15 不穏な影
ゴブリンを倒してからも、三人は順調にダンジョン内を進み続ける。ダンジョンを進めば進むほどゴブリンたちの遭遇率は上がって行くが、遭遇するたびにエリカが一撃で仕留めて行った。
「エリカはどうして今まで魔物を倒さなかったんだ? それだけの剣技を持っているなら、身体強化を使わなくてもその辺の冒険者より強かったと思うが?」
「えーと、私は魔法剣士だったので、荷物持ちくらいしかしてなくて、そもそも戦う状況にはならなかったんですよ。初めて戦ったのも、モンスターハウスで置き去りにされた時くらいでしたから。それに、身体強化の魔法を使っていなければ、私の剣技では魔物に弾かれて使い物になりませんでした……」
「なるほど、ならこれからは筋力増加トレーニングも追加するか」
「…………」
エリカが背中で絶望を物語っているが、グロウはそれを無視してこれからの計画を頭で組み立てていく。
そして暫く進んだところで、エリカはぴくりと反応して歩みを止めた。
「いました、ホブゴブリンです」
三人は息を潜めて近くの岩陰に身を隠す。グロウとナケアはホブゴブリンなどに隠れる必要は無いが、今回はエリカの戦闘訓練だ。なので二人はエリカの行動に続いて身を隠している。
エリカは身を隠してから、探知魔法に意識を集中した。数は一体だが、その姿は先程のゴブリンとは違い巨体で、緑色をした皮膚の下から屈強な筋肉が見て取れる。
先程までのゴブリン一体のランクは最底辺のFだが、このホブゴブリンはE+だ。ランクが上がれば生物が変わると言われるほど、魔物のランクは絶対的な物になる。あのホブゴブリンを先程までのゴブリンと同列で考えて戦闘した場合、防御力が劣る今のエリカでは一撃で殺されるだろう。
エリカがここで潜んで、不意打ちを警戒して周囲に他のゴブリンがいるのか確認したことは正しい判断である。
周囲に敵がいない事を確認すると、エリカは洞窟の中に光の塊を投げ込んだ。初級の便利魔法【閃光】だ。光の塊はホブゴブリンの目の前まで転がると、一瞬強い閃光が洞窟内を照らした。
「今です!」
閃光が洞窟内を照らし、ホブゴブリンがその光に目を焼かれ苦しんでいる所へエリカは短剣を持って突撃して行く。
そしてホブゴブリンの前まで来たところで、手に持った短剣を寸分の狂いもなくホブゴブリンの首へ斬りつけた。だがその短剣は首に当たったと同時に弾かれて、首に傷をつける事もなく洞窟の壁に深々と突き刺さってしまった。
「キャアッ!?」
短剣で斬り付けられて怒ったホブゴブリンが、手に持った棍棒をエリカに向けて振るう。エリカは咄嗟に距離を取ってその攻撃を躱したのだが、棍棒から発せられた風圧でグロウ達の元まで吹き飛ばされてしまった。
「大丈夫か?」
「あ、はい、大丈夫です。ちょっとビックリしただけで、直撃はしていませんので」
尻もちをついていたエリカは、差し出されたグロウの手を取って立ち上がる。エリカの持っていた短剣では、無理やり加工されているため重心も少しズレており、エリカの剣技を充分に生かせない。その為ホブゴブリンの首を斬れなかったのだ。
「次は斬ります!」
【魔剣召喚:陽光の剣】
今の反省を活かし、エリカは目の前に魔剣を召喚する。するとエリカの前には、短剣と同じ柄を持った金色の光沢を放つ魔剣が現れた。
召喚までに時間が掛かり過ぎているが、ホブゴブリンはまだ苦しそうに目を押さえているので追撃されることは無い。
エリカは出現した魔剣を構えると、再びホブゴブリンに向けて駆け出した。
「――【付与魔法:風刃】」
ホブゴブリンまで距離を詰める間に、エリカは自分の魔剣へ風の刃を纏わせる。身体強化、探知魔法、付与魔法、召喚魔法、計四つの魔法を同時に使って尚、エリカは特に苦にした様子もなくホブゴブリンへ剣を振るった。
「これならどうですかっ!」
そしてエリカは連撃の分威力の落ちる【連閃】よりも、一撃の威力が高い剣技【一閃】を使い、今度は一撃でホブゴブリンの首を斬り落とした。
首の落ちたホブゴブリンが、ゴブリンよりも少しだけ大きな魔晶石へ姿を変える。その魔晶石を拾ったエリカは、壁に刺さった短剣を鞘に戻すと嬉しそうにグロウ達の元へ駆け寄ってきた。
「ホブゴブリンを倒せました!」
「お姉ちゃん凄いかっこよかった!」
「今の戦い方、前に俺が見せたものだな。見事だったぞ」
エリカが使った付与魔法の【風刃】と剣技の【一閃】は、一週間前にグロウが木の枝で大木を切り倒した時に見せた合わせ技だ。木の枝ですら大木を切り倒す威力になるのだから、ちゃんとした剣を使えばホブゴブリンくらい倒せる。
だがエリカにはこの一週間、魔剣の維持と魔法の効率的な発動の仕方くらいしか教えていなかったのだが、見よう見まねで練習していた様だ。
グロウが褒めると、エリカは嬉しそうに笑って魔剣を送還する。するとエリカに向かってナケアが勢い良く抱き着き、事の真相をエリカ以上に嬉しそうな顔を浮かべて大声で言った。
「お姉ちゃん毎日夜遅くまで魔法の練習してたもんね! お兄ちゃんの為にって頑張ってたから、お兄ちゃんに褒められて良かったね!」
「ナ、ナケアちゃんっ!?」
顔を真っ赤にしたエリカが、慌ててナケアの口を塞いで洞窟の奥に走り去る。その一連の動きはホブゴブリンに接近した時の速度を優に超えていたのだが、グロウは何となくそこに触れてはいけないような気がして、ゆっくりと歩いて二人の後を追う事にした。
「……ナケアちゃん、その事は秘密にして――」
「どうして? お姉ちゃん沢山頑張ったんだから、お兄ちゃんにいっぱい褒めて貰えるよ?」
「そ、そうですかね……? でもやっぱり恥ずかしいですし……」
二人はそこまで遠くへ行った訳では無かったので、グロウは直ぐに二人に追いつくと、そこでは何やら話している二人の姿があった。
小声だったので話の内容までは聞こえないが、邪魔をしても悪いのでグロウは少し離れた岩陰で待つことにして周囲の警戒を始める。
一応デリカシーの概念を知っていたグロウは、二人の会話に聞き耳を立てる事無く探知魔法で辺りを探っていると、ダンジョンの最奥に気になる反応を探知した。
(これは、少しマズいな……)
これから向かう予定だったダンジョンの最奥にいる魔物、本来ならば精々ホブゴブリンが数体いるだけだった筈の部屋には、明らかにそれ以上の力を持つ魔物の反応がある。
そしてその魔物が秘めている魔力は、ホブゴブリンどころかグロウ達の住んでいた洞窟の周りに生息している魔物すら超えていた。
グロウは岩陰から出ると、直ぐに二人の元へ向かう。グロウが二人に近づくと、エリカは顔を更に赤らめて動揺していたが、直ぐにグロウの様子がおかしいことに気付き表情を引き締めた。
「グロウさん、どうしましたか?」
「少しマズい事になった。探知魔法でダンジョンの最奥を探ってみろ」
「……これはっ!?」
エリカが目を見開いて、額に冷や汗を浮かべる。明らかに別格の気配を肌で感じて、言いようもない恐怖がエリカの全身を襲った。
「感じたか?」
「はい……何ですか、この力は……っ!?」
この力は、例えホブゴブリンが狂化しても届くような物ではない。間違いなく、更に強力なゴブリンロードが狂化した物だろう。
その力はランクB+、いやAにすら届くかもしれない。力を抑えている今のグロウでは少々手に余る。かと言ってここで【龍人化】を解けば、その巨体がダンジョン内に収まるはずもなく、ダンジョンを崩落させてしまう。
そうなってしまえば、まだ初級魔法しか使えないエリカもただでは済まない。このままギルドに救援を出しても、この街にいる冒険者が何人集まろうと対処できるような魔物でもないので、ここでこの三人が対処できなければ、いつかこの魔物が街に出て行って甚大な被害をもたらすだろう。
ついでに言えば、そもそもグロウは逃げる気なんて毛頭なかった。この程度の魔物、グロウは人間時代に幾度となく戦ってきている。それにこんなチャンス、逃す手はないだろう。冒険者の実力は、生きるか死ぬかの極限状態の時が一番伸びると言うものだ。
グロウはエリカ達に気付かれない様に黒い笑みを浮かべると、洞窟の奥へ視線を向けた。
「ゴブリンロードが狂化したのだろう。全く運が良――悪いな」
「そんな……狂化した魔物は、ダンジョンを出てしまうかもしれないんですよね? もしあんな魔物が街に出たら、街は――」
「確実に街は地図から消えるだろうな」
その言葉を聞いて、エリカの顔からサッと血の気が引いて行く。もしダンジョンの外にあの魔物を出してしまえば、グロウ達も本気を出して戦えるが、その戦いの余波でどちらにしろ街は消えるだろう。ドラゴンの姿では加減が利かないのだ。
グロウの持つ魔剣の中には、あの魔物を一撃で葬り去る様な魔剣もあるが、強力過ぎてダンジョンの外で使える物でもない。
「このダンジョン内に奴がいる間に処理するぞ」
グロウがそう言うと、エリカはもう何も疑うことなく、覚悟を決めた表情で頷いた。
「はい!」
「ボクもたくさん手伝うね!」
そして三人はダンジョンの奥へ向かって行った。
因みにゴブリンは集団になるとランクが上がります。
 




