く無いくらいの歳月が経っていたとは……。
グロウは今までの100年を思い出して頭を抱えた。何度ここから出てダンジョンに入り、力試しをしたい欲求を我慢してきたことか。
食べ物も代り映えしない物ばかりで、ナケアが工夫を凝らして調理していたので美味しかったのだが、100年も経てば流石に別の味にも飢えていた。
それでも我慢に我慢を重ねて耐え抜いた100年間が、丸々無駄だったと分かったのだ。涙の一つも出てこよう。
「あのー、グロウさん? 大丈夫ですか?」
「ああ、すまない。ちょっと感傷に浸っていただけだ……だがそうか、もうそんなに経っていたのか……ならば一度、人間の国へ赴いてみるのも良いかもしれないな」
グロウは前から一度、人間の国へ行っておきたいと思っていた所だった。流石に100年も経てば知人はいないだろうし、例え寿命を延ばす魔法を使っていても、その魔法は最高位医療魔法。それを受ける、又は使える知人となると数少ない。
ドラゴンとなった今のグロウを見て、グロウと気付ける者はいないと思って良いだろう。多少注意していれば、ドラゴンの姿でも十分気付かれずに様子を見に行ける。
100年後、と思っていたら500年経っていたが、外の世界はどうなっているのか様子を見に行くのはここ最近で一番の楽しみだ。
だが、エリカは苦笑いを浮かべて首を横に振る。
「それは止めておいた方が良いと思います……今ドラゴンさんが国に姿を見せたら、間違いなく大混乱してしまうでしょうから……」
「そうか、もうドラゴンは絶滅してたんだったな。だが、この姿でもダメなのか?」
今のグロウは洞窟に入り切らないため、【縮小】で自分の体を掌サイズまで小さくしている。これならば、ドラゴンを見た事無い人間の目くらい欺けるだろう。
「そう言えば、グロウさんってナケアちゃんのお兄さんですよね? でもどう見てもグロウさんって生まれたばかりの様に見えるんですが……ナケアちゃんよりも小さいですし」
「元のサイズだとこの洞窟では窮屈だからな。今は魔法で体を小さくしているんだ。それで、可能そうか?」
「えーと、多分姿をそんなに見せなければ大丈夫だと思います」
これだけ小さければ隠れることも簡単だ。魔法も使ってしまえば、そうそう見つかる様な事も無いだろう。
「ならばエリカを送り届けるついでに、観光でもするとしよう」
「えっ、送ってくれるんですか!?」
グロウがそう言うと、エリカは驚いて目を丸く見開いた。そんなに驚くとは思っていなかったので、グロウの方が驚いてしまったくらいだ。
「当たり前だろう? エリカは一人でこの森を抜けられると思っているのか? 一応言っておくが、この森に出る魔物や獣は強いぞ?」
山脈に囲まれたこの森は、人間の手が加えられている場所は無く、グロウが人間だった時には見たことも無い様な魔物が溢れかえっていた。
最初の内はこの森の生態系を調べてみたものだが、弱肉強食がより端的に出るこの森の魔物や野生動物は、そのどれもが討伐難度Dを超える。
上級冒険者はCランクからなので、この森に出る魔物は殆ど上級冒険者相当。駆け出しだと言うエリカでは手も足も出ないだろう。
そう考えると、川辺で倒れていたエリカが魔物に襲われていなかったのは奇跡だった。もしグロウたちがあそこを通らなければ、今頃エリカは魔物の腹の中だ。
「それでも、助けて貰った上に食べ物まで分けて貰いましたし、これ以上迷惑をかける訳には……」
「なあエリカ、折角助けたのにすぐ死なれたら、流石に目覚めが悪いぞ……?」
「あっ……そうですよね……」
もうエリカとは知り合いと言って良いくらいには縁が出来た。そんな知り合いが次の日死体になっていれば、その後長い間気に病むことになるだろう。
「お兄ちゃん何処か行くの?」
エリカと話していると、食事の後片付けを終えたナケアが奥の部屋から出てきて話に入ってきた。
「少々エリカを送るついでに、人間の様子を見に行こうと思ってな」
「それって国の事!? ボクも見てみたい!」
ナケアが目を輝かせている。前世の記憶を持っているグロウはちょっと様子を見て、文明の進化を観てみようとしただけだが、ナケアは一度もこの谷周辺から出たことは無いので期待に胸を膨らませていた。
ダメと言っても着いて来そうな勢いで、ナケアは顔を近づけてくる。別にダメと言う訳では無いのだが、それでもグロウには一つ懸念があった。
「ナケアはまだ【縮小】を使えないだろ……その姿で国に行ったら、どうなるか分からんぞ?」
そう、ナケアはまだ【縮小】を使えず、体を小さくすることが出来なかったのだ。これはナケアが悪いわけでは無く、まだ必要のない魔法だったのでナケアにやり方を教えていなかっただけなのだが、【縮小】の魔法はそれなりに複雑な魔法で、維持するにも経験が必要になる。
「今から【縮小】を覚えても、寝てる時も含めて一日以上維持するには俺でも一ヶ月はかかった。そんなに待つくらいなら、新しい魔法を作った方が早いな。エリカ、一週間くらいここにいて貰えないか?」
「一週間なら大丈夫です――ってえぇ!? たった一週間で魔法が作れるんですか!?」
エリカが驚くのも無理はない。確かに、前世でも新しい魔法を開発するのには時間がかかった。既存の魔法の効果を改良するだけで、何年も研究するしていた者もいたほどだ。
新しい魔法は日々考案されていたが、実用的な効果を発揮するまで何年もかかるなんてことはザラだった。
だがグロウはこの100年間、ずっと魔法を研究し続けている。元々魔法剣士として魔法を研究していたグロウが、更に100年の時を掛けてその技術を磨いてきたのだ。いつの間にか、形を変える程度の魔法ならば寝ていても三日以内に完成させられるようになっていた。
実験する期間を考慮しても、一週間もあれば確実に魔法を完成させることが出来る。
「新しく魔法を作る事って、もう失われた技術の筈なんですが……」
エリカが何か言っていたが、頭の中で既に魔法を組んでいるグロウの耳には届かない。ナケアはグロウが魔法を作ってくれると聞いて、両手(両足?)を上げて喜んでいた。
「じゃあエリカは、取り合えずそこのベットがあった部屋で過ごしてくれ。洞窟の外は魔物の巣窟だから、間違っても一人で出て行くなよ?」
「大丈夫です! そんな場所へは絶対に出て行きませんから……」
その後、夜も更けナケアとエリカが同時に欠伸をしたのをきっかけに、二匹と一人は寝床へと向かって行った。
◇
エリカと出会ってから一週間が経過したある日、グロウは完成した魔法をお披露目するために、近くの草原で遊んでいるナケア達の元へ向かっていた。
この一週間、エリカはナケアと一緒に遊んでもらっていたため、二人はすっかり仲良くなっている。
草原に到着すると、そこには機嫌の良さそうなナケアと、そのナケアに揺すられてぐったりと倒れているエリカが見えた。
「一体何があったんだ……?」
「……グロウさん……私はもうダメです……がくっ……」
「本当に何があった……?」
一瞬怪我か病気にでもなったのかと思ったが、それならば『聖龍』であるナケアが治せない筈が無い。ならば、全身から流れている汗を見るに、また体力の限界までナケアと遊んでいたのだろう。
「お姉ちゃんもっと遊ぼうよ~! 今度はボクが追いかけるから~」
「ナケア休ませてやれ。これ以上続ければ死ぬぞ……」
この一週間でナケアと遊んでいたエリカがヘトヘトになりながら帰ってくることが頻繁にあった。というかほぼ毎日そうだったのだが、こんなになるまでナケアと遊んでくれているエリカには頭が上がらない。
筋肉痛ならばナケアが完璧に治せるので毎日限界まで遊べるのだが、本当に一週間毎日続けていたエリカは、ここに来た時とは比べ物にならない程体力が付いているんじゃないだろうか?
だがそんな日々も今日で終わりだ。グロウは近くの川で水を汲んできてエリカに飲ませると、エリカを寝かしたまま近くにナケアを呼ぶ。
「漸く魔法が完成した。これでエリカを送ることが出来るぞ」
「おお~! 流石お兄ちゃん! 見せて見せて!」
「分かったから、少し待っていろ。【龍人化】」
出来上がったばかりの魔法を自分自身とナケアに使用する。すると二匹の体が魔法陣の光に包まれ、やがてその光が収まると、二匹のドラゴンが居た場所には二人の男女が立っていた。
「ふむ、成功だな」
近くに流れていた川で自分の姿を確認する。赤みを帯びた黒色の、短く切り揃えられた髪。そして髪と同じく赤みを帯びた黒い瞳。見た目は確かに18歳くらいの人間がそこにはいた。
「おおー、これが人間の体か~! なんか変な感じがする~!」
ナケアの立っていた場所には、白銀の髪を肩まで伸ばし、大きな瞳を見開いて自分の体を眺めている10歳くらいの少女が立っていた。
何処の誰が見ても可愛いと言わざるを得ない完璧なその容姿は、天から降りて来た天使と言われても疑うことなく信じるだろう。
如何やら魔法は完璧に作動した様だ。ドラゴンの体とは勝手が違うので少々窮屈だが、元々人間だったグロウは直ぐに慣れ、体を少し動かしてみる。
「身体能力は多少制限されるが、それでも戦闘に支障はなさそうだな。ナケアは何処か体に違和感とかないか?」
「う~ん、ちょっと窮屈だけど大丈夫!」
ナケアも問題は無い様だ。この魔法はグロウが解くか、魔力が尽きるまで維持される。これで問題なく人間の社会に溶け込める筈だ。
人間であるエリカにも外見に違和感が無いか確認して貰おうとエリカの方向を見ると、エリカは顔を赤くして顔を大きく逸らした。
「エリカ、どうしたんだ? 顔が赤いぞ?」
「お姉ちゃん病気? 大丈夫?」
ナケアも心配そうにエリカの顔を覗き込む。すると、エリカは言い辛そうに眼を逸らして見た目の違和感を口にした。
「えーと、その……取り合えず、お二人とも服を着てください……」
あっ……ドラゴン生活が長かったせいで服の事を失念してた……。
アイテムボックスの中から着れそうな服を取り出しながら、グロウはエリカよりも赤くなりそうな顔を隠し、努めて平静を装った。