2 少女が倒れていた
あの日、ドラゴンと判明してから、恐らく百年は経っただろうか。最初の内は驚いていたが、背中に生えた翼で空飛べるし、特訓して魔法が使える様になってから何不自由無く生活している。
今日も山へ食料を取りに来たついでに、ここ数十年は毎日続けている魔法の特訓をしてきたところだ。と言っても、ドラゴンは生まれた瞬間から全盛期並みの能力を持つ生物なので、ステータス自体は百年間変わっておらず、目に見えた変化は精々異常な程増加したMPくらいだが。
今日の獲物である、体長5メートルを超える巨大な熊を咥えて、百年間住み続けている洞窟に帰る。
「入り口がまた小さくなってきたな。そろそろ新しい住処を探すか……? 直ぐには無理だから、暫くこうしているか【縮小】」
グロウは加えていた獲物を置くと、魔法を使って体を人間の掌より少し大きい程度まで縮小させた。さっきまで体長は優に20メートルを超えていたので、ここまで体を小さくさせるとやはり窮屈だ。
それでもドラゴンの魔力が膨大過ぎて、未だに上手く制御できず、このくらいの大きさにするのが限界だった。
「この身体じゃ今日の獲物を運べないな……おーいナケアー! 獲物運ぶの手伝ってくれ!」
「はーい! お兄ちゃん、おかえりなさーい!」
洞窟の奥からもう一匹のドラゴンが出てきた。体は何一つ汚れの無い、純白の鱗に覆われている。薄暗い洞窟の中だというのに、その体から放たれる淡い光によってその純白が曇るようなことは無かった。
このドラゴンは、グロウの隣にあった卵から生まれてきたドラゴン、つまりはグロウの妹だ。名前はナケア、親は結局見つからなかったのでグロウが名付けた。種族は『聖龍』で、グロウと同じく上位のドラゴンだ。
ドラゴンは属性を持たず、翼が退化して飛べない下位のドラゴンと、グロウやナケアの様に立派な翼を持ち、対応する属性では神にも匹敵する魔法を酷使出来る上位のドラゴンが存在する。
過去の記録では、下位から上位のドラゴンは生まれないという事が分かっているので、グロウたちの親も上位のドラゴンなのだろうが、グロウたちはそんな親の事を全く気にすることなく、兄妹仲良く生活していた。
「お兄ちゃんのその姿、ボク久しぶりに見た! かわいい~!」
「止めろ、その姿で抱き着こうとするな! 下手したら潰れる!」
ナケアは生まれてから今年で80年目。人間で言えばもう寿命で死んでもおかしくない年月を生きているのだが、悠久の時を生きるドラゴンにとって80年など、瞬きする間に過ぎてしまう程短い時間だ。
その為未だにこうして兄であるグロウに甘えてくる。可愛いのでついつい構ってしまうが、そろそろ兄離れさせるべきか悩んでいるグロウであった。
「それじゃあこのお肉は運んでおくね! だから食べ終わったらまた魔法教えて!」
「ああ、分かった」
「ヤッター!」
無邪気に飛び跳ね喜ぶナケアだが、兄よりも小さいとはいえそれでもドラゴンの質量で飛び跳ねられれば、いつこの洞窟が崩落してしまうのか分からない。
グロウは内心焦りながら妹を嗜め、洞窟の奥へ飛んで行った。
その日の夕方――
人間だった頃の記憶があるので、それを参考にしてナケアに魔法を教えていると、腹の虫がぐぅ~と音をたてた。
「お兄ちゃん、ボクお腹空いた~」
「そうだな、今日はここまでにするか。晩飯用の食料取ってくるから、お前は先に帰っててくれ」
「ボクもお兄ちゃんを手伝うよ!」
「そうか、助かる」
「えへへ~」
ナケアが撫でて撫でてと頭を押し付けてくるので、グロウはその頭を優しく撫でる。嬉しそうに眼を細めるナケアは、元人間の感性でも可愛いかった。
その後一時間程撫でていたらすっかり日も暮れてしまい、グロウたちは急いで食料を探し始める。
「ふぅ~、何とか岩石魚は捕獲出来たな」
「おっ魚おっ魚~!」
夜闇でも曇る事の無いナケアの鱗を灯り代わりに、二匹のドラゴンは並んで空を飛んでいる。夜は大きな動物が巣に戻ってしまう為狩りが難しいのだが、運良く魚を捕えることが出来た。
もうお腹の虫が泣き止まない。速く帰る為グロウが加速しようとした時、隣を飛んでいたナケアが空中でいきなり急ブレーキをかけた。
「ナケア、どうした?」
「お兄ちゃんあそこ、何かいる」
ナケアが指 (爪?)を指した方向に顔を向けると、魚を獲っていた川とは違う小川の川辺で、一人の人間らしき動物が倒れていた。
二匹は高度を下げ、倒れている人影の元へ降り立つ。そこにいたのは、夜でも映える金髪を腰まで伸ばし、駆け出しの冒険者を思わせる装備を身に着けた、15歳くらいの少女だった。
「お兄ちゃん、この動物はなんていうの?」
「これは人間という動物だ。俺たちはあの山脈から出た事は無いが、あの山の向こうではこの人間たちが国と言われる集団を作り生活している」
「国? それって凄いの?」
「凄いぞ。国には何万もの人間が生活している。大きな国が相手なら、俺でも負けるかもしれないな」
「お兄ちゃんでも!? 国怖い!」
あっ、つい余計なことまで口走ってしまった。ナケアが国に対して恐怖心を抱いてしまったじゃないか。
「安心しろ! 正面から正々堂々戦った場合の話だ! 俺が本気で戦えば勝てる相手だからな! 炎で焼いて戻ってくるを繰り返せば勝てるからな!」
「お兄ちゃん……それは本気じゃなくて卑怯って言うんだよ?」
「俺はどうしたら良いんだ?」
そんなやり取りをしながらも、グロウは少女の容態を調べていた。便利魔法の中には相手の状態を調べるものもある。
それによると、少女の体に外傷の類は無く、病気でもないことが分かった。
「ただ寝ているだけでも無い様だな。怪我でも病気でもないとなると、こいつはどうして倒れているんだ?」
寧ろ怪我や病気であれば、治癒魔法が得意なナケアの力で治すことが出来たのだが、どうしたものか……。
ぐぅ~
対処に困っていると、少女のお腹から聞き覚えのある音が響いた。
「お兄ちゃん、この音……」
「ああ、ただ腹減ってるだけみたいだな……」
一瞬、過去の自分と目の前の少女が重なる。近くに食料と思われる物は無い。このままこの少女を放っておけば、過去の自分と同じくこの少女も餓死するだろう。
「ナケア、連れて帰るぞ」
「そう言うと思ったよ! それじゃあボクはこの人間さんを家まで運ぶから、お兄ちゃんはこの人間さんの分も食べ物をお願い」
「任せろ」
ナケアは少女を咥えて洞窟の方角へ飛び去っていった。グロウは暫く森の中を飛び回り、夜でも行動していた鹿を捕え、自分も洞窟に向けて飛んで行く。
「おーいナケア! 帰ったぞ! 獲物を運ぶの手伝ってくれ!」
「はーい!」
体を縮小し、洞窟の奥に作った部屋へ食料を運ぶと、そこに置いてあった干し草や木の枝などで作った簡易ベットの上に、先程の少女が眠っていた。
ナケアは獲ってきたばかりの食料を器用に調理している。ドラゴンはその巨体故に大雑把で豪快だと思われがちだが、その実結構器用な個体も多かったりする。
そしてナケアは、グロウが人間だった頃に見たどのドラゴンよりも器用だった。今もグロウがアイテムボックスの中に入れっぱなしにしていた包丁を爪で挟んで、岩石魚の岩の様に硬い鱗を丁寧に剥がしている。
数分後、綺麗に盛り付けられた魚と部位ごとに分けられ、うまそうな焼き色のついた鹿肉が机に並んだ。
「お兄ちゃん出来たよ! その人間さん起こして!」
「分かった」
ナケアに言われて少女を起こそうとベットを見ると、少女は青い目を見開いて起き上がっていた。起こす手間が省けて助かる。
「あ、あのっ!?」
少女は酷く怯えながら、グロウとナケアを交互に見て震えている。まあ、目を開けたら目の前にドラゴンが二匹もいれば、例え熟練の高ランク冒険者でも絶望するだろう。
「落ち着け、お前を取って食ったりはしない」
「ねえねえお姉ちゃん! お姉ちゃん人間って言うんでしょ? 国ってどんなところなの? ここで人間に合ったの初めてなんだ! お話聞かせてよ!」
ナケアは顔を少女に近づけて、目を輝かせながら質問攻めをしていた。それで益々少女は怖がっていたが、少女のお腹がなって顔を真っ赤にしていたので、先に晩御飯を食べることにする。
「俺の名前はグロウ=ザカート、こっちは妹のナケアだ」
「よろしくねっ! お姉ちゃんのお名前は?」
少女は俺とナケアを交互に見て「妹……?」と首をかしげていたが、慌てて木で出来たスプーンを置いて名乗った。
「わ、私はエリカって言いますっ! よ、よろしくお願いしますっ!」
食事中に簡単な自己紹介を済ませる。エリカと名乗った少女は余程お腹が減っていたのか、まだ冷めていない肉を限界まで頬張り「熱いっ!」と目に涙を溜めていた。
「もっとゆっくり食え……」
「ごっ、ごめんなさい……食べ物を食べたのは久しぶりで……」
「お姉ちゃん大丈夫? ちょっと待っててね? 【癒しの光】」
ナケアの体から神々しい光が放たれ、光はエリカを包み込む。
「この光は……? あれっ、口の中の痛みが無くなってる?」
「ナケアは『聖龍』だからな。治癒魔法はお手の物だ」
「えっへん!」
巨大なドラゴンのままでいるナケアがドヤ顔で胸を張ってる。自らの神々しさを台無しにするドヤ顔は、まだ抜けきっていなかったエリカの恐怖を払拭し、エリカは自然な笑みを浮かべていた。
「お礼がまだでした。助けて頂いてありがとうございます。お二人は優しいドラゴンさんなんですね」
「気にするな。それで、エリカはどうして川で倒れていたんだ?」
グロウが気になっていた事を聞くと、エリカは一瞬表情に影を落として、自分が川辺にいた理由を話し出す。
「それは、私が役に立たない魔法剣士だからですね……」
グロウは口に入っていた肉や魚を盛大に噴き出した。